第6-7話

 次の日。肉をぶら下げて、僕はマナの部屋の前に立ち尽くしていた。


 ノックすればいいだけの話なのだが……めちゃくちゃ勇気がいる。


「頑張れ、僕」


 深呼吸をして、心を落ち着けて、ノックする。


「マナ、僕だけど」


 返事はない。もし、外出していたら、出ていく音で気がつく。つまり、部屋には、いるはずなのだ。


 とはいえ、無視されるのも当然かと、鍵を魔法で開け、無理やり押し入ることにする。


「マナ、一昨日は本当にごめ――」


 心臓が止まりそうになった。止まってしまえとさえ思った。


 信じられなかった。信じたくなかった。


 視界に入る光景から目を背けたくて、視力なんてなくなってしまえと、そう思った。


 嫌になるほど静かで、自分の心音と呼吸音と、秒針の音だけが聞こえていた。


 遅れて、歯がカチカチと音を立てる。


 部屋を見渡すと、最後に入ったときのままだった。


 机の上にはノートが広げられていて、シャーペンと消しゴムが出しっぱなしになっている。


 傍らには冷えきった紅茶のカップが置かれている。


 シンクには紅茶を淹れるのに使った道具が洗われないまま、放置されていた。


 最後に見たときのまま、ヘッドホンが首からぶら下がっていた。


 漏れ出す音楽は、彼女が昔から、大好きな曲だった。


 まだ、ベルスナーキーの香りが残っていた。


 足に力が入らなくて、それでも進もうとして、膝から崩れ落ちた。


 震える手足と、おかしな呼吸を引き連れて、なんとか、這っていく。


 手を伸ばして、その足にしがみつくと、すでに体温はなかった。


 足首に魔力封じの拘束具がつけられていた。その拘束具を外す。


 足下に、踏み台に使ったと思われる、重そうな段ボールがあった。


 かじかむ手でそれを開けると、その中には、棚に並べられた宝石がつまっていた。


 すべて、僕が彼女に贈ったものだ。


 腕が肩からだらんとぶら下がっている。


 服にはシワ一つない。


 靴下をめくると、足首に跡がくっきり残っていた。


 その足首を、いつか、手を握ったときのように、強く握ろうとして、力が入らなかった。


 しがみついて揺らしてみたが、反応はない。


 急に、ぽろっと、首が取れてしまいそうな気がして、揺するのをやめた。


 手を離すと、まるで、振り子のように体が揺れた。長く長く、揺れていた。


 照準の定まらない魔法を使って、何度か、天井に穴を開けると、ようやく彼女は落ちてきた。


 ドサッと落ちた。


 変な体勢で落ちてきた。


 それに抗う様子は、少しも見られなかった。


 曲がった四肢を真っ直ぐに伸ばす。少し硬い。


 寝ているみたいだ。寝ているならよかったのに。


 胸が動いている様子はない。


 耳を当てても、心音は聞こえない。


 色のない、乾いた唇をそっと指でなぞる。


 その口から、彼女のファーストキスを奪っていく。


 舌を入れても、温もりを感じない。冷たい。


 くすぐってみても、何の反応も見せない。


 頬をつねっても、痛がる素振りすら見せない。


 色の抜け落ちた肌と薄暗い瞳。桃髪だけが、うるさいくらいに鮮やかだった。


 顔にかかっている髪をそっとよけて、首に巻きついた縄を外す。


 縄でできた首の凹凸をなぞる。


 上半身を起こして、力のない肩を抱く。



 豊かな表情も。


 僕を呼ぶ甘い声も。


 柔らかく、温かい手も。



 人形みたいに無機質な表情も。


 周囲を遠ざけようとする刺々しい声も。


 出会い頭に僕をはたいたあの手も。



 すべて、失われてしまった。



 名前を呼んでも、返事は返ってこない。


 どうしてと問いかけても、返事は返ってこない。


 ごめんと謝っても、返事は返ってこない。



「マナ、好きだ……」



 その表情が、あの日見た笑顔とそっくりで、彼女の最後の告白が、僕への嫌がらせのように感じられた。



 マナは、首を吊って死んでいた。

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