第6-4話

 朱里が意識を失った瞬間、限界を迎えてトイレに駆け込んだ僕は、現在、白髪の彼女に背を擦られながら、食べたポテチを便器に戻していた。


 あの日の光景と、重なる。


「食べなきゃ……。もったないから……」

「食べちゃダメだよ。私が掃除しておくから、あかねはベッドに横になってて」

「嫌だ。離れたくない」

「もう、仕方のない子」


 掃除するまなの背中に覆い被さるようにしてくっつき、そのベルスナーキーの匂いを、肺いっぱいに吸い込む。


「好き」

「はいはい」


 手を洗ってから、くっついたまま、ベッドに横になる。だんだん慣れてきて、昔みたいに可愛い反応をしてくれなくなったのが、少し寂しい。


「ポテチ作ったんだけど、食べる?」

「ポテチ!? 食べ――やっぱいらない」

「え、なんで?」

「あかねには分かんない悩みなの」


 ――ああ、そういえば、ちょっとだけ太ってたな。まあ、下腹が出てるわけでもないし、むしろ、前より柔らかくて、いっそ神秘的だけど。まなちゃんって、めちゃくちゃ人目気にするからなあ。しかも、嘘とかすぐ気がつくし。


「僕、まなちゃんが美味しそうに食べてるとこ、好きなんだけどなあ?」

「やっぱり食べる!」


 まあ、まなに限らず、自分の作ったものを、美味しそうに食べているところを見るのは、好きだ。


「美味しい……!」


 特に、彼女は美味しそうに食べているときが一番可愛いと思っている僕。


 食べさせ過ぎないよう、気をつけないと。


「でも、ホイサバがないのは、ちょっと残念」

「え、まなちゃん、ホイサバ好きなの?」

「うん、好きだよ」

「ごめん、ちょっとよく聞こえなかった」

「好きだよ?」

「もう一回いい?」

「好きだってば! 聞こえたでしょ、もうっ。変な遊びばっかり考えて!」


 どうやら、怒らせたらしい。それでも可愛いけど。


「僕も好きだよ、まなちゃん」

「嘘ばっかり! ふんっ!」


 嘘、なのだろうか。自分でもよく分からない。


「まなちゃんの二の腕に、ほっぺたくっつけていい?」

「恥ずかしいから嫌だ」

「じゃあほっぺにキスさせて。さっき吐いたばっかだけど」

「……二の腕、ちょっとだけね」


 吐いた直後っていうのが効いたね、よし。


 まなは腕をまくり、ぷにぷにした二の腕を曝け出す。傷が消え、綺麗になった腕を擦り、頬擦りする。


「あー、めっちゃ気持ちいい」

「にひ」

「ん、なんで今、笑ったの?」

「こそばゆくて」


 どうやら、二の腕がくすぐったいらしい。もっと頬擦りしてやろう。


「すりすりすり」

「にひひひひっ……もう!」

「やっぱり、変な笑い方」

「にひーっ」

「可愛いねえ、その笑顔」

「そんなことないもん。よく言われたけど。……誰に言われたんだっけ?」


 ――きっと、まゆみにたくさん、誉めてもらったのだろう。


 自分の心は分からない。ただ、一つだけ分かっているのは、綺麗すぎる彼女を、僕は、汚すことさえできなかったということ。


 いずれにせよ、彼女から奪ったものが多すぎる。


 いっそ、突き放してしまいたい。朱里は生き返ったのだから、まなのことはどうだっていい。あとは、僕が、マナを諦めて自殺するか、復讐を諦めてマナと一緒になるか、選ぶだけだ。


 だが、まなは、僕の本当の想いを知っている。そして僕は、そんな彼女の優しさに生かされている。


 僕はきっと、誰かに愛されていなければ、生きていけない。それは彼女も同じだ。同じになるように、僕が変えた。


 だから――ハイガルさえ、いてくれればと、そう思うのだ。


***


 次の日。少し落ち着いてから、僕は切り出した。


「ねえ、まなちゃん。僕、アイちゃんに告白しようと思うんだけど――」

「本当!? やったっ!」


 どんな反応をされるかと思ったら、これだ。


 しかし、まなは僕の袖を引いて、


「……やっぱり、なんか、ちょっとだけ、嫌な気持ち。ちょっとだけ」


 少しだけ不機嫌になった。


「ああもう、ほんとに可愛いなあ!」

「きゃーっ!」


 その頭をわしゃわしゃと撫でると、まなは嬉しそうに顔をくしゃっとさせて歓喜の悲鳴を上げた。


 この子には、ロリコンを開花させる才能があるのかもしれない。なんて、馬鹿なことを考えてみる。


「それで、いつ告白するの?」

「いやあ、それは決めてないけど」

「じゃあ今日! 今日がいい!」

「なんで?」

「勢いが大事って、ネットに書いてあったから!」

「何その雑な情報。てか、ネットを使いこなしてるまなちゃんって、すごい違和感」

「早く早く!」


 そう急かされるままに扉の前まで来て、はたと気づいた。


「やっぱり、今日はやめよう」

「なんで?」

「今日は――」

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