第8-6話 記憶の世界
マナに噛まれた傷を癒しながら、僕は語る。
「そりゃ、僕だって、何もせずに済む方法があるならそうするよ? でも、同じ世界に同じ存在が二人、なんていうのは、世界の理に反してる。ここが本の中だとしても同じだ。二人がやってたみたいに、時空の狭間に逃げてもいいだろうね。それでも、まなちゃんだけは、生かしてはおけない。たとえ、僕たちが時空の狭間で暮らしたとしても、外の世界に些細な変化すらも与えないなんて、不可能だからだ。その違和感はいずれ、あの子に何かしらの影響を与える。その瞬間、僕たちは外の世界に追い出される。ま、少なくとも僕は、刑務所送りだろうね」
「だから、割りきれって、そう言うの?」
「マナは優しすぎるんだよ。これは、ただの記憶なんだから」
「記憶でも、まなさんが死ぬところも、まなさんとあかねが誰かを殺すところも、私は見たくない!」
「そういうとこ、動物園で育てられた動物みたいだよね」
動物園、と呟くマナに、僕は続ける。
「動物園で育てられたライオンが、野生に放たれたって、多分、ろくに狩りもできないし、すぐに死ぬことになるよね。それと同じじゃん。ははは」
「……あんたって、たまにエグいこと言うわよね」
マナがあからさまに落ち込んでいるが、それで渋々でも納得させられたのなら、よしとしよう。
そんな甘い考えで、僕たちのようなはみ出し者が幸せになるなんて、できない。
――どれだけ犠牲を出そうとも、僕はこの三人で幸せを掴む。そう決めたから。
「それで、マナは何を思いついたの?」
「……まなさん、いつも、誰かと話してた」
「ああ、まゆみのことね。でも、あの子は――」
「ここは、記憶の世界、なんでしょ」
「それは、そうね」
「じゃあ、まゆみちゃんに手伝ってもらえばいいってことだね」
それが一番、確実な方法だ。そう考える僕の顔を、二人はまじまじと見つめていた。
「何かついてる?」
「悪い顔になってるわよ」
「アクニン、アクニン!」
「僕は最初から善人面なんてしてないし、仰る通り、悪人だよ」
***
夜。まなが寝静まったのを確認して、僕たちは彼女の部屋に忍び込んでいた。鍵くらいは簡単に開けられる。
「まゆ、起きて。お姉ちゃん」
まなが姉と呼びながらまゆみを揺するが、なかなか起きようとしない。仕方ないので、マナが抱える。
「これ、今なら殺せたりしないかな?」
「まなさんのセンサーは異様です。私が夜這いしようとしても、一度も成功した試しがありません」
「それ、どっちもヤバいからね?」
「うーん……」
眠るまなからうめき声が聞こえて、僕たちは一目散に部屋から逃げ出した。
「まゆ、起きてってば。相変わらず、寝起きが悪いわね……」
「むにゃあ」
「これは、なかなかだねえ」
全く、起きる気配がない。
「いつもどうしてるのさ?」
「意地と根性で起こしてたわね」
「脳筋ですね」
「あんたに言われたくないわよ」
そんな風にして、なんとかまゆみを起こすことに成功した。
「まな、どうしたのー?」
「お姉ちゃん、その、聞いてほしいお願いがあるんだけど」
「うん、なあに?」
まゆみのへなへなした笑顔を見て、まなは閉口する。少し待ってみたが、口を開く気配はなく――これは、言えないだろうなと思った。
僕はまなから粉薬を、半ば奪い取るようにして入手し、まゆみに渡す。
「これ、睡眠薬なんだけど、まなちゃんの飲み物に、こっそり入れてほしいんだ」
「まなの飲み物に? なんで?」
「ちょっと、イタズラを考えてて、眠ってる間に色々仕掛けようかなって」
「うん、いいよー」
二つ返事で了承した。理由が適当すぎるかと思ったのだが、大丈夫そうでよかった。
ちなみに、まゆみに渡した薬は、睡眠薬ではない。まなが翌朝、飲み物を飲むであろう時間から逆算して、ちょうど、寝ている間に死に至る薬だ。マナが計算した。
すると今度は、まなの顔色が芳しくなくなってきた。まゆみという、自身の大切な存在を騙して、自分を殺させるというのに、抵抗があるのかもしれない。
「欲張りになって、貪欲になって、強欲になって。自分たちの幸せをちゃんと見つめてないと、幸せは簡単に飛んでいくよ」
他人のことなんて、考えても自分には何の得もない。むしろ、裏切られたときのリスクを考えると、マイナスだ。
その上、他人ばかり気にすると、自分の足下が疎かになる。
――だから、自分の幸せだけ求めていればいい。
「僕は、三人で幸せになれれば、後はどうでもいいよ」
たとえ、世界が終わろうとも、そこに二人の笑顔さえあれば、構わない。
「どうでもいいなんて、思ってないくせに」
そう呟いたのは、果たしてどちらだっただろうか。
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