第5-9話

 しばらくして、落ち着きを取り戻したローウェルが、ぽつぽつと話す。


「ハイガルは耳がいいんっすよ。だから、このくらい離れてないと、聞こえるんっすよね」

「え!? ……じゃあ、まなちゃんが宿舎で泣いてたのとかって」

「全部、聞こえてると思うっすよ。その上、オレたちキュランは、元の姿なら、一日起きてられるんで」

「……まなちゃんには、内緒にしておくよ」

「頼むっす」


 赤くなった鼻をすすって、ローウェルは話し始める。


「勇者くんにかけられてた拘束魔法が解かれて、ハイガルがそういう状態だって知って。……一ヶ月、持たなかったっすね。嫁が、自殺して。それで、今、お休みをもらってるんす」


 ふと、朱里が亡くなった後のことが思い出されて、僕は、思いがけず、そう尋ねていた。


「どうしたら、そんなに頑張れるのさ」



「頑張るしか、ないから」


 ローウェルは深呼吸をして、頬をぱんっと叩くと、真っ直ぐに立ち上がる。


 答えにならない答えを返して。


「オレは、ハイガルのために、残りの生を捧げる。それだけっす」


 僕も、アイのためなら、全部を捧げることができる。


 ――でも、僕と結ばれることを、今の彼女は望んでいないのかもしれない。


 それがずっと、引っかかっていた。だから、朱里を生き返らせるのを躊躇っていた。


 だが、朱里を生き返らせない限り、僕がアイと結ばれることは、決して許されない。それが、のルールだ。


 まあそもそも、僕と彼女が結ばれることなど、到底、許されないことなのだが。僕自身、かなり強い抵抗がある。


「もし、ハイガルくんが死にたいって願ってたら、どうするの?」

「そうっすね。――それは、オレたちが信じるしかないんじゃないっすか。本人が生きたいと願っていることを」

「それって、すっごく、身勝手じゃない?」

「身勝手っすよ。ただの、願望の押しつけっす。……でも、そこにしか、救いがないんっすよ。それに、自分の息子が死にたがってるなんて、そう思う方が、よっぽど酷い親じゃないっすか」

「それは違うでしょ」


 それこそ、親のエゴだ。


「自分の子どもだからこそ、そういう可能性もあるって、思ってあげるのが親なんじゃないの?」


 少なくとも僕は。あの日、朱里の苦しみに気づいてやれなかった自分を、今日まで責めなかった日はない。


 ……おっと、シリアスしすぎたな。一旦、呼吸を整えて。


「ま、子育てなんてしたことないから、知らないけどさ」

「……そうっすね。あいつも、一人で苦しんでるかもしれないっすもんね」


 ――しかし、『押しつけることにしか、救いがない』か。それは、そうなのかもしれない。


「気持ちを押しつけて、それが相手の負担になってたら、どうする?」

「それに気づいた時点で、今後、一切関わらないようにするしかないと、オレは思うっす」

「そっか」


 二度と、アイと関わらない覚悟を、僕は決めなければならないのか。



 いや。彼女のためなら、それくらいはできる。



「覚悟は、決まったみたいっすね」

「なんか、逆に勇気づけられたみたいで、悪いね」

「いえいえ、こっちも、励まされたっすよ」


***


 僕たちがローウェルの家へと戻ると、まなは、玄関の前で、立ち尽くしていた。


 まなを背負って、僕は宿舎へと戻る。


 僕は特に何も聞かなかったが、僕の姿を見つけたまなが、


「ハイガルとは、別れたから。安心して」


 と、可愛い声と表情で、死んだ瞳と冷たい体で言ってきたのが、印象的だった。


「少し、寄り道して帰ろうか」


 返事はなかったが、勝手にそう決めて、僕はチアリタンへと向かう。まなを背負って頂上まで登り、空を見上げる。


「うわあっ! めちゃくちゃすごいよ、まなちゃん! 空見て空!」


 そこには、満天の星空が浮かんでいた。背中の気配が、顔を上げているのを感じる。


「ヤバイ、めっちゃ綺麗なんだけど! うおおお!」

「あははっ、そんなにはしゃぐ?」

「うん、だってヤバイもん!」


 本当に綺麗な星空だった。まなもその美しさに見とれているようで、僕たちは、その場から、しばらく動かずにいた。


「私、色々考えたんだ」


 不意に、まながそんなことを言い出した。


「妹さんは、死んでないんじゃないかなって。そうとしか考えられないもん」

「それは、ないよ。ちゃんと土に埋めたし、その後、掘り起こして、腐ってるのも確認したから。それに、背後霊が見えてたんでしょ?」

「体は死んでた。でも、魂は生きてた。――あれは、私が見てたのは、幽霊なんかじゃなくて、生きてる魂だったんだよ」


 そう言われて、れなが魂を刈り取ったと話していたことを思い出す。


 未練がましい朱里の魂を上に送ったのかと思っていたが、あれがもし、生きている魂を殺したという話だったとしたら。


「違う。死んでないんじゃない」

「え?」

「もう生き返った後だったんだ」

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