第7-5話 進級
結局、あの場で朱里から何があったのか聞き出すことはやめた。
「うおお、見たくない……!!」
「採点ミスがないよう、三回は確認した。文句は受けつけない」
そう、今日は追試の結果を取りに来ていた。他の教科は百点満点を八十点に換算する八掛けで六割取れればいいとのことだったが、無事、合格できた。
後はティカ先生の魔法学だけだ。これは九十五点以上で合格となる。
「あたしは満点だったわよ」
「やめてそういうの!」
さすが、肝が座っているというか、心臓に毛が生えているというか。
「早く見なさいよ。もう変わりようがないんだから」
「そうだけどさあ……!」
心臓が飛び出そうなくらいに緊張しながら、僕は折り畳まれた答案をめくり、そーっと点数を確認する。
――九十五点。
「おおおよっしゃああっ!! ギリギリセーフ!!」
「よかったな、榎下朱里。それから、さすがクレイア。しかし、追試は全教科満点だったらしいが?」
「手を抜いたりしてませんから。一生懸命勉強しただけです」
二人が何か話していたが、嬉しすぎて耳に入ってこなかった。
「あんた、あれだけ教えたのに、何間違えたのよ?」
「え、それ、必要?」
「間違いほど美味しいものはないわ。そこを勉強すれば、確実に賢くなれるんだから」
「めっちゃ頭いい人の考え方ー。えーっとね、ここ」
「計算でケアレスミスしてんじゃないわよ」
「サーセン。それと、ここ」
「ああ、箱の中の小人ね。メルワートの思考実験、有名な話よ」
「いや、知らんけど」
まなが色々と語ってくれたが、よく分からなかった。
「世界を対象に魔法をかけたら、世界全体に魔法がかかるはずだけれど、もし、そこに住む生き物がそれを打ち消す魔法を唱えたとしたらどうなるかって話。たとえば、箱の中にいくつかケーキを入れておいて、全部甘くなれーって魔法をかけたとき、その中に小人がいて、ケーキの一つに、苦くなれーって魔法をかけたら、それは甘くなるか苦くなるかっていう話」
「そりゃあ、魔力が強い方が勝つんじゃないの?」
「そう簡単な話でもないわ。世界の外から魔法をかけると、魔法抵抗値が限りなく〇に近づくから、内側からかけるよりもかかりやすいの」
「へー」
さっぱりわからん、と言いたいところだが、実は身近ないい例がある。れなが、まなの記憶からまゆみを消したという話のことだ。れなは、天界と呼ばれる世界の外側から、まなの記憶を操作したが、まなの魔法抵抗値はかなり高く、それに抗った、という話。
「これが思考実験である理由は、中にいる生物にも魔法がかけられるから。詳しく説明すると、魔法をかけられた生物は、その魔法の魔法抵抗値が急激に増加するんだけど、そうすると、その生物が使う魔法にも影響してくるから」
「つまり、仮に魔法で燃やされてる人がいたとして、その人が何かを燃やそうとすると、燃えにくいってこと?」
「理解が早いじゃない。そういうことよ。体内で燃焼に抵抗しようとするから、それが魔法にも現れるの」
「お前ら、たとえが物騒だな……」
引き気味のティカちゃん。
***
というわけで。
「無事、二年生に進級できたね! やったね!」
「ええ、そうね」
やっと、学校生活にも慣れてきた、といった感じだ。なにせ、初めて通う学校だったので、ルールというものを理解するのが大変だった。小中で当たり前に学んでいるそれを、教えてくれる人はいないのだ。
日直が何か、掃除はどこまで掃除するのか。そもそも、体育で体操服に着替えることすら知らなかった。授業中は授業に集中しなければならない、というのもその一つだ。寝てはいけない、ご飯を食べてもいけない、お菓子を口に入れるのも禁止、飲み物は飲んでもいいが、トイレは許可を取らなければならない。私語をしてはならない、遊んではならない、など。当たり前のように聞こえるかもしれないが、僕にとっては初め、不可解なものばかりだった。
だいぶ分かってはきたが、掃除のときに魔法を使ってはいけない、というのは、いまだに腑に落ちない。
「そもそも、宿題を絶対やらなきゃいけないって、最初分かんなくなかった?」
「さすがにそれくらいは分かったわよ。やってきなさいって、言われてるんだから。ただ、背の低い人が日直にされて、黒板の上まで黒板消しが届かないのは納得がいかないわね」
「掃除もさ、床だけ掃除して、しかも、普段は乾拭きだけって、おかしくない?」
「授業の前に起立と礼があるのも、最初は何事かと思ったわ。しかも、先生は立って授業するのに、生徒は座って授業を受けるって、すごく、変な感じ」
「それだけルールがたくさんあって知ってるのに、それを破る人がたくさんいるのも不思議だよねえ」
「宿題が嫌だっていう神経も分からないわね。どこを勉強すればいいのか分かって役に立つのに」
「なんで昼休みだけスマホ使ってもいいんだろうね」
「どうして靴下とか下着とかヘアゴムの色まで決まってるのかも分からないし」
「そもそも、なんで制服なんてあるのかなあ。ま、可愛いからいいんだけど」
そうして、僕たちの学校生活二年目が始まった。
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