第8-7話 最大の敵

 まゆみは、恐ろしいくらいに冷静で、まなに違和感など、微塵も与えなかった。それだけ、信頼されていたのだろう。


 次の日。まなが目覚めることはなかった。


「下手に燃やしたり埋めたりするより、空間収納に入れておいた方が確実だよね」


 まるで、眠っているかのような彼女を抱き上げて、そこにしまう。


 その亡骸を見ても、誰も涙を流さなかった。


「それじゃあまなちゃんは、今日からここで、『まなちゃん』として暮らして。僕たち二人をどうするかは、こっちで考えておくから」

「ええ、分かったわ」


 彼女に危害を加えるのは、簡単だ。


 ただ、僕たちとなると、話は変わってくる。


「それで、僕たちどうする?」

「そうですね。まず、どちらから、という話ですが――」


 急いで話を進めようとするマナの頬を、僕は軽く引っ張る。


「ふええー?」


 それから、その柔らかな身体を抱き締め、桃色の頭髪を撫でる。


「大丈夫だよ。僕たちのまなちゃんは、ちゃんと生きてるから」


 マナが、心を殺そうとしているように見えた。あのまなは、ただの記憶だというのに、それでもやはり、耐えられないのだろう。


「まなちゃんさえなんとかしておけば、僕たちの方は焦らなくて大丈夫だから」

「何回もつらいより、一回つらい方が、後が楽です」

「その一回が大きかったら、心が壊れちゃうよ」


 僕にはそれが、よく分かる。


「それでも、情が湧く前に、早く済ませたいって言うなら、僕が全部、やっておくから。君が傷つく必要はないよ」

「あなたがつらいと、私もつらい」


 ……そうだった。この子は、そういう子だった。本気で人を思いやれるのが、マナだ。


「優しいよね、マナって」

「全然、優しくなんてないもん」

「なんでそこで意地張るかなあ……。ま、可愛いからいいけどさ」

「えへへ」


 可愛いのは否定しないらしい。僕はマナから離れて、その顔を正面に捉える。


「あ」


 すると、さえずるような声が聞こえた。


「ん? どうしたの、マナ?」

「ううん。別に、なんでもない」

「いや、気になるから、言ってよ?」


 すると、マナは少し躊躇うようにして、僕に近づくと、自身の頭に手のひらを真っ直ぐ当て、平行に動かした。


「やっぱり、あかね、背、伸びてる!」

「あー、僕、成長期っぽくて、ぐんぐん伸びてるんだよねえ」


 入学前は一五六センチだった身長が、一六〇まで伸びた。まさに今、成長痛とやらを経験している。マナも伸びたようで、追いついてはいないのだが。


 ちなみに、魔法では髪の毛を伸ばすことができないため、僕は長髪のウイッグをつけている。


「ズルいー」

「ズルいって。僕的にはもうちょっと伸びたいんだけど、結局僕って、どれくらいで身長止まるの?」

「私が知るわけないでしょ? あなたのこと、何も覚えてないんだから」

「あーそうだった」


 まななら知っているかもしれないが、それは、未来のお楽しみ、ということにしておこう。


***


 ひとまず、僕は僕に会うことにした。僕なら、事情を飲み込むのも早いだろうと。


 まなの監視をしている僕の手を引き、適当なところに瞬間移動をする。


「……え、どこ? ってか、僕?? どゆこと???」


 どんな状況でも、大した混乱を見せないのが、この僕というやつだ。演技臭い。


「ま、一言で言えば、僕は未来の君だよ」




 ――そんな風にして、僕はこれまでの経緯を話した。


「そういうわけで、ここは、記憶の世界なんだよ」

「なるほどねえ」

「それでさ、相談なんだけど」

「死んでくれって? ま、別にいいけど――」

「そうじゃなくて」


 僕は一呼吸置いてから、尋ねた。




「君と僕、どっちが生きるべきだと思う?」




 彼は、こう答えた。


「そりゃ、僕が記憶で君は本物なんだから、君が生きるべきでしょ」

「この中で死んだらさ、本当に死ぬんだって」

「じゃあ、ますます死ねないね?」

「そこでさ、もしよかったら、僕と体、入れ換えない?」


 そんな風に、軽い調子で尋ねてみると、


「……あー、僕って、こういう感じなんだ」


 実際に自分と接してみると、自分がどんな性格か、よく分かる。分かりきってはいるが、こういう感じとはどういう感じなのか、せっかくだし、聞いてみよう。


「ちなみに、今、僕のこと、どう思ってる?」

「馬鹿だなあって」

「返す言葉もないね」


 すると、今度は彼の方から尋ねてくる。


「マナを幸せにできるのは、どっち?」


 と。


「……少なくとも、僕はマナを幸せにしてあげられなかったよ」


 僕は答えた。


「それならやっぱり、僕が消えるべきだよ」


 と、彼は言う。予想外の返答に、僕は少しだけ、狼狽える。


「なんでさ?」

「君がマナを幸せにできなかったなら、僕にもできるわけないじゃん? しかも、君のマナは、僕のマナじゃないし。――それに、彼女を失う痛みを知ってる君の方が、彼女を幸せにできるよ、きっとね」


 それから、わずかに躊躇いがあって、彼が僕に尋ねてくる。


「ねえ。愛って、なんだと思う?」


 なんとなく、そう尋ねられる気がしていた。答えは、とうに決まっている。


「愛は、僕のすべてだ」


 少し、沈黙があって。彼は、


「だよね」


 まばたきのうちに、僕の目の前から姿を消した。

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