第0-2話

 国王に対する前代未聞の無礼は、美少女のビンタ一つで不問となった。聞くところによると、あの美少女はこの国の王女らしい。


 ただ、初日に晒した、数々のミスについては、許されなかった。そう、妹に。


「どんな罰がいい?」

「おっ、選ばせてくれるなんて優しいね。選択肢とかあるの?」

「心臓か頭」


 ――嫌な二択だなあ。


「じゃあ、頭にしておこうかな」

「うん、分かった」


 そうそう、妹について、もう一つ、言い忘れていることがあった。


 彼女は魔法を使える。――この世界に来る前から、ずっと。


 そうやって、僕が怪我をしても、死にかけても、すぐに治していた。


 本当は、自分が愛した証として、傷のすべてを残しておきかったが、体が商品なので残すわけにはいかなかった、といった感じだと思う。


 ――唯一、僕の背中には龍の刺青が入っている。無理やり入れられたものであって、例によって僕の意思ではないのだが、この傷だけは、一生消えない。


 と、目の前から意識をそらしていると、頬に柔らかい手が添えられた。


「じゃ、お仕置きね?」


 そうして、妹は僕の頬に手を吸い込ませていく。これも魔法だ。


 吸い込まれた腕が頭を貫通して、反対側から指先をのぞかせる。


 ――恐怖を表に出すな。笑みを絶やすな。


「あ、行きすぎちゃった」


 すると、今度は手がそのまま戻っていく。最中、耳の奥で、何かがぶちりと、ちぎれる音がした。


 ――瞬間、雷が走るように、脳の奥に耐え難い熱が広がる。声すら出せない痛みに、まばたきすら忘れ、視界が焼ける。真っ白な視界に映る朱里は、雑にちぎったピンクの物体を掴んでいた。


「これこれ! 朱音も見たかったでしょ? 脳ミソ」


 なんだあ、脳ミソかあ……見たいわけないだろ。


 朱里は天高く掲げた脳を仰ぐようにして、桃色の器官を舌先でなぞると、握り潰す。その絞り汁を喉へと流し込み、口の端から零れそうな赤い液体を、血で染まった舌で、ぺろりと舐める。


「うん、お兄ちゃんの味がする」


 顔がしびれ、じんじんと、血液が不足していくようで、寒い。その上、脳の一部がなくなっても、僕は正常に考えることができるらしい。代わりに体が動かないけど。でも、笑わなきゃ。はは。


