第1-2話
というわけで。アイには眠ってもらった。魔法を利用した睡眠薬、通称、「ネムルン」をご飯に混ぜておいた。可愛らしい名前とは裏腹に、その効果は絶大で、「人類最強」なんて名のついたアイであっても、その眠気には叶わなかったらしい。
「アイちゃん、おやすみ」
桃色の頭髪を撫で、背中に毛布をかけて、僕は部屋を出る。
まな――マナ・クレイアの用事については、事前に調査済みだ。この辺りの土地に疎いため、地図を買いに行こうとしているらしい。元々は一度、自室に戻るつもりだったが、時間が押しているため、そのまま行くことにしたようだ。
ちなみに、彼女の自室というのは、この宿舎で、僕の隣の部屋。もちろん、それもリサーチ済みで、わざわざ、この場所を借りたのだ。
宿舎といっても、二人部屋二つ、一人部屋四つの小さなもの。その上、管理人は杜撰で、男女の区分も門限も、決まりごとなんてないに等しい。
ただ、この宿舎。見える人にしか見えない魔法がかけられていて、圧倒的に、見えない人の方が多い。そのため、外部へのセキュリティという面では、非常に優秀だ。
――さて。ここへ来て、僕は方向音痴なわけだが、白髪の彼女は一体、どちらにいるのか。それは、追跡させている監視カメラを魔力探知で捜せば分かる。
そうして、カメラの位置を特定した僕は、あることに気がつく。
――まなの魔力が探知できない。
探知できないとなれば、可能性は二つ。魔力を使い果たして倒れたか、魔法が使えないか。カメラの動きとリアルタイムの映像から考えるに、彼女の場合は後者だ。
この世界では、魔法は八歳を過ぎれば当たり前に使えるようになるため、十六歳の彼女が魔法を使えないという状況は、非常に珍しい。
「それにしても――なんかいるなあ」
実は、彼女を狙っているのは僕だけではなかったりする。
僕の場合、狙っているのは彼女の心だが、もう一人の彼が狙っているのはその身体――正確には、身柄だ。
「てか、ヤバっ! 早くしないと、先にやられる……!」
しかし、彼女も動き続けている上に、道が真っ直ぐではないため、なかなかたどり着けない。――探知で、その人物が彼女のすぐ側まで迫っているのが分かる。
「ヤバいヤバいヤバい……! 急げ、僕!」
そうして僕は、魔法で空を飛んだ。最初からそうしておけばよかったのかもしれない。
だが、考えてもみてほしい。先ほどビンタした男が、ピンチに際して、空から降ってくるのだ。――おぞましいというよりほかにないだろう。
しかも、現在の僕はわけあって、女装をしている。純日本人のわりに、だいぶ薄茶色の髪の毛は、ポニーテールにしても腰に届くほど。化粧もバッチリ決めている。
そのため、偶然出くわしたという体を装いたかったのだが、四の五の言っている暇はなさそうだ。
「いやあああっ!!!!」
黒板に爪を立てるような、彼女の甲高い叫び声が聞こえて、直後、僕はその場にたどり着く。
そこには、髪を七三分けにした、眼鏡の男がいた。眼鏡の奥の瞳は彼女と同じ赤色――魔族の証だ。
その彼が伸ばす手の先で、彼女は半狂乱になって、その場にうずくまり、右腕を強く握りしめて、泣き叫んでいた。そんな彼女を前に、眼鏡の男はその場から動けずにいる。
「お姉ちゃん、助けてっ、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だあああ……!! お姉ちゃん、お姉ちゃん、お姉ちゃん、お姉ちゃん!!」
男の指先が、わずかに動くと、
「来ないでッ!! 嫌だ、来ないでっ、来ないでえぇ!! 嫌だ、嫌だ!! お姉ちゃん、助けてっ!! お姉ちゃん!!」
さらに、取り乱す。その声に男は手を引っ込め、ただ、立ち尽くしていた。
――ああ、この子も、つらい思いをしてきたんだ。
そう思うと、どうしても、放っておけなかった。
自分の接触恐怖症を無理やり抑え込み、うずくまる小さな少女を抱きしめて、その背をさする。込み上げる吐き気を、ひりつく喉の痛みを、無理やり胃に戻す。
血の気の引くような想いをしながらも、眼鏡の奥を睨みつける。名前も知らない。何をしたのかも知らない。ただ、彼が悪いということは分かる。
「これを見ても、まだお前は、彼女を追いつめるつもりなのか」
尋ねられた眼鏡の奥の赤い瞳は、視線をさ迷わせる。
「そのことに関しては、本当に、悪かったと思っている。だが、今回は、傷つけるつもりは――」
「なかったとでも? 現にこうして傷つけているじゃないか。お前が存在しているだけで、彼女はこんなにも傷つくんだ。どれだけ後悔していようと、やられた側にとっては、関係ないんだよ。どれだけ時間が経とうとも、何度謝られたとしても、死んで償われたって許せないことがある。後悔して、反省して、自分は変われた。そのつもりになってるだけだ! この子をこんな風にしたことを、本当はなんとも思ってない。だからこの子の前に、平気な顔で現れることができるんだろ!? 第一、お前はこの子に一度でも、ごめんなさい、って言ったことがあるのか!!」
魔法は感情に左右されやすい。だから、本来なら、暴走していてもおかしくはなかった。
だが、彼女には魔法が使えない。そして、効かない。さらに――彼女に触れている間は、魔法が使えなくなる。
だから、僕は全身の震えを黙殺して、彼女をより強く抱き寄せる。
「謝ろうとはした。だが、つい最近まで、消息不明になっていた。今日はそれを、謝りに――」
「なら、さっさと帰れよ!! 謝る気があるなら、一生、この子に関わるな!!」
男は少しの躊躇いの後、深々と頭を下げる。
「クロスタ・デオ・シーレルトだ。――本当に、すまなかったと、伝えておいてくれ」
そう言い残して、男は立ち去った。
静寂に気づいて、少女の顔を見ると、眠っていた。その手に地図が握られているのを確認し、彼女の涙を指で拭って、その小さな体を抱き上げる。
そうして、さまよいつつも、なんとか宿舎へとたどり着いた。
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