第5-10話

 通常、体が死んでいて、魂だけ生きているなんてあり得ない。だが、稀に起こり得るのは確かなのだ。朱里なら、その例外に当たっていてもおかしくはない。


 万が一、そうなってしまったら最後。どうすることもできない。この世を永遠にさまよい続けることになる。――生きている魂と死んでいる魂の一番大きな違いは、自力で成仏できるかどうかにあるのだ。


 だが、死神が自身への天罰と引き換えに、その魂を殺せば、死んだ直後に転生ができる。逆に、普通に死んだ魂は、すぐには転生できない。


 だとすると、僕の目を欺くのが、れなの目的だったのだろうか。願いの魔法は、願いの文言が正しくなくては成立しない。


「だとしたら、肉体だけ生き返らせれば――いや、もう骨になってるか」


 死んだ肉体を生きた体に戻すのは、まず不可能だ。まなの場合も、まだ血が流れていて、魂がそこにあったから間に合ったところが大きい。これでは願いが、肉体と魂の二つになってしまう。


 また、朱里を生き返らせるには、魂の受け皿となる体が必要だが、死んでいる体では結局、魂も死んでしまう。


「生きてる誰かに取りつかせるしかないってことか」

「どういうこと?」


 星空の下で、まなが尋ねる。


「朱里は、どこかで誰かの子どもとして、この世に生を授かった。記憶や性格は全部引き継いだままね」


 とはいえ、朱里であったときすら、正しい記憶を持っていたかどうか、今となっては確認のしようがない。


 なんにせよ、人の子であれ、中に入っているのは、榎下朱里なのだ。放っておけば、確実に害となる。


「誰かに体を譲ってもらって、朱里の魂をそこに降ろすしかないってことだね」

「さすがまなちゃん。理解が早いねえ」


 しかし、僕の体は譲れない。魂の強さだけで言えば、主神である僕の方が強いため、朱里が消えてしまうからだ。


 ――それを抜きにしても、色々と、問題がありすぎる。


 まず、二人分の魂に、体が耐えられるかどうかが不明だ。


 その上、朱里の代わりに、元の人格が消える可能性もある。


 それに、これは、高度な魔法だ。高度な魔法には、代償がつく。


 そして、その代償は――。



「『私の体の半分を、榎下朱里に分け与えてください』」



 ……え?


