第1-10話

 後日、僕は昼を過ぎてから、ハイガルの部屋を訪れていた。あとから考えてみたが、まなを監視していることに気づいていたハイガルが、昨日の僕に気づかないはずがないのだ。


「どうかしたか」

「いや、どうかしたか、じゃないでしょ。よくもまあ、平然としていられるよね」

「俺は、何も、悪く、ない」

「いや、悪いでしょ。僕が先に告白したのに」

「関係ない上に、殺しはないだろ。それに――お前みたいなやつに、彼女は任せておけない」

「ま、もっともだね」


 親を亡くしてから、僕の育った環境に、殺人が悪いことだと言うやつは、一人もいなかった。それが当たり前であるかのように育てられ、気持ち悪い違和感を抱きながら、ずっと生きてきた。


「やっぱり、殺人って、悪いことだよね」


 そんな当たり前のことですら、分からなくなりつつある僕に、ハイガルは、


「オレは、鳥だ」


 と、大真面目に答えた。――余計に分からなくなった。殺鳥なら、許されるのか? 食用? なるほど、分からん。


「え、鳥って何さ」

「キュランだ。別名、吸血鳥。オレは、人じゃ、ない。夜行性のモンスターだ。人に、姿を、変えている、だけだ」

「待って。モンスターって、まなちゃんと結婚とかできるの?」

「ああ。人権があるんだから、できるだろう」

「いや、鳥なんだよね……?」

「すまん、鳥権だった」

「そこじゃない」


 ――あ、僕、この鳥のこと、結構好きだわ。殺さなくてよかったあ。


「てかさ、ハイガルくん……って呼ぶけど、ハイガルくんは、まなちゃんのどこがよかったの?」


 すると、ハイガルは腕を組み、うーんと唸って、


「かわいい」


 と答えた。いや、可愛いけどさ、確かに。それだけじゃ好きになれないよ、あの子は。


「てか、そもそも、ハイガルくんって、いつまなちゃんと出会ったのさ?」


 監視してたのに知らないんだけど、とは言わない。


「お前が二日も寝てる間だな」

「ああ……」


 そう言われて、アイに首を絞められた一件が思い出される。よく考えれば、今日が蜂歌祭本番で、アイが歌う日だ。瞬間移動する魔力は、昨日使い果たしている。


「アイ、今頃、どうしてるかなあ……」


 命狙われたりしてなければいいけど。


 え、人――鳥を殺そうとしておいて何様って? いやいや、相手が大切な人なのと、どうでもいいコイガタキなのでは違うでしょ。


「会いに行くか?」

「え、どうやって?」

「飛んでいく」

「魔法で?」


 そう尋ねると、ハイガルは、


「やれやれ」


 と、口に出して言った。


「オレを、なんだと、思ってる?」

「コイガタキ」

「鳥だ」


 ああ、そんなこと、言ってたなあ。


***


 宙を舞う白いフクロウの背に乗って、僕は王都トレリアンを目指していた。ハイガル、マジで鳥だった。とはいえ、僕が背中に乗れるよう、サイズは魔法で大きくしているようだが。


 ちなみに、僕は接触恐怖症だが、それは人に対してのみで、それ以外なら余裕だ。ハイガルも鳥形態ならギリギリセーフみたいだ。


「てか、速っ」

「鳥をなめるな」

「鳥偏愛主義鳥だ……」


 あっという間にトレリアンに到着した。新幹線だと三時間かかる。とはいえ、瞬間移動の方が早いのだが、鳥に乗るなど、貴重な経験であるし、何より、すごく気持ち良かった。魔法で飛ぶのとは全然違う。


 しかし、出入口の門からは、出ていく人の方が圧倒的に多かった。どうやら、儀式は終わってしまったらしい。


 鳥から人の姿に戻ったハイガルとともに、門へと向かう。


「やあ、久しぶり。元気だった?」

「ん、お前は……え、榎下朱里ィ!?」


 門番の巻き舌おじさんとは、旧知の仲だ。以前、王都に住んでいたときに、知り合った。いちいち目を剥く癖があり、小さい子によく泣かれている。ちなみに、実家はケーキ屋で、昔はパティシエだったらしい。


「本物本物」


 と、笑って対応していると、おじさんが血相を変えて、慌て始める。


「お、お前、早く入れィ! 説明は後だ! 連れも一緒に行けィ!」

「え、ちょ、何?」

「すごく、嫌な予感がする。――行くぞ」

「え、あ、ちょっと! 僕、速く走れないんだって!」


 ハイガルの背中に乗って、城まで地面スレスレを飛んだ。


 玉座の間に通されて、久々に今の国王――アイの兄でもある、エトスと対面する。先代であるアイたちの父親が亡くなってから、アイの代理として即位した。


「お兄さん、お久しぶりです……」


 僕はこの兄が苦手だ。なんと言っても、出会いが最悪だった。向こうも、いつも苦虫を噛み潰したような顔で僕を見ている。


 ――それが、今日は反応がない。


「えっと、どうかしたんですか?」

「お前、なぜ、蜂歌祭に来なかった」


 隣の男を殺そうとしていたからです、とは言えず。


「いや、僕にも色々と用事がありまして。来ようとは思ったんですが、間に合わなかったっていうか」


 砕けた態度を取る僕だが、この雰囲気が読めないわけではない。――重く、苦しい、どこか悲しい雰囲気だ。


「では、なぜ、マナを止めなかった」


 女王に即位することを、という意味だろう。


「なぜって、止める理由がないですよね。僕たちが別れたってことは、お兄さんも知ってると思いますけど。それに、お兄さんにとっては、そっちの方が都合がいいのでは?」


 以前はアイと――マナと婚約していたが、僕の方からそれを破棄した。今や、世界一の王女が振られた大事件として、世界中の知るところとなっている。


「マナのことは、もうどうでもいいんだな」


 ――どうでもよくない。全然、どうでもよくない。いいわけがない。今でも、僕の一番は彼女だ。彼女の笑顔だけは守りたいと、本気で思った。


 壊すことでしか満たされない愛情に、唯一、壊すことへの恐怖を感じさせてくれた。それが、彼女だ。


 だが、本心を告げることはできない。


「マナに、何があったんですか」


 返答は、事実の重さに反比例して、嫌になるくらい、短かった。


「――意識不明の重体だ」

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