第7節 それでも進む

第7-1話 やさしい決別

「久しぶりだな。今日は一人か?」


 薄紫の髪の青年、エトスに尋ねられて、まなは頷く。エトスはマナの兄にあたる人物だ。


「ハイガルは、もう来ないわ」

「……そうか」

「マナに会わせてくれる? これを渡したくて」


 エトスは、まなに差し出されたノートを、パラパラとめくり、使用人を視線で呼ぶ。


「案内してやれ」


***


 桃髪の少女のところに通されて、まなは少し、笑みを浮かべる。


「お目覚めかしら、お姫様?」

「まなさん――。あの青髪と、度々来てくださっていたとうかがいました。ありがとうございます」

「気にする必要はないわ。あたしが来たくて来てただけから」


 まなはベッドの端にぽすっと腰かけて、数冊のノートを差し出す。


「はい、休んでた分のノート、取っておいたわ」

「私の、ために?」

「ええ」


 すると、マナはこれでもかというくらい、嬉しそうな顔をして、ノートを抱きしめる。


「本当に、ありがとうございます。十冊ほど複製して、永久保存しますね」

「勉強に使いなさいよ……」


 それから、他愛ない言葉を交わして、ひとしきり笑った後で、桃髪の少女が尋ねる。


「あ、あの! あかりさんは、元気でしたか!?」

「ビックリした……。やけに気合い入ってるわね」

「緊張してしまって……しゅみましぇん」

「しゅみましぇんって、あはは」


 からかわれて、顔を赤くする少女に、まなが答える。


「元気、ではあったけれど、やっぱり、あんたがいないと、寂しそうだったわ」

「……そうですか」

「でも、あかり、あたしについてくるとは言わなかったわね。誘ってほしそうにはしてたけれど。……何かあったの?」


 まなの問いかけに、少女は口をもごもごさせていたが、やがて、語り始める。


「私とあかりさんのこと、まなさんは、どこまでご存じなんですか?」

「そうね。最初は付き合ってるのかと思ってたけど、そういうわけでもなさそうだし。でも、お互いに想いはあるみたい、ってくらいかしら」

「――別れたんです、彼の方から」

「……そう」


「おそらく、あかりさんには何か、私に言えない事情があって、だから別れを切り出した。彼はまだ、私のことを想っているんです」

「そうね」

「だから、もし、彼には私しかいないというのなら、私は、いつまででも待ち続けようと、そう思っていました。待つだけでは足りないというのなら、歩み寄るつもりでした」

「そう」


「でも、彼には、まだ、別の可能性が残されていることに気づいたんです」

「あかりに誰か、マナの他に気になる人がいるってこと?」


 マナはそこで返答を躊躇い、白髪の少女の顔を一瞥し、すぐに目をそらす。


「今は、気になる、というほどではないでしょうね。ただ、私さえいなければ、きっと彼は、その人を選んだと思うんです」

「それでも、マナはここにいるじゃない」


 首を左右に振って、マナは少し微笑んで告げる。


「私では、ダメなんです。きっと、あの人を守ることも、妄執から解き放つことも、幸せにすることすら、できない。むしろ、このままでは、彼の心を縛り続けてしまう。ふと、そう思ったんです」


 どこか遠くを見つめる桃髪の少女の頭を、まなは優しく撫でる。


「本当に、マナはあかりが好きなのね」

「はい。とっても、心の底から、愛しています。――だから、私のことは忘れて、別の誰かと、幸せになってほしい」

「それで、突き放そうとして、首を締めたのね」

「覚えていたんですか……!?」

「そりゃあ、目の前であんな光景見たら、そうそう忘れられないわよ」


 指摘された桃髪の少女は、わたわたと目の前で手を振る。


「で、でも、殺すつもりはなかったんです。首にある太い血管を指で押さえていただけで、気道はわずかに開けておきましたし、秒数も数えました!」

「人殺しはだいたい、殺すつもりはなかったって言うわよ」

「うきゅっ……」

「あはは、冗談よ。殺そうとしてたなんて、思ってないわ。過激すぎるとは思ったけれど」

「まなさん――大ちゅき」

「大ちゅき」

「……しばらく眠っていたので、かちゅじぇちゅが」

「滑舌ね。あははっ、赤ちゃんみたい」

「……もうっ!」


 まなは、頬を膨らませて怒るマナの真似をする。そうして、二人同時に吹き出して、笑い合う。


「まなさん」

「何?」

「あかりさんを、お願いしますね」

「あたしに?」

「はい。まなさんになら、あの人を任せられます。まなさんにしか、任せられませんから」

「どうして?」


 問いかけを受けて、マナは白髪のサイドテールに手を伸ばし、するりと撫でる。


「あの人は、本当は、誰かに触れられるのが、とても苦手なんです」

「そうなの?」

「知らなかったんですね、やっぱり。それくらい、彼はまなさんに心を許しているんですよ」

「へえ……」


 足をぶらつかせるまなに、桃髪の少女は、黄色の瞳を細める。そして、まなの小さな手を、きゅっと握る。


「私のことは、気にしないでください。お二人にとっての、最善の選択が、私の幸せですから」

「マナって、すごく、優しいわね」

「優しくなんて、ありませんよ。私を想ってくれる彼を、遠ざけようとしているんですから」


 握られた手を見つめ、その甲を撫でて、まなは問う。


「どうしても、元には戻れないのね」

「はい。もし、元のように戻るとしたら、それは、私が彼に、愛想を尽かしたときだけです」

「じゃあ、怒ってる間は大好きってことね」

「……そうなりますね」


 そう答えて、マナは手を離し、深呼吸して、言う。


「私がいると、お二人のご迷惑になります。だから、私たちが話すのは、これで最後にしましょう」


 一方的に告げられる提案に、まなが小さく声を漏らす。


「何も、そこまでしなくても……」

「まなさんは、私よりずっと、優しい人ですから。代わりに、私が覚悟を決めます」

「待って、マナ――」


 少女は、泣きそうな笑みを浮かべながら、ピンク色の指輪をなぞり、


「さようなら、まなさん」


 別れを告げる。


 一瞬で表情を凍りつかせ、指を鳴らすと、使用人がやってくる。


「外まで案内して差し上げてください」


 それは、凍えてしまいそうなほど、冷たい声だった。

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