大好きと大嫌い
私には、前世の記憶があった。
遠い戦場。見慣れた血の色。魔法。
そんな自分が、他人とは違うと気がついたのは、双子の兄の存在が大きかった。
私は、両親が話す知らない言語を、数日で把握した。
兄は、初めて意味のある言葉を話すまでに、一年以上かかった。
私は、子ども用のオモチャが、つまらなかった。
兄は、どんなオモチャにもキラキラと目を輝かせていた。
私は、教えられずとも、なんでもできた。
兄は、教えられても、すぐにはできなかった。
まるで、私たちは、比べられるために生まれてきたみたいだった。
――私は、全部知っていた。
私と兄は、生まれながらにして魔法が使えることも。
私たちがなぜ、双子として生まれてきたのかも。
十五の誕生日に、兄がすべてを思い出すであろうことも。
──知っているだけだった。
本当の私がどこにいるのか、分からなかった。ただの記憶が、日に日に、私という人格を侵してくるのが分かった。
遠い声が聞こえ続けていた。
──壊せ、殺せ、いたぶれ。
我が家の教えはこうだった。
──優しく、親切に、笑顔で。
兄はその言葉通りに育った。
私は、その言葉通りに生きようとすればするほど、苦しかった。
生まれながらの破壊衝動と、育まれていく常識の矛盾に、頭がどうにかなりそうだった。
それでも、誰にも言えなかった。言ったところで、信じてもらえるとは思えなかった。たった五歳の子どもが、「前世の記憶がある」、「そこでは人を殺すことが正義だった」、「実は魔法が使える」、なんて言ったところで、信じてくれるはずがない。
そして、この世界で、絶対にやってはいけないことがあった。
──魔法を使うこと、だ。
八歳を過ぎて魔法の存在を、心の底から信じている者は、魔法を使えるようになってしまう。それは、この世界でも同じだ。
そして、どうしても、魔法のないこの世界に、魔法を持ち込むわけにはいかなかった。
世界の魔力が不足すると、自然災害が多発するようになる。そして、元々、この世界の魔力は少なかった。誰か一人が使い始めれば、すぐに、全員が使うようになるだろう。
だから、私は兄の真似をするようになった。不審がられないように。
無知を装った。
欲しくもないオモチャを、兄と取り合った。
たまに子どもらしく、悪いことをしてみた。
――ただ、できないフリをするのだけは、想像以上に難しかった。
いつからか、私はできる子として見られるようになっていた。人より成長の遅い兄との比較も手伝って、余計に。いい子だと褒められることも多かった。
私は生まれながらにして魔法が使えたが、それでも、八歳までは使いづらいままだ。もし、私が普通の転生者であれば、ほとんど使うことはできなかっただろう。
だが、私には使えてしまった。
そう、八歳に近づくにつれて、どんどん魔法が使えるようになってしまう。
それとともに、抑えきれない破壊衝動が、意思とは無関係に、魔法に変わってしまうようになる。
気づけば、部屋に、壊れたことのないものはなくなっていた。壊れてもすぐに直してはいたが、気づかれるのも時間の問題だ。
急に目の前の物が壊れてしまうのが、私にとっては恐ろしかった。
しかし、記憶の中のボクは、人を殺しても、平然としていた。
そして、その平然としていられる気持ちが、嫌というほど理解できた。
それが、気持ち悪かった。
「あかりちゃん、あそぼー」
そう言って、兄は無邪気な笑顔でやってきて、ぎゅっと、抱きついてくる。
私は兄が大好きだ。
だが、近くにいれば、そんな兄を壊してしまうかもしれない。
それが怖い。
でも、どれだけ嫌がらせを繰り返しても、兄は私を嫌いになってはくれなかった。遠ざけてはくれなかった。だから、ある日、聞いてみた。
「あかねちゃんは、どうして、あかりちゃんのことが大好きなの?」
「そんなのきまってるじゃん! あかりちゃんは、あかねちゃんのいもおとだもん!」
──そんな言葉に、幾度、救われただろう。
それから、ちょっと頭の足りない兄は、
「あれ? いもおとが、さきにうまれたんだっけ? おねいちゃんとおにいちゃんなら、どっちがさき? おとっとお、と、おとおとは、どっちがおんな?」
などと、わけの分からないことで悩んでいる。そんな姿すら、愛おしい。自分のことを「あかねちゃん」と呼んでいる、その無邪気さが、眩しい。
「ま、どっちがさきでもいいや。なにがあっても、あかねちゃんは、あかりちゃんの、おにいちゃんだから! だから、ぼくがまもってあげるね!」
――自分が何者か知ったとき。私が何者か知ったとき。私が、取り返しのつかないことをしたとき。
それでも、兄は、私を、変わらず好きなままでいてくれるだろうか。
「あかねちゃんね、あかりちゃんのかんがえてることね、ちょっとだけ、わかるよ。ふたごだからかな?」
すごく、安心した。心強かった。
兄がいてくれる限り、私は一人にはならない。
そう思えるだけで、この世界を生きていこうと思えた。
「だから、こわいときは、ぎゅーってして、あたまをなでてあげるね」
そうして抱きしめて、頭を撫でてくれる兄を、私は狂おしいほどに、愛していた。
──だが、やってしまった。
目が覚めると、両親が死んでいた。
寝息を立てる兄を見て、これが魔法の仕業だと分かった。兄だけが幼くて、魔法が効かなかったのだ。
──耐えられるはずがなかった。
できもしないのに、両親を魔法で生き返らせようとする私に、頭の中で記憶がささやく。
「お前は、壊すことでしか生きられない」
「壊せ」
「生き残った兄の心を」
記憶の中では、当たり前のように聞こえていた声が、今の私を蝕んでいく。