 それから、再び、脳ミソ汁を口に含ませた朱里は、僕に覆い被さると――今度はそれを、口移ししてきた。


 ベタつく鉄の味に、何か、気持ちの悪い食感が混じる。それを感じる余裕もないくらい、痛いを通り越して、熱い。


『ほら、飲み込んで』


 と、目で訴えられる。早く終わってほしいと懇願する気持ちで、吐き気をこらえて、無理やり、嚥下する。


 そうして、なんとか、食べきると、


「うん、よく頑張ったね。じゃ、ご褒美」


 と言って、今度は普通に口づけをされる。舌が入り込み、僕の口内に残った脳を掃除する。


「はい、お利口さん。――じゃ、次ねっ」


 はは、全部食べるのか。笑うしかない。


 脳が削られるにつれて、思考が遠のいていく。口移しされる脳を、ただ、飲み込んでいく。


「残したら、もったいないもんね」


 ――。


 ――――。


 ――――――――。


 ふと、意識が戻った。どうやら、魔法で治したらしい。痛みも消えている。


 ――あーあ、また生きてるよ。


「途中で意識無くなっちゃったから、別のにするね!」


 全部やり直しかあ。はは、最悪だ。てか、脳刻まれて意識保てるわけなくない? 分かってたでしょ、絶対。


「ああ、ごめん。次は頑張るよ」

「うんっ! 頑張るお兄ちゃん、ボク、大好きだよ!」

「――ははは、嬉しいなあ」


 昔から、笑顔は朱里のままだ。僕のことが大好きだという気持ちも、少しも変わってはいないのだろう。


 そう、朱里は狂ったわけじゃない。最初からこうだったのだ。


 ――鼻筋を火で炙られても、僕は笑みを絶やさない。そんなこと、普通はできないだろう。


 その上、自分に恐怖を与える存在と、普通に話したり、笑ったり、優しくしたり。そんなの、常人にできるわけがない。



 だから、狂っているのは僕も同じだ。



***


 異世界から来た勇者、ということで、僕はあれこれと検査を受けることになった。魔法が使える世界で、無力な僕にそれを断ることなどできるはずもなく、渋々受けた。


 その結果、幾つかの問題が知られてしまった。


 背中の刺青はもちろん、複数の性病、エイズ、足の不調、抗体の不足などなど。知識と自覚はあったが、検査を受けたのは初めてだ。


 ――そんなわけで、今。僕は美少女の兄から、呼び出されていた。


 薄紫の髪に黄色の瞳。鋭い眼光が眼鏡でさらに強調されている。王族の顔面偏差値が高いのは、もはやお決まりだ。


「お前は元の世界で、どんな生活を送っていたんだ」

「なんでそんなこと教えないといけないのさ?」

「聞いているわけではない。――ふざけるのも大概にしろと言っているんだ」

「じゃあ最初からそう言えばいいじゃん」


 ――この人、めちゃくちゃ怖っ!! え、何、この威圧感。ほんとに人間? 嘘でしょ? 僕、すでに泣きそうなんだけど。でもみんなに嫌われなきゃいけないしなあ。怖いなあ。嫌だなあ。



 なんて、頭の中でふざけてみる。



「マナに殴られたくらいでは、効果がなかったようだな」

「マナ? 誰それ」

「……本当に言っているのか?」


 残念ながら、僕は人の名前を覚えるのが苦手だ。召喚前は、粘土を使って、出会った女の子たちのフィギュアを作り、そこに名札や情報を貼りつけてその日その日で覚えるようにしていた。


「先日、お前を召喚した――」

「あー! あの美少女ね! マナなんて名前だっけ?」

「……お前たちの教育係でもある。マナの名前だけは確実に覚えろ」

「はいはい、多分覚えた」


 そう言われても、覚えられないものは覚えられない。


「では、問う。お前を呼び出した者の名前を言ってみろ」

「あー……誰だっけ?」


 その瞬間、顔面めがけて飛んできたパンチを、僕は咄嗟にかわす。反射神経だけは、謎に優れているので、余裕だ。美少女のビンタはご褒美でも、美青年のパンチには一ミリの価値も見出だせない。


「マナだ。いい加減覚えようとしろ」

「一回、抱かせてくれたら覚えるよ」


 ――その瞬間、城で借りたばかりの服の襟首を掴まれ、そのまま体を持ち上げられる。今度は反応しなかった。


「……なぜ笑っている」


 ただの癖だ。


 そう、頭の中でだけ答えつつ、僕は触れられたことで、胃から上がってくるモノを無理やり飲みこみ、男の腕を掴む。


「本気でいたぶる気なら、もっと力をいれないと。それじゃあ、脅しにもならないよ?」


 そう言うと、男は僕をゆっくりと下ろし、襟首から手を離すと、代わりに、僕の腕を掴んだ。


「なるほどな。どうやら、貴様に痛みは効かないらしい。――だが、こうして触れられるのは苦手なようだな? 榎下朱里」


 不意に言い当てられて、僕は自分の瞳孔が驚きで狭まるのを感じた。


「なんで分かったの?」

「どれだけ体面を取り繕おうと、その内心までは誤魔化せない」

「急に難しいこと言わないで? もっと簡単によろしく」


 すると、彼は僕の頬を上からなぞり、顎に手を添えた。――全身が粟立つ。頭がガンガンする。心臓が爆発しそうだ。


 お金になるなら我慢できる。仕事であるなら仕方がない。僕が一ミリでも好きだって言うなら、まだいい。


 だが、こいつにはそれがない。


「お前がいつまでも、反省の色を見せないようであれば、私が犯してやろう」

「待って、その異世界語翻訳は絶対、おかしい。それに、僕、見れば大体、性癖とか分かるんだけど、君、女の子が好きなんでしょ? だからさ、やめておこうよ、ね?」


 と懇願するそばから、男は眼鏡を外して、顔を近づけてくる。逃げたいのに、掴む腕の力が強くて、逃げられない。


 ――吐息が、頬にかかる。


「無理無理無理無理!! ほんとマジでムリッ、うっ、うええぇ……」


 その場に胃の中身を戻して、僕は座り込む。


 ――掴まれた手から、うじゃうじゃとムカデが現れる。無数のムカデが全身へ素早く移動し、それぞれが、好き勝手動き回って、体を埋め尽くしていく。体内を侵食し、血管内を移動し、内臓を食らう。


 そして、それらすべてが、性的な興味で、僕を見つめている。


 全部、幻だとは分かっている。分かってはいるが。


「うわあああああ!?!?!?」


 耐えられない。気持ち悪い。思考さえままならない。何も分からない。ただただ、怖い。振り払おうとしても、離れていかない。


「王や私に敬語を使え。最初は完璧に正しくなくてもいい。敬う気持ちを持て。そして、妹はマナ。私はエトスだ。それを覚えて呼ぶまで、この腕を離すつもりはない。――安心しろ、死なせはしない」




 こうしてやっと、僕はマナとエトスの名前を覚えた。


 そして、この日以来、僕は王様とエトスにのみ、敬語を使うようになった。


 エトスとキスするくらいなら、まだ脳ミソとキスする方がましだ、なんて思いながら。


***


 検査で判明した病気は、ほぼすべて、魔法で治ってしまった。細かい疾患なども見つかったが、そちらは、これから次第でなんとかなるそうだ。そのうち、悪化しないだろうかと、期待していたのだが。


 ――ただ、背中の刺青と足の疾患だけは、魔法でもどうにもならないらしい。


 細かく言えば、視力の悪さなども、現代の魔法医学で治す術はないのだとか。僕は眼鏡をかけていないが、視力は手元すら見えないほどに悪い。


 とはいえ、これからは女の子たちで遊びたい放題だ。もちろん、お金をくれる子限定だ。


 ――と、言いたいところだが、実は召喚されて以来、妹としかしていない。実は、すでに、何度か言い寄られてはいるのだが、すべて、断っている。


 そもそも、僕は体を売ってお金を稼いでいただけで、別にそういうことが好きだったわけじゃない。そもそも、人に触れると吐きそうになるので、むしろ、大嫌いだ。


 ちなみに、僕が接触恐怖症になったのは、確か、十ばかりの頃。まだ足が不自由だった僕は、抵抗もできず妹に襲われ、そして、こうなった。


 ――いや、そういうビデオとか本とかならいいよ? 可愛い妹とするなんて、理想なのかもしれないよ?


 でもさ、現実見てよ。実の妹、しかも、双子の妹とあれこれするとかさあ、正直、嫌悪しかないよね。しかも、このヤンデレ。現実にやられてみれば、気持ち悪さが分かると思う。ほらほら、想像してみなよ? 絶対、無理でしょ。あと、ほんとに想像した人、妹ちゃんに失礼だから、お詫びにプレゼントでも買ってあげてね。



 そんなわけで、今日も雑念マックスな僕。実は今、マナの使用人――レイと話していた。



 そうして、レイに手渡されたのは、数枚の紙――この世界のお金だ。それも、なぜか全部、もろ一万円。単位も円。でも、絵柄は知らない人だ。


「お小遣い? え、くれるの?」

「はい。あかり様は勇者様ということで、今後の活躍を期待されているようですよ」

「え、僕が、期待されてる……?」


 問い返すと、レイは笑顔で頷いた。


 ――マズイマズイマズイ。


 期待なんかされたら、何をされるか、分かったもんじゃない。妹より優れた兄など、朱里には必要ないのだから。


 ちなみに、勇者だけの呼び出し、というのが多いため、妹と離れることも多いのだが――魔法での監視は常にされている。


 そして問題は、このお金を受けとるのが、勇者を自称している僕だけだということ。


「う、受けとれないって! 妹に悪いし! ほんとに!」

「お渡ししないと怒られてしまいます。……では、物に変えて誰かに贈る、というのはどうですか?」


 それは、いい考えかもしれない。僕の手元に何も残らないのであれば、朱里も文句はないだろう。


 もちろん、プレゼントをすることで、相手の好感度が上がるとなると、いい顔はしないだろうが、こうして断りはしたし、レイに押しつけられている形なので、正当な理由があれば、見逃してくれるはずだ。そこまで理不尽ではない、と思いたい。


 となると次は、誰に何を贈るかだが。誰に、という部分で言えば、一つしかない。


「マナちゃんって、何か好きなものあったりする?」


 そう、あの暴力系美少女のことだ。僕は決めた。彼女をおとすと。え、理由?


 顔が可愛くて、スタイルがよくて、声が癒しで、いい匂いがするから。


 ――とは言うけど、一番は、綺麗だからだ。整いすぎているものは、めちゃくちゃにしてやりたいと、そう思う。白くて綺麗な壁に、スプレーで落書きしたり、バキバキに壊したりしたいのと同じだ。


 まあ、理由はそれだけではないのだが。



「あかり様からいただけるものでしたら、何でもお喜びになるかと」



 ――ん? それは、つまり。



「え、脈ありってこと?」

「あれは完全に、一目惚れというやつでしょうね。本人は気づいていないみたいですが」


 そう言って、レイは、困ったように、しかし、楽しそうに、笑った。


 ――いや、一目惚れであのビンタとか、ツンデレすぎやしませんか。僕、気絶したんだけど。


「てか、それ、僕に言っていいやつなの?」

「あかり様は女性に慣れているとのことでしたから、先にお伝えしておけば、姫様を弄んだりはしないだろうと思ったのです」

「……普通、逆じゃない?」


 僕がそう尋ねると、レイは笑みを浮かべて思惑を隠す。彼女の底が見えない姿勢に、僕は内心で舌を巻く。


「姫様をお願いしますね」

「いやあ、お願いとかされても……」



 好きな相手ならともかく、ただの遊び相手が僕に本気になる以上に面倒なことは、この世にない。


 だから、本当に僕のことが好きな子は相手にしてはいけない――というのが僕流の最低限のルール。


 それを見抜けないやつは、そこら辺の子に手を出してはいけない、というのが僕の持論。


 というわけで、実は、レイの思惑通り、このままだと、僕はマナに手を出せない。我ながら最低な考えだ。


「何か買いに行かれるのでしたら、外出届を出しておきますよ」

「うーん……」


 朱里は、常に僕を見張っていないと気が済まない。こうして離れているだけでも、彼女には多大なストレスがかかっている。


 あまり離れすぎて、逆鱗に触れると、脳ミソにキスしなくてはいけない。――ああ、次は心臓か。響きだけはロマンチックー。


「――あ、そうだ。あかり様、ちょうど、お使いを頼みたいのですが」

「え? あかねに頼めばよくない?」


 朱里は、今もなお、あかねを名乗りながら、自分は勇者ではないからと、この城でメイドとして働いている。積極的な働きぶりが、たった数日だというのに、すでに評価されており、僕との対比も合わさって評判はいいようだ。


 その上、働きながらも僕を監視しているのだから、さすが、僕の妹だ。


「あかね様は、魔法が使えないはずですから、魔法の使用を禁じられた部屋の整理を任せるつもりです」


 ――つまり、朱里に魔法を使わせないでおくから、その間、自由にしてきていいよってこと?


 しかも、自分がお使いって建前で出かけさせたことにするから、大丈夫ってこと? え、この人、なんでこんなにいい人なの?


「とはいえ、まだ慣れないでしょうから、私もこれから手伝いにうかがうつもりです。それでも、二時間程度はかかるかと」


 ――ああ、この人は、全部、分かってるんだ。


「……ありがとう」


 何も考えず、口から溢れた言葉だったが、朱里を手伝ってくれることへの感謝にも聞こえる。きっと、そこまで考えてくれたのだ。


 両親を失って以来、初めてだ。こんな風に、誰かに優しくされたのは。


 ――恐らく、レイは本当は、使用人ではない。マナを守る騎士、だろうか。オーラが違うからすぐに分かった。それなのに、僕にまで親切にしてくれるのだ。


「買ってきてほしいのは――」


 おつかいのメモを取りたくても、文字が書けないので、頑張って覚えるしかない。


「それじゃあ、ちょっと出かけてこようかな」

「買う前に金額が足りるか、ちゃんと確認してくださいね」

「うん、ほんとにありがとう!」


 そうして、無事、僕は城下町でマナへのプレゼントを購入した。お金の計算は、城で説明を受けたはずだが、よく分からなかったため、ノリでいって、足りなかった分は、まけてもらった。

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