第5-3話

 冬場に、氷水のシャワーを浴びせられた。無論、妹は魔法が使えるので、それくらい、簡単にできた。


「やめてよ!」


 どれだけ叫ぼうとも。


「私のことが好きだって言ってくれたら、すぐにやめてあげる」

「好き! 大好き! だからやめて!」

「全然気持ちがこもってないからダーメ。ほら、早くしないと、死んじゃうよ? お兄ちゃん」


 その声は、届かない。誰も、助けてはくれない。


 いつからか、僕を朱音と呼ばなくなった彼女は、ことあるごとに、僕に力の差を見せつけるようになっていた。足は動かず、手は縛り上げられて、当然、逃げることなどできるはずもないのに、執拗なまでに、朱里は僕を追い込んだ。


「好き」

「やり直し」

「好き」

「全然ダメ」

「好き」

「言ってるだけじゃ、止めてあげないから」


 ──いっそ、このまま、死んでしまおうか。


 そんなことを何度も思った。


 だが、死なせてはもらえなかった。


 死にかけたことは何度もあったのだろう。


 その度に魔法で回復されたのだ。


「大、好き……」


 寒い。寒い。寒い。寒い。寒い。


「寒い──」

「大丈夫。ここにいるから」


 現実の声と背中の熱に、意識を溶かしていく。


 情けないなと思いながら。


***


 次に目を覚ましたときには、背中の熱は消えていて、代わりにブランケットがけられていた。心はすっかり落ち着いていた。


「あ、起きたっ!」


 白髪の少女は、ぴょんぴょんと跳び跳ねるようにして、目覚めた僕の元へ走ってくる。それから、僕の手をとって、


「うん、あったかい」


 と言って、ふんわり笑う。


 僕は思わず、その笑顔を抱きしめる。少女は一瞬、驚きを露にするが、すぐに尋ねてくる。


「怖い夢だった?」

「うん、すっごく」

「じゃあ、ずっと一緒にいてあげるね」

「ありがとう」


 優しくされるほどに、罪悪感が湧き上がる。今、僕がしていることは、朱里が僕にしてきたことと、さほど変わらない。


 それは、分かっている。


「大丈夫。知ってるから」


 と、まなが言う。


「何を?」

「あかねが本当に好きなのは、マナだって。だから、責めるなら、私を責めて」


 そんなことを言われたら、責めるに責められない、ということは、分かっていないのだろう。


「マナは、何も悪くないの。だから、マナを嫌いにならないで」


 なぜそこまで、アイに肩入れするのだろう。酷いことをされたのに。


「大丈夫。私がなんとかしてみるから」


***


 その日は二人で学校を休んだ。夢見が悪くて休むなんて、普通はないのかもしれないが、そういう日だってあってもいいだろう。


 そして、次の日。またしても、アイは早い時間に登校していた。


「マナ、おはよう」


 朝。白髪の少女は、挨拶をした。当然、無視だ。


「マナ、お弁当作ってきたの。よかったら食べて」


 昼。差し出された弁当に見向きもせず、アイはコンビニのおにぎりで昼食を済ませた。


「マナ、二人で組まない?」


 午後。体育の授業でペアを組むことになった。男女別では男子の方に参加している僕だが、体育はたいてい見学している。人に触れられないからだ。


「先生。体調が悪いので、保健室に行ってきます」

「大丈夫、マナ? なんなら、ついていくけど」

「一人で行けます」


 アイは露骨にまなを避けた。当然、仮病なので、帰りのショートホームルームとやらには、帰ってきた。


「マナ、大丈夫だった?」


 そう悪意なく尋ねるまなに、アイは舌打ちをして、席に着いた。クラス中がざわついている。


「まなちゃん、話しかけるの、もうやめたら?」

「なんで? あたしが話しかけてるだけなんだから、別にいいでしょ」


 ──驚いた。あれほど僕の機微に敏感なまなが、クラスの雰囲気を少しも感じ取っていないという事実に。


 そうしてまなは、ショートが終わるなり帰ろうとするアイの手を、掴む。


「待ってマナ──」


 瞬間。アイがその手を振り払い、まなは床に突き飛ばされる。



「この、穢れた血が。今度、私に関わったら、この世界にあなたの居場所はないと思いなさい」



 底冷えのするような温度でそう告げて、アイは教室から立ち去る。その背を、水色の髪が追いかけていくのが見えた。


「まなちゃん、大丈夫?」


 その背を擦ると、まなはびくっと体を震わせ、片手で自身の胸の辺りを押さえ、呼吸を荒らげる。


 そして、倒れた。


「はあっ、はあっ……」


 虚ろな赤い瞳から、涙がこぼれる。人の視線から逃れるように反対を向き、小さく丸まって、全身を震わせる。


 その場に釘付けになる聴衆を置き去りに、僕はまなを抱き上げてその場を去る。このまま待っていたところで、落ち着くこともできないだろうと判断して。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る