「お前が彼を、愛しているのなら」
それが、私の理性の限界で、ボクの目覚めだった。
***
マナを連れ出して、ボクは城下町を歩いていた。目的は、彼女を殺すことだ。――このままでは、ボクの大好きなお兄ちゃんが、盗られてしまう。
――それに、マナはお兄ちゃんの、娘だ。正確には、天界での親子だが、だからこそ、地上よりもダメなのだ。
天界のルールは、どんな理由があっても、許されることがない。親子間で結ばれることは、固く禁じられている。
破ったが最後、お兄ちゃんは主神の立場を失い、マナと永遠に会わせてもらえなくなる。そんなの、もっと可哀想だ。
だから、今、殺す。――手遅れになる前に。
「あかねさん、今日はお誘いいただき、ありがとうございます」
「いえいえ! こちらこそ、お忙しいところ、ありがとうございます!」
彼女は、本気でボクが、ただ遊びに誘っただけだと思っているらしい。
そんなわけがないのに。
――記憶のボク、つまり、ゆりあは、実はそらが好きだった。だから、マナ――今のお兄ちゃんのことは、嫌いだった。
でも、それ以上に、そらの笑顔を見ているのが、すごく、幸せだった。だから、マナのことも大事にしてやった。
なのに、二人はダメになってしまった。ボクは、何も知らなかった。
そんな二人の子どもを殺そうというのだから、いよいよ、二人と関わる資格なんて、ボクにはないのだろう。
「そういえば、あかねさんは、お菓子がお好きなんですか?」
「はい、そうですが……よくご存知ですね?」
「あかりさんが、『あかねはお菓子だったらなんでも食べるんだけど、好き嫌いは多いんだよねえ』と、言っていましたから」
「えっ、いまの、あかりの真似ですか? すごく似てますね!」
「ちょっとした特技なんですよ、ふふん」
かわいい。――そりゃ、かわいいに決まっている。大好きな二人の子どもなのだから。どう見たって、二人と切り離せない。特に、お兄ちゃんのほうに、すごく似ている。声真似は、また別だが、こちらもよく似ている。
それはそれとして。――お兄ちゃんは、一体何をペラペラと話しているんだ? ボクの弱点を勝手に教えるなんて、これは、お仕置きが必要だね。
すべては、大好きなお兄ちゃんが、これ以上、傷つかないために。
――マナを好きになってしまったら、きっと、これまで、ボクに受けてきた苦痛なんて、比べ物にならないくらいに、お兄ちゃんは傷つく。
十五になるまで、お兄ちゃんは、主神であったときの記憶を思い出さない。
ああ、もっと早く思い出してくれればいいのに。お兄ちゃんが、思い出してくれさえすれば。
ボクはこの破壊衝動と心中できるのに。
思考と記憶と言動が矛盾しすぎて、頭がおかしくなりそうなこの感覚にも、もう慣れた。
「えいっ」
「むぎゅっ!?」
マナは突然、ボクの頬を手で挟み込むと、えへへと笑った。
「何か悩みがあるなら、聞きますよ。私でよろしければ」
――この子の前では、一瞬たりとも、気を抜けない。そりゃ、お兄ちゃんが、全ステータスマックス、なんていう、まるで小学生みたいな阿呆なことをしたから、鋭いのも当然なのだが。
……しかし、もう一人の娘は、どうなったのだろう。せめて、そちらだけでも、幸せになっていてくれればいいのだが。
「いえ、大丈夫です! ご心配、ありがとうございます!」
「――本当に、あかねさんは頑張り屋さんですね」
マナは私を抱きしめて、頭を撫でる。想定外の行動に、私は驚いて、しばし、固まる。
そして、直後には、これがチャンスだと気がつく。これだけ近くにいれば、内臓まで刃物を届かせることくらい、容易い。
こちらの考えなど、お見通しということだ。
――ああ、負けた。殺せない。この子は。私には、無理だ。
もっと、早く出会いたかった。もっと早く、出会って、ボクを、止めてほしかった。私でいさせてほしかった。
「……マナ様は、お兄ちゃんが、好きなんですか」
「え? いえ、そのようなことは、決して――」
「好きですよ。マナ様は、お兄ちゃんが好きです。あなたが気づいていないだけで、ボクには分かる」
取り出しかけたナイフをしまって、ボクは彼女から離れる。
「――そうですか。私は、あかりさんが、好き、だったんですね」
言ってやりたい。君はお兄ちゃんの娘なのだと。決して、結ばれることなどないのだと。仮に、結ばれたとしても、それは、お兄ちゃんが記憶を取り戻すまでなのだと。
そう、打ち明けて、楽になりたい。
あなたが、二人の娘でなかったのなら、私は、あなたに、頼りたかった。
「では。ここで死ぬわけにはいかないので、ナイフは納めてください」
「ちょっ……! それ、わざわざおっしゃらなくても、よろしいのでは?」
「ふふっ。――大丈夫ですよ。私は必ず、彼を幸せにしてみせます。それに、あなたを置いていったりしませんから」
――もう、遅いんだよ。何もかも。
ま、いっか。
「あーあ。やっぱりボク、君のこと大っ嫌いだ」
「ふふっ。ありがとうございます」
「なんでお礼言うのさ、気持ち悪い」
「やっと、あなたが素直になってくれたので」
「分かってる? ボクは、君が、嫌いなんだよ?」
「あなたがどれだけ嫌おうとも、私はあなたがそんなに嫌いではありません。それに、嫌いということは、好きになってもらうことだってできる、ということですから」
――彼女なら、お兄ちゃんを救えるのかもしれない。
ボクにはできなかったそれを、成し遂げてしまいそうな彼女が、ボクはさらに嫌いになった。
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