第5-4話

 歩いて五分の宿舎へ戻り、まなをベッド脇に座らせ、寄りかかってくるその背を擦る。


 しばらくして、落ち着いた様子のまなは、僕の腕にしがみつく。それを見て、僕は問いかける。


「今みたいなことって、前にもあった?」

「ううん」


 僕にとっては日常茶飯事というか、ルーティーンみたいな頻度で起こるものだが、普通はそうでないのも知っている。


 そして、それがいかに辛いかも知っている。


 だから、僕はまなを抱きしめて言う。


「大丈夫だよ」

「うん、本当に、ありがと」


 こういうところが、甘さなのだろうなと思う。


 人を騙したり、依存させたり、その上で突き放すことには、なんの罪悪感も湧かない。


 ――なのに、自分と同じ環境に置かれていると思うと、どうしても、罪の意識が湧く。


 いっそ、心など、なくなってしまえばいいのに。


「あかねといると、すごく、安心する」

「……安心するのはこっちだよ」


 どうして、彼女の前だと、こうも容易く、本音が漏れてしまうのだろう。


 そんなに僕は、彼女を信頼しているのだろうか。


 いや、信頼しているに決まっている。


 ――彼女の境遇の辛苦を理解するために、僕はこの道を選んだのだから。


 だが、それはそれだ。


「ねえ、まなちゃん」

「何?」

「君の願いを、僕にくれないかな」


 まなの記憶から、まゆみは消えた。


 その上で、ハイガルを治すこともしなかった。


 となれば、彼女は――。


「願い、は。願いは、すごく、大事なものなの」

「知ってるよ。だから、大好きな僕に、頂戴」

「……そうしないと、一緒にいてくれないの?」


 これでも足りないのか。


「まなちゃんは、願いを何に使うつもりなの?」

「分かんない。分かんないけど、あかねが、言ってた。願いは、よく考えて使わないと、って」


 どうやら、僕の言葉が枷となっているらしい。自業自得だ。


「まなちゃんが今、一番大切なのは、何?」

「私が一番、大切なのは――」


 当然、僕と答えると、そう思っていた。


「私自身だよ。そうじゃなきゃ、こんなにあかねやマナを、苦しめたりしない」


 しかし、そうはならなかった。


 自分が一番だと言われてしまっては、どう説得すれば、願いが僕の元にくるのか分からない。


 彼女自身が何を願うかだけだ。


「もし、願いを叶えてくれないなら、一緒にはいられないって言ったら?」


 すると、まなは僕の顔をきょとんとした顔で見つめて、


「私は、あかねがいなくなったら、どうなっちゃうか、分からない。でも、あかねだって、私がいなくなったらどうなるか、分からないよ」


 そんなことを言った。


 その言葉に引かれるようにして、まながいなくなることを想像した。



 アイは、すっかり変わってしまった。


 ギルデルドとは喧嘩して、それきりだ。


 他に頼れる人なんて、異世界から来た僕にはいない。



 ――ああ、一人だと、そう思った。



 まるで、心臓をまなに握られているみたいだ。



「……ごめんね」


 もう、アイの元に帰ることはできないのかもしれない。


 それでも、彼女のために、僕は朱里を生き返らせる。


 生き返らせなければならない。――本当に?


 今さら、そんなことをして、何になる。


 アイと結ばれることができないのなら、「呪い」を解く必要も、運命を入れ換えて寿命を伸ばす必要もない。


 そこに残るのは、まっすぐに歪んだ復讐心だけだ。


「私の願いを使ってしたいことって、何?」

「妹を、生き返らせたい」


 まなは、黙って何かを考えているようだった。


 そして。


「嫌だ。生き返らせたら、その子にあかねを盗られちゃう」


 と言った。


「じゃあ、時を戻すしかないね」

「え?」




 ――時を巻き戻す。




 この会話は失敗だ。どこで間違えたのかは分からない。だが、ダメだった。


 念には念を入れて、願いのことを言う前に。


『君の願いを、僕にくれないかな』


『何?』


『ねえ、まなちゃん』


 ここだ。


 瞬間、全身の毛穴から汗が噴き出し、体温が一気に上昇する。心臓が破裂しそうだ。


 そんなときでも、平然を装いはするが、さすがに、この距離では誤魔化しきれない。


「あかね、大丈夫?」

「うん、へーきへーき」


 襟首をパタパタと動かしていると、まなは僕の膝に横向きに座り、心臓に耳を当ててくる。


「何があったの?」

「いや、何も?」

「何じゃなくて、何あったか聞いてるの」

「なるほどね、君の中では何かがあったことは確定なんだ。何もないけど」


 さすがに誤魔化しきるのは難しいか、などと考えていると、


「……そう」


 と、意外にもあっさり引き下がった。――いや、僕が困っていたから、追及を避けたのだろう。


 その白い頭を何度も撫でる。


「本当に、小さいね」

「嫌なの?」

「ううん。最近、僕ってロリコンなのかなって思ってる」

「ろりこん、って、何?」


 ああ、この感じ、たまらん。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る