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「ゆりあ、そのカップ、ずっと大切に使ってるよねん?」

「うん、そうだね。――ま、そろそろ、潮時かなとは思うんだけど」


 紅茶を飲みきったカップを掲げて、ゆりあは側面の柄を見つめる。


「潮時ってことは、また壊しちゃうのん?」

「うん。破壊神のボクには、それが一番、楽しいからねえ。それに、壊れるからこそ美しい、っていうのも、絶対にあると思うんだ。ま、定期的に壊さないと、増え続ける一方だし」

「……そうだね」


 そらは、ゆりあが持つカップが儚く崩れ去るのを、うっとりと見つめていた。その瞳をゆりあは捉える。


「そらの目って、綺麗だよね」

「うん! そーなの! あたし、赤って、目立つから好きだよん。どこにいても、見つけてもらえるからねん」

「……昔は四人とも、黒だったよね」


 ゆりあの呟きに、そらは少し、間を置いて答える。


「あたしたちが、日本で育った、ごくごく普通の高校生だったのは、ずっと昔の話。今のあたしたちは神様。あたしが死の神で、ゆりあは破壊の神。のいとが無の神で、そして、まなが主神。何もない場所に飛ばされてきたあたしたちは、まなが主神になって世界を創造してくれたおかげで助かったけど、そういうのは、もう全部昔の話。今さら、恩とか、罪悪感を感じる必要はなーよ。だから――過去は捨てな」

「そらって、今でもたまに不良時代の癖出るよね」

「出ちゃってた?」

「出てた出てた」

「……てへっ」


 こつんと、自身の頭を叩くそらに、ゆりあが失笑する。


「そういえば、まなが自分の力の一部を、のいとに渡したって聞いたけど」

「うん、知ってる」

「相当な親バカっぷりみたいだね。そらも、死神として、何かやってたりするの?」

「まー、あたしは決められた通りに動いてるだけだから」


 そらは、赤い瞳をわずかに細めて、虚空を見つめた。


「それで、娘ちゃんはつらい死に方に当たりそう?」

「そんなのあったら、消し炭にしてるよ」

「ですよねえ。てか、できるんじゃん」

「まー、ある程度はね」


 こうして、そらとまなは、娘の目の前に立ちはだかる障害を、すべて取り除いてやろうとしていた。


 ――そして、事件は起きた。


***


 そらが出産した子どもは、間違いなく、女だった。かわいらしい女の子だ。



 しかし、赤子は、双子だった。両方、女ではあったが、片方が桃髪であるのに対して、もう片方は、綺麗な、白髪だった。



「どうして……」


 桃髪をむしるようにして、まなは頭を抱える。全知全能、絶対不可侵の存在である彼が、なぜ、こんなにも単純なミスを冒したのか。


 簡単な話だ。――気づかれないように、細工がされていたからだ。


「まなは、絶対にあたしたちの子どもを、神様みたいにしちゃうと思ったから。あたしはせめて、片方には、普通の生を送ってほしかったの」

「のいとに、頼んだのですか」

「……うん。片方、まなに見えないようにしてほしいって」


 そらは白髪の女の子を抱き上げて、その頬を親指で優しくなぞる。


「隠してて、ごめんなさい。でも――」


 彼は黙って首を振る。



 主神だからこそ、分かっていることがあった。白髪の女の子には、ほとんど属性がない。生きることも消えることもできない、不完全な存在だ。髪の色すら、彼女には与えられていない。それでも、こうして二人とも生まれてきたのには、理由がある。


 もともと、全知全能の存在となるはずだった白髪の赤子が、その属性のほぼすべてを、髪色も含めて、腹の中で桃髪に譲ったのだ。


 それが、可能なのかどうかは、まなを含め、誰にも知りようがなかったが、そうと考えるより他になかった。全能の力を持った子が、主神の力を上回ったのだ。


「この白髪の子は、普通に生きていくことができない。たとえ、地上に送ったとしても、生まれてすぐに死ぬことになるでしょう。死神である君なら、今は、分かっているはずです。生まれた後の生命に対して、神はあまりにも無力だと」

「……こんなことになるって思わなくて、ごめんなさい。でも、あたしが何も知らなかったのは、まなが何も話してくれないからじゃん」

「僕が、一番傷ついたのは。君が、何も相談してくれなかったことですよ」


 そらの顔には、彼女の赤い瞳に映るまなと、同じくらいの痛みが広がっていた。何も話さなかったのは、彼女に重荷を背負わせたくなかったからだ。しかし、それは、心のうちに留めることにした。


「僕は、白髪の子を、自分の子であるという事実から切り離します。幸い、ほとんど僕の影響は残っていない上、存在自体も不安定ですから、簡単にできますし」

「……え? 自分の子どもなのに、どうして、そんなこと――」

「白髪の女の子なんて、僕は知らない」

「酷い……酷すぎるよ……! あたしが隠してたのは悪かった! でも、だからって、そんなことしなくていいでしょ!? どうにかして、人生を送らせてあげる方法があるかもしれないじゃない!!」

「ないです。天界に存在させ続けることすら難しい。いっそ、ここで、消滅させてしまった方がいいくらいです」

「何それ……ッ!」


 彼は、何も話さなかった。ただ、自分のうちに収めておくことに決めた。


 どれだけ、属性を分け与えようとも、まなは、自身の二人の子どもに、一つの魂しか与えなかった。


 ――だから、魂は、二分してしまった。


 それが意味するところ。


 天界でそれ以上の成長を望めなくなったとき、二人は必ず、地上に降りると言い出す。


 二人は、お互いの存在に影響を及ぼし、お互いに惹かれ合い、どこか似たような生を送ることになる。少なくとも、名前と生年月日は一致するだろう。


 そして、彼女らの魂が成長し、完全なものとなり、地上での生を全うしたとき。




 ――二つの魂は、一つに収束する。




 そうなったときに、二人がどうなってしまうかは、まなにも分からない。だからこそ、そんなことが起こらないように、彼女らの魂には、決定的な差を与えなければならない。


 そのためには、まながどちらかと縁を切るしかないのだ。パズルのピースの形自体を変えてしまえば、組み合わせることは不可能になる。そうすれば、二人は二人のままで、生きていける。




 そんな想いを一人抱えて、彼は、白髪の子と縁を切った。


 どちらも、同様に愛していた。成長を見守り、ともに笑いたかった。だから、自身への罰として、不幸にしてしまった方を、自身の持つ運命から切り離した。


 力の一端を、のいとから返してもらうことはしなかった。あの力は、問題を解決するには足りない。それに、これ以上、彼女らの生に影響を与えるべきではないと、自戒したからだ。


「絶対に、許さない……!」

「許さなくていいですよ。――永遠に、恨み続けてください」


 その恨みだけが、彼女が彼を愛していた証拠だから。


***


「お父様!」

「はい、どうしました?」

「私、地上に行きたい!」


 まるで、そう言われることが分かっていたかのように、彼は娘の頼みに、即座に頷いた。


 それから、諸々の準備を整えて。彼は、娘を送り出す。


「幸せになるんですよ」

「うん!」


 自分そっくりな桃髪の少女は、黄色の瞳をきゅっと細めて、それから、彼の頬にキスをした。


「行ってきます!」

「行ってらっしゃい」


 娘を見送った後で、彼は振り返る。


「本当に、地上に行くの?」


 そこにいたのは、亜麻色の髪の少女、ゆりあだった。


「はい。誰も、僕に罰を与えることはできないから、僕自身が、自分を罰するしかないんです」



 彼は、記憶を消して、自分の娘と同じように、地上で双子として生まれることにした。


 ――神の影響は、近くにいる者ほど受けやすい。そのため、双子の片割れであれば、確実に影響を受けることになる。


 その片方が、破壊神であった場合。周囲の人間を殺されるかもしれないし、破壊衝動が移るかもしれない。どちらにせよ、確実にという形で何かしらの問題が起きる以上、簡単には幸せになれない。


 そのため、双子の片割れとして、破壊神であるゆりあを選んだ。



「地球で生まれた僕たちは、地球に降りることになります。しかし、娘は、僕の作った世界に降りることになる。それでは、娘に干渉できない。――だから僕は、十五になったら、記憶を取り戻せるようにプログラムしました。そこからは、娘たちを幸せにするべく、行動するつもりです」

「……分かったよ。高校時代のよしみで付き合ってあげる。ボクだけ記憶を持ってるのって、なんだか大変そうだけど」

「ありがとうございます、ゆりあ。僕は、主神の仕事があるので、ストックのなくなる十六年後にはこちらに戻って来ないといけませんが、その後であれば、あなたは地上で好きに過ごしてくれて構いませんから」

「はいはーい」


 こうして、二人は地上で、双子として人生を送ることになる。まなは、すべてをリセットして、ただの人として。ゆりあは、記憶と力を引き継いで。




 ――一方、そらたちの方でも、同じような会話が行われていた。


「お、お母さん! 私、地上に行きたい!」

「うん、いいよいいよー!」

「ありがと、行ってきます!」

「行ってらっしゃい」


 小さな背中を見送って、そらは娘に向けていた笑顔を、瞬時に消し去る。


「のいと、行こう」

「本当に向こうに拠点を構えるの?」

「うん。あたしたちが、あの子たちを、幸せにしてあげなきゃ。ずっと見守るって、誓ったから」

「……分かった」


 赤い瞳に決意を宿し、のいととともに、そのままの姿で地上へと向かう。二人はすでに、地上で名を受け取り、生を送りながら、天界と地上を行き来していた。


 また、そらは、のいとから、まなの力の一部を受け継ぎ、未来の『可能性』のすべてを知ることになった。


 起こりうるすべての可能性が、彼女には見える。何をすればどうなるか、すべて見えているのだから、娘を救うことだってできるはずだ。


「待っててね、まなちゃ。――あたしだけは、愛してるから」


 失った愛の代わりを求めて、そらは子どもに、地上でまなと名がつくように、操作した。

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