第8-5話 糸
少しだけ、心が動く音が聞こえて、ああ、まだ、死んでいなかったのだと気がつく。
今日は、比較的、気力があるみたいだ。今日は死ねる。今日を逃せば、いつ死ねるかも分からない。
指先が動いた。なんとか、寝返りを打つことができた。立ち上がろうとして、足が思うように動かず、膝をついた。
――足がダメなら、手がある。
「行くのか」
誰かが声をかけてくる。
久しぶりに動かす足が、思うように動かない。マッサージはしてくれていたのか、まったく動かないわけではないが。
「二人がいないと、ダメなんだ」
時を止めればいつでも会えると、そう思っていたから。
「それに、二人とも、僕のことが、大好きみたいだから。一緒にいてあげたいんだ」
絶望を上回るほど、強い気持ちではなかった。
でも、その糸のような希望に、すがってみたいと、そう思ったから。
「変わらないと思ってた気持ちが、少しだけ。本当に少しだけど、楽になった気がしたから」
「二人のところに、行きたい」
魔力を使い果たしたからか、心が疲れているからか、からだが酷く重い。
針が巡っているみたいに、体中がチクチクと痛む。頭は割れそうで、心臓は破裂しそうだ。
「そうまでして、生きてエか」
「生きたくなんてないさ。でも、死に方は選びたい。あと少しの寿命だとしても」
這って、這って、這って。そのノートに、手を触れる。
「二人がここにいないだけで、泣きそうなんだ」
「おめエが一緒に過ごした二人じゃねエだろ」
「違うけど、同じだよ。――同じくらい、大好きだよ」
全身が水に沈むように、吸い込まれていく。
「未練は、ねエのか」
「――生きたいと思えるほどのものはね」
その会話を最後に、僕はこの世界を去った。
***
違和感を悟られないよう。必要以上の不自然を世界に残さないよう。僕たちはまず、過去の自分を始末する必要があった。
「まずは、まなちゃんからだね」
「まあ、あたしにバレたら、強制的に追い出されるものね」
まずは、そこからだ。
「もしよろしければ、剥製にして――」
「脚下」
「えー」
「えーじゃありません」
マナが何やら恐ろしいことを画策していたが、それはともかく。
「ま、まなちゃんくらい、指一本で十分だよね」
「言ってくれるわね」
「私にはできそうもないので、あかね、お願いしますね」
「いやあ、それはちょっと」
「よく言うわね。脳幹ぶち抜けば即死なんでしょ?」
「根に持たれてるっ!」
冗談にもならない会話を、冗談のように笑い飛ばしながら、僕たちは進む。笑いごとで済ませないと、心が持たないから。
「正直、命をとるだけなら簡単だけど、死ぬ瞬間まで気づかれないようにってなると、毒殺するか、睡眠薬飲ませるか、後ろから殴ったりして意識飛ばすか……ま、他にも色々あるけど、簡単そうなのはそれかな。脳幹は飛ばすと結構えぐいって分かったし。二回もやってるから、もういいかなって」
「毒殺にしても、寝ている間に亡くなるよう、調整が必要ですね」
「まあ、睡眠薬でいいんじゃないかしら。その間にグサッとやれば」
「簡単に言ってくれるねえ……。まなちゃんには、魔法が効かないんだよ? どうやって、睡眠薬なんて混入するのさ。しかも、勘だけは異様にいいし」
「そうね……」
ふと、まなは首を捻って、マナの方を見る。
「マナ、何か思いついてるでしょ」
「何のことですか」
「あたしを殺したくないのは分かるけれど、本当のあたしはこっちよ。これから消すのは、ただの記憶。割りきりなさい」
「――嫌だ」
マナは小さく首を振って、まなに抱きつく。
「それじゃあ、もう過去に逃げるのはやめるのね?」
「……嫌だ」
「どっちかよ。三人殺すか、あたしたちが手を引くか。そんなこと、最初から分かってたでしょ?」
「嫌なものは嫌なの!」
マナは、子どものように泣きわめいて、まなに抱きつき、肩を濡らす。その桃色の髪を、まなは優しく撫でる。
「どうしたの、マナ? さっきまで、そんなこと、言ってなかったのに」
「嫌なの。嫌に、なったの。だって、殺さなきゃいけないんでしょ……? なんでみんな、ころすころすって、簡単に言うの。本当は嫌なはずなのに、どうして、そんなに、淡々と言うの」
「あんただって強がってたじゃない」
「強がってたけど、嫌になったからやめたの」
「まったく、面倒な子ね――」
そう。別に、殺したいわけじゃない。記憶の中だからと、同じ姿をした存在を、躊躇いなく消すことなんて、できない。そんな風に割りきれるなら、こんな場所まで逃げたりしていない。
「あかね、何か言ってあげなさいよ」
「僕かあ……」
それは、非常に、難しい問いかけだ。
だが、僕の本心を述べるなら。
「別に、ただの記憶なんだから、殺しちゃえばよくない?」
「ガブッ」
「噛まれたっ!?」
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