第8-8話 榎下朱音

 彼と僕の差。彼の方が勇気があった。それだけだ。


 僕には、あんな風に自殺する勇気はなかった。それだけの話なのだろう。


「あとは、私だけですか」


 僕の件を報告すると、僕のマナは、やはり、何か思うところがあるようで、考え込むようにして、黙ってしまった。


「マナが敵って、よく考えると、めちゃくちゃしんどいよね。ラスボスどころか、裏ボスじゃん」

「それは大丈夫です。私の方が未来から来ている分、彼女よりも強いですから」

「……え」


 マナイコール最強イコール完璧みたいな図式が世の中的に出来上がっており、僕の中でもおおかたその印象なのだが、それより強いとは。


「ちなみに、僕みたいに説得するとかは?」

「無理でしょうね。あなたのことを覚えていないというのが、どれほど影響を与えるかは分かりませんが、基本的な考え方は私とそんなに変わらないはずです」

「──つまり、殺したくないし、死にたくもないと」

「はい」


 ま、普通、そうだよね。


「じゃあ、僕が殺ってくるよ」

「あなたに私が倒せるんですか?」

「できる……と信じたいねえ」


 たとえ記憶の中の存在だとしても、マナはマナだ。見た目も言動も、そのすべてが彼女なのだ。


 問題は、実力だけじゃない。


「きっと、あの子は、私以上に、亡くなった彼女に似ていますよ」


 そう。僕のマナは、亡くなっている。


 そして、目の前のマナと、記憶のマナ、どちらがより彼女に似ているかと言われれば、そんなの、考えるまでもない。


「それでも今は、僕のマナは、君だけだよ」


 それがどこまで本心だったか、自分でも分からなかった。


 すると、頬にしなやかな手が添えられて、くすぐられる。


「な、何?」

「本当は、虫の一匹も殺せないくせに」


 わずかな頬の動きが、柔らかな手に伝わる。


「人の始末を頼まれても、どうしても、できなかった。だから、男娼になるしかなかった。あなたは、人が死ぬことを、怖がってる。痛みを知ってる分、とっても優しい人だから」

「いやいや、たくさんの女の子たちを壊してきたんだよ。何人かは、自殺にまで追い込んだし」

「私とまなさんを大切にしてくれて、あなたが幸せなら、それでいいよ」

「……まなちゃんを、まだ助けられたかもしれないのに。ハイガルくんなら、心臓を貫かれた彼女を、死なせずにいられたかもしれない。それなのに」

「早く、楽にしてあげたかったんだよね」

「それに、ハイガルくんのこと、本気で殺そうとした」

「殺したかったわけじゃない。あなたは、ただ、二人が付き合うのが嫌だってことを、伝えたかったんだよ。話し合いっていう方法を知らなかっただけ」

「──朱里を、殺した」

「あのまま生かしてたら、もっと酷いことしちゃいそうで、怖かったんでしょ? それに、まなさんが願いを使ったとき、あなたは時を止めた。私たちに、復讐を止めてほしかったから」

「……そりゃまた、随分な信頼だねえ」

「私は、あなたのすべてを、信じてるから」


 こんな、嘘と隠し事にまみれたやつを、信じるなんて、彼女はよっぽどだ。


「心を殺さなくてもいいって、さっきあなたが言った」

「でも、そうじゃなきゃ、過去を殺せない」

「本当に、過去を殺さないと、幸せになれないのかな」

「そりゃそうだよ」

「でも、私は、過去も含めて、あなたのすべてが好きだよ」

「僕は、自分の過去も、今も、全部が嫌いだよ」

「私のことは?」

「そりゃ、好きだよ」

「──嘘つき」


 マナは、優しい笑みを浮かべて、僕の額を指で軽く弾いた。


「もし、私を葬る方が楽だって言うなら、そうしてもいいよ」

「何、馬鹿なこと言ってるんだよ。そんなこと、絶対にしない」

「じゃあ、私を守ってくれる?」

「もちろん」

「でも、過去の私は、守ってくれないんだね」


 両方を守るなんて、そんなのは、無理だ。二人ともが生きている世界は、存在し得ない。


 それに、僕たちは、僕たちの学園生活を、やり直したい。時空の狭間でこそこそ生きるなんてことは、したくない。


 だから、居場所を奪うしかない。


「過去は変わらないけど、今は変わる。変わらないものを尊く思うほど、今の変化がつらく思える。それを、僕は痛いほどに知ってる」


 だから、僕は、過去を捨てることにした。


「僕さ、もう、傷つきたくないんだよ……はは。だから、ごめん。僕に、区切りをつけさせてほしい」

「──あなたがそれを望むなら」


 瞳に渦巻く、色々な感情を抑えて、マナは頷いた。


 きっと彼女は、傷ついてでも、僕にマナのことを忘れてほしくなかったのだろう。叶うなら、ずっと、彼女を想い続けてほしかったのだろう。


 でも、彼女を殺したのは、朱里だ。


 そして、朱里を生き返らせたのは、僕だ。


 彼女が死んだのは、僕のせいだ。


 だから僕は、過去も今も未来も、そのすべてが怖い。


 何より、自分が過去に縋ることが、恐ろしくてたまらない。


「殺さなきゃ、僕のマナを、また裏切ることになる。どんな想いをすることになっても、これは、僕がやらなきゃいけないことだ」


 そういう覚悟だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る