第2-9話

 結局、なんとか辛抱強く待って、対処法を聞くことができた。対処法、と言っていいのかは分からないが。


「このままだと、あの子が大きく傷つくことになる」


 そう、一言告げて、愛はまた白髪の少女の後ろに隠れた。


「え、何、暗号?」

「ふーん、なるほどね」

「分かったの? 今ので?」

「ええ。その悲劇を防ぐことができれば、あんたにも、まだ、わんちゃん、あるわね」


 わんちゃん、って、言い慣れてなさがすごいな。


「それで、その出来事、って、何?」




 ──というわけで。僕はその出来事とやらを止めