第1-7話

 僕は額の冷や汗を手で拭う。もし、障壁を張るのが一瞬遅れていたら、大爆発により、辺り一帯が火の海と化していた。


「ふう、ギリギリセーフ……」


 振り返り、二人の姿を視界に捉える。


「二人とも、怪我はない?」

「ええ、なんともないわ」

「はい」

「良かったあ……」


 そうして、二人に抱きつく。まなはぽかんとした顔をしているが、アイは極めて冷静なようで、耳打ちしてきた。


「後でお話があります」


 僕は小さく頷いて、その、ぞっとするほど蠱惑的な声に、了解の意を示した。


***


 事情聴取は受けたが、特に咎められるわけでもなく、正当な働きをしたとして、褒められることになった。感謝状が云々とか言っていたが、僕は褒められることに慣れていないので、丁重にお断りした。



 ――そうして、三人で帰宅する途中、突如、赤髪の男性が目の前に現れて、進路を塞ぐ。


 見覚えがあるのは確かだが、誰だったか思い出せない。野郎の顔など、いちいち覚えていない。


 しかし、僕の知り合いということは、アイの知り合いでもある可能性が高い。横顔から覗いて見える、アイのギラギラした目が、それを証明している。


「まなちゃん、ちょっと離れてよっか」


 そうして、困惑するまなとともに、その場から離れると、アイが視線をちらりとこちらに向けた。


 再び、アイが前方に警戒を戻すと、赤髪が砕けた調子で口を開く。


「そんなに警戒すんなって。用件だけでも聞いてくれや」

「聞かずとも分かります。エトスに連れ帰るよう言われたのでしょう?」

「なんだ、分かってるじゃねえか。そいで、返事は?」

「肯定だと、そう思いますか?」

「いんや、思わねえよ」


 一触即発の気が流れる。そして――。



 次の瞬間、決着がついていた。



 勝ったのは、アイだ。地に伏せている赤髪の男を、アイは魔法で鳥に変え、雑に掴んで持ち上げる。


「エトスに伝えなさい。今夜、帰省するので、大人しく待っているようにと」


 そうして、その鳥を、アイは宙へと、容赦なく、投げた。人類最強と呼ばれることもある彼女の投てきならば、大気圏くらい突っ切るだろうなと、心の中でそっと、男に祈っておく。


「マナ、一旦、向こうに帰るのよね」

「はい。即位の儀を済ませ、女王になった後、三日後にはこちらに戻ってくる予定です」


 淡々と言うアイに、僕はあえて、不満を包み隠さず、尋ねる。


「――ねえ。僕、何も聞いてないんだけど?」


 何も答えないアイと僕の間を、まなの視線が行き来する。黙殺するアイに、宿舎にたどり着くまで、しつこく聞き続ける。


 すると、やっと観念したのか、宿舎のロビーで、アイはとびきりの無表情で、死んだ目で、抑揚もなく、こう告げた。


「なぜあなたに教える必要があるんですか? 彼氏面しないでください。もう別れたんですから」


 確かに、振ったのは僕だし、それはよく分かっている。


 だが、僕は今でも――。いや。


 すべてを思い出してしまったから。僕はもう、彼女に本当の想いを伝えることができない。


 それでも、彼女に気づいてほしいから、僕は、今までと変わらない調子で接している。



 僕はまだ、彼女を壊せていない。



「いやいや、だって、まなちゃんには言ったんでしょ? 僕にも教えてくれたっていいじゃん?」

「なぜですか?」

「なぜって、僕たち、まなちゃんと同じ、友だちでしょ?」

「あなたは他人です」

「辛辣!」


 アイが体を真っ直ぐこちらに向けて、迷うようにして口を開く。


「あなたは……何がしたいんですか?」

「何って?」

「私にそこまで執着する理由を尋ねているんです」

「それは、言えない」


 ――言いたいけどさ。


 次の瞬間、頬に拳が飛んでくるのが見えた。以前、殴られたときのことが頭をよぎり、咄嗟に避けると、体勢が崩れたところに、アイが覆い被さってきて、そのまま地面に叩きつけられる。


「ちょっと、マナ!?」


 それから、彼女は僕の首に手をかけて、思いきり、締め上げた。


「あなたさえいなければよかったのに」


 それは、いつでも優しく、笑顔でいた彼女から聞く、初めての、怨嗟だった。


「う、ぐぁ……」

「本当に死んじゃうわよ! マナってば!」


 まなが彼女を揺するが、無意味だ。一般人にどかせるような、生半可な力ではない。本気で、彼女は、僕を殺そうとしている。


 その顔はどこまでも無表情で、淡白で――綺麗だった。


「あなたに出会わなければよかった」


「あなたをこの世界に呼ばなければよかった」


 一変して、彼女の顔が、真っ赤な怒りに染められる。


「あなたなんて、愛さなければよかった!!」


「大っ嫌い!」


「二度と私に関わらないで!」


「あなたの顔なんて、もう見たくない!」


「消えてよ! 私の目の前から、いなくなってよ! 死んじゃえ!」


 ――ああ、僕は、こんなにも、彼女を苦しめていたのか。


 そんなこととも知らずに、僕は。




 はは、嬉しいなあ。




 あのね、アイ。


 その怒りはむしろ、僕のことが大好きだって、物語ってるんだよ。


 この痛みと苦しみの分だけ、僕は君の愛を感じられる。


 大丈夫だよ。そんなに悲しまなくても。


 もっと僕を愛させて、いつか、壊してあげるから。


 待っててね――。


はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは

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