第3節 どうでもいい

第3-1話

 新月の夜。辺りには帳が降り、照明の消えた室内は闇に閉ざされていた。


 物音一つ立てず、普段は厳重に管理されている部屋の見張りを、魔法で気絶させる。最新鋭の科学技術によるセキュリティは、すでに元を絶ってある。


 扉を開ける音さえ立てぬよう、魔法で通り抜け、静かに室内へと侵入する。


 その部屋のベッドで眠る、小さな体躯の老人の脇には、青いタマゴが置いてあった。顔よりも大きい、艶のあるタマゴだ。


 青髪の少年は、それを静かに抱え、どこかへと、姿を消した。


***


 青髪の少年の部屋に、まながいた。僕はいつものように監視していた。


『ハイガル、ハイガル? ねえ、ハイガルってば』


 小柄な白髪の少女が、少年の名前を呼びながら、辺りをくるくる回る。腕をちょんとつついたり、背筋をなぞったり、耳をくすぐったりするが、どれも無反応だ。


『えいっ』


 何をやっても大丈夫だと思ったのか、まなは、思いきり、ハイガルの腕を引く――が、びくともしない。なにやら様子がおかしい。


『んー……あ!』


 何かを思い付いたように、手で槌を打つと、まなは常備している肩掛け鞄から、怪しげな小瓶を取り出す。そしてそれを、ハイガルの頭に振りかける。


 それから、まなはハイガルの髪の毛を一房つまむ。すると、髪の毛がそのままの形で固まった。そうして、ぺちゃんこにしたり、全部逆立てたり、オールバックにしたりして遊び始めた。


 それから、まなは胡座をかいているハイガルの足の上に正座して、彼の長い前髪をかき上げ、耳を作る。


 ――不意に、まなの両腕がハイガルによって、がっしり掴まれた。急な変化に、まなの動きが止まる。


『何を、している』

『だって、全然構ってくれないから』

『耳を作ったら、ミミズクになるだろ。オレは、フクロウだ』

『耳ができてるってよく分かったわね?』

『感触で分かる。早く、元に、戻してくれ』

『可愛いからいいじゃない』

『よくない。戻せ』

『えー嫌だ』


 そう言って、まなは腕の拘束を解くと、髪の毛いじりを続けていく。今度はツインテールのようにしていた。


 その髪型に妹を思い出して、目をそらしそうになった。


「てか、近くない?」


 まなは気がついていないが、顔の距離が息がかかるほど近い。ハイガルはそもそも、まなの姿が見えていないので、気づいているかどうかは微妙だが、彼ほどの実力があれば、気配で分かりそうな気もする。


『クレイア――』

『ちょっと動かないで』


 やはり、ハイガルは気づいているらしく、さりげなく顔をそらそうとした。だが、今、頭を動かすことはできない。そんな状況に、珍しくハイガルが動揺している。


『よし、できたっ』


 どういうセンスなのか、まなはハイガルの前髪を逆さまのハート、つまり、桃の形にして喜んでいた。


 が、直後、視線を落としたまなは、ようやく、眼前にハイガルの顔があることに気がついたようで、素早く離れようとする。しかし、ハイガルはそれを敏感に感じとり、彼女が降ろしかけた左手を掴み、身動きを封じる。


「おっとお、相変わらず、積極的だねえ。てか、見えないのに凄いな」


 まるで、見えないことを強調するかのように、手から、肩、首、耳、顎へと手を動かし、最後に顎を持ち上げて、親指で唇をなぞる。驚いたまなが口を開きかける。


「位置の確認は済みました、ってね。さてさて、どうなることやら」


 完全に、アニメを観る感覚だ。


『クレイアって、小さいな』

『小さくないわよ』

『そうか。なら、もう一回、確認してもいいか?』

『小さい、かもしれないわね。ちょっとだけ。でも、大きくなるつもりだから』

『オレは、小さいままがいい。その方が可愛い』

『……そ』


 めちゃくちゃ嬉しそうだなあ。ちょろぉい。


『それで、どうする』

『どうする、って?』

『今の状況を理解してないのか?』

『ぁ……』


 まなから、喉を引き絞ったような声が漏れる。気絶寸前、といった顔だが、果たして、大丈夫だろうか。


 後ろに倒れたりしないよう、ハイガルはもう片手をまなの肩から背中に回す。大した空間把握能力だ。


『キス、するか?』


 キス、という言葉を聞いただけで、まなの顔は真っ赤に染まる。――純情だなあ。


 さあ、どう返すか。


『え、えっと! まだ、その、早いと思うわ。だって、赤ちゃんができたら大変でしょ?』


 ……。


「いや、何それ!? まなちゃん、頭いいよね!? なんでキスで子どもできると思ってるの!? コウノトリさんが運んできます、的な!? イラっとするわぁ……!」


 それでも、ハイガルは、ゆっくりとまなに顔を近づけていく。


 これ以上、見ているのはダメだと判断し、僕は監視の目を切った。


「ギャアアア!! 終わった、引き離せって言われたのに、オワタ……!!」


 これ、どうやって報告したらいい? この映像提出しろって、魔王に言われてるんだけど。


「てか、続き気になるんだけど……!」


 だが、他人のあれこれを覗き見るのはよくないと判断し、我慢することにした。


***


 ハイガルは、まなに顔を近づけていき――唇が触れ合う直前で止まると、小さな額に自身の額を付き合わせる。


「ようやく、邪魔が消えたな」


 そう言って、額を離し、まなに向き合う。


 対するまなは、普段は白い顔を、頭から湯気が出そうなくらい真っ赤に染めて、ぐったりとしていた。


「まな、おい、まな」


 ハイガルが揺するが、放心状態だ。まともな思考は失われている。


「何、次は本当にしてほしいって? 言っておくが、キスくらいじゃ子どもなんてできないぞ」


 しかし、その言葉は頭に入ったようで、激しく首を横に振り、顔の熱を飛ばした。


「あ、な、なんで、そんなに余裕なのよ。実は、慣れてる、とか?」


 ハイガルは茶色の瞳孔をわずかに見開くと、黙ってまなを抱き寄せ、自分の胸に耳を当てさせた。


「これが、余裕に、聞こえるか?」

「……あははっ。全然」


 そのまま、横になり、ハイガルがまなに抱きつく形で、二人は昼寝と洒落こんだ。

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