「いや、ちょっと、まなちゃん、勝手に何やってるのさ……!?」


 見れば分かる。今度は、願いが聞き届けられたのだと。この仕組みを作ったのは、僕なのだから。




 ああ、僕は、なんて馬鹿なんだ。彼女がこうすることくらい、初めから分かっていただろうに。




「これで、少しは、役に立てたかな?」

「なんでこんなことしたの!? 僕は、僕に願いを譲ってほしいって、前にもそう言ったよね!?」


 肩を掴んで揺すっても、まなは顔色一つ変えない。


「だって、あかね、優しいから。あかねが私に代償を負わせたくないのと同じ。私だって、あかねにつらい思いはしてほしくない」


 優しい? 僕が? そんなの、騙されているだけだ。


 代償を負わせたくない? そんなことは微塵も思っていない。むしろ、負ってくれた方がいいに決まっている。


 アイ以外のすべてが、僕にとっては等しく無価値だ。


 ――それなのに、僕は。どうして、こんなにもイラついているんだろう。


「なんでだよ……ッ。それに、ハイガルくんを元に戻すことだってできただろ! なんで僕の願いをとったんだ!?」

「それは――」


 ふと、まなの体から力が抜けるのが見えて、僕は慌てて、彼女を支える。


「まなちゃん? まなちゃん!」


 どうしよう。どうしよう。どうしよう。


 考えろ考えろ考えろ。


 まなの体であれば、間違いなく、魔法は成功している。彼女は死神の子だ。


 となれば今、まなの体には朱里の魂が宿っている。次に目を覚ますときには、朱里になっているかもしれない。



 そう思うと、途端に、まなの体が、汚く見えた。


 何億もの羽虫がより集まって、彼女の体を形成しているように見えた。



 思わず、彼女を突き飛ばしそうになるのを堪え、その場にそっと横たえて、


「おえぇっ……」


 胃の中身をすべて、吐き出す。頭では分かっていても、心と体が、朱里の存在を受け入れようとしない。


「大丈夫?」


 目覚めた彼女の続く言葉に、僕のすべてが止まった。


「――お兄ちゃん」


 思わず、時を止める。


 慣れというのは恐ろしくも便利なもので、朱里と毎日一緒にいた頃は、ここまでの拒否反応が出ることはなかった。


 思えば最近、よく朱里のことを思い出すようになっていた。そう考えると、とっくに限界を過ぎていたのかもしれない。


「落ち着いてください!」


 後ろから羽交い締めにされる。じたばたと暴れるが、少しも抜け出せそうな隙がない。


「離せよッ!! 僕はあいつに、復讐してやるんだ!!」



 今すぐにその頭を開いて頭蓋骨と脳を端から潰してやりたい。眼球をほじくりだして口に突っ込みたい。気道に穴を開けてそこから水を流し込みたい。指先からハンマーで粉々に砕いて全身バラバラにしてやりたい。切れ味の悪いノコギリで首を何度も何度も何度も削りたい。冷水のシャワーを全身に浴びせたい。溶かした鉄で肌を焼き切りたい。耳からムカデを入れたい。全身の血管にウジ虫を流し込みたい。女に飢えた男どもにオモチャにされろ。手足を拘束して屋上から落としたい。イかされ続ける姿を世界に晒してやりたい。性病で苦しめ。足を切り落として一人で出歩けなくして監禁したい。磔にして死ぬ直前まで石を投げつけたい。端から体をナイフで切り落として焼いた肉を口に突っ込んでやりたい。内臓を肥大させて破裂させたい。腹のなかに飢えたウサギを詰めて内側から食い破らせたい。脳ミソを食べさせたい。沸騰した油を飲ませてやりたい。首に縄をくくりつけて全裸で放置して失禁させて下の世話をされる屈辱を味わわせたい。関節すべてに釘を打って壁に固定して笑えと命じたい。目の前で自殺してやりたい。永遠に立たせて寝させないようにしたい。意識を失うまでアルコールを飲ませ続けたい。性器はペンチじゃ潰せないから代わりに内側から突き破ってやる。髪の毛を一本一本抜いてやりたい。自分の腕で自分の意思で自分の顔を殴らせて歯が刺さるまで繰り返えさせたい。足裏からヤスリで削りたい。背中に刺青を刻んでやりたい――。


「あれはまなさんの体です! まなさんの体に、傷の一つでもつけたら――」

「知るかそんなの! このままじゃ、僕の方がおかしくなる!」



 抑えられない。感情が。この恨みだけで、脳が焼ききれて、体が張り裂けて、心が砕けて死にそうだ。おかしくなる。いっそ、どうにかなってしまいたい。



「好きにさせてあげなさい」


 そうして目の前に現れたのは、まなそっくりの白髪の少女だ。少女は僕にこう告げる。


「でもね。衝動に任せた復讐なんて、たいてい醜いだけで、成功しないものよ。それは無意味だし、何より、滑稽だわ」

「はっ、なんだよ。知った風な口利いて。相手を痛めつける方法なんてろくに知らないくせに」

「されたことならあるわ」


 少しだけ自分の中に理性を感じて、僕はそれを頼りに、大きく深呼吸をする。


 確かに、(まな)の言う通りだ。


 復讐で心を満たすには、綿密な計画に基づいて行動しなければ。


「まあ、どうするかは知らないし、どうでもいいけれど、降霊とは違うわけでしょ? 生きてる魂を降ろすなんて、聞いたことがないわ。当然、代償があるのよね?」


 僕はまなの瞳を見つめて、うなずく。


「体が死んだ後も、その魂は永遠に生き続けることになる。永遠の孤独だよ。何も感じない世界で、ただ、その世界の成り行きを見守ることしかできない。まなちゃんが受けた代償は、そういう、『呪い』だ」




~あとがき~

次回、番外編です。

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