第7-4話 過去は捨てな

「ありがとう、朱里」

「何が?」

「勇気を出して謝ってくれたこと。本当に、ありがとう。だから、今までのこと、全部、許すよ」

「そんな簡単に、許していいの?」

「うん。ずっと、一言謝ってくれたら許そうって、そう思ってたんだ」


 一度、許すと決めてしまえば、心から不要物がなくなったように、スッキリした心持ちになった。


「お兄ちゃんは、どうしてそんなに、優しいのさ」

「前もそれ聞いてたよね」

「……うん」

「別に、僕は優しくないよ。そうだね――朱里が誕生日にくれたプレゼントが、すごく、嬉しかったから」

「そんなことで?」

「そんなことじゃないよ。そのおかげで、僕は、朱里が大好きなんだって、気づけたんだから」


 恥ずかしさを振りきって、僕は朱里の瞳を正面から見つめ、その頭を撫でる。僕がよく、人の頭を撫でるのは、きっと、朱里がそうされるのが好きだからだ。


「ごめんね、お兄ちゃん。本当に、ごめんね……っ」


 初めて見た。朱里が泣くところを。


 その涙を指で拭ってやる。


「大丈夫だよ。そんなに謝らなくても」

「……ダメだよ。今さらだもん」

「何が?」

「それは――」


 唇が震え、声が言葉にならず、か細い息となって消えていく。


 明らかに、様子がおかしい。


「ゆっくりでいいから――」


 そう説得しようとして、時が止まった。


「……今度は何?」


 目の前の朱里は怯えた表情のまま固まり、世界から音が消えた。


 時の正常な空間では、ゼロ地点の補正は無効なため、僕は移動していない。そこで自身の魔力により時を止めることで、ゼロ地点を移動させられる。


 つまり、白と桃の少女たちを呼び寄せる。時を止めた誰かとともに。


「……れなさん」

「やあやあ、あかりん、久しぶりだねん」


 れなが関わると、ろくなことにならない。


 というよりも、れなが関わるのは、ろくでもないときだけだ。


「何の用ですか」

「いやー、まー、見ての通り、その子に関することなんだけどねん?」


 そう言って、れなは朱里を指さす。


「……朱里がどうかしましたか」

「そんなに睨まなくてもいーじゃん。昔みたいに、仲良くしよーよ、ね?」


 嫌な笑みだ。


「それで、用件は? 今、朱里と話をしていたんですけど」

「うーん、まー、色々とねー」


 僕はその様子に違和感を覚える。彼女が言いづらそうにしているのは、非常に珍しい。


「その子が隠してること、聞かない方がいいと思うよ」

「え、なんで?」

「その質問の答えと、その子の隠し事は一緒だってば」


 れなは苦笑して、固まっている朱里の頬をつつく。


「それだけ言いにきたんですか?」

「うん、それだけ」


 神出鬼没さには慣れてきたが、こうしてはぐらかされると、もやっとする。


「でも、聞かなかったら、朱里はずっと、苦しみ続けるんじゃないんですか?」

「かもね。だけど、聞いたら、絶対に後悔するよ」

「僕が?」

「そ。……まー、いずれ、知ることになるんだけどね」


 そう言って、れなは口を閉ざす。一体、朱里は何を隠しているのだろうか。




「一つだけ言っておく。――過去は捨てな」




「それってどういう」


 意味を尋ねようとしたが、すでに、そこにれなの姿はなかった。しかし、まだ生きていたとは。


「過去は捨てな――めちゃくちゃカッコいいな、意味わかんないけど」

「あんた、相変わらずおめでたいわね」


 と、それまで静寂を保っていた(まな)が、呆れた様子でため息をつく。


「二人は何か知ってるの?」


 赤と黄の瞳をつき合わせてから、二人はふるふると首を振る。可愛い。


「私たちも、常にあなたを見ているわけではありませんから」


 と、最近、普通に話してくれるようになった愛が言う。


「二人のときって何してるの?」

「そうね、旅行とか、まあ、色々?」

「この間はスキーに行きましたよ。雪原で雪に遊ばれるまなさんが、とても可愛かったです」

「犬ぞりに乗ったら、そのまま巣穴まで連れていかれて、大変だったわ」

「まなさんを自分たちの子どもだと勘違いしたようで、狼の肉を食べさせられそうになっていました」

「何をどうしたら間違えるのかしらね」


 なんやかんや、楽しそうだ。


「そういえば、あんた、魔力は大丈夫なの?」

「ああ、そろそろ、ちょっとヤバイかも」


 時間が停止している空間では、疲れを感じない。調子に乗りすぎると、疲れるより先に魔力の使いすぎで死ぬ、なんてことになりかねない。


「それじゃあ、そろそろ」

「あ、待って!」


 愛に呼び止められて、僕は首をかしげる。すると愛は、


「いつでも、頼ってくださいね」


 とびきりの笑顔で微笑んだ。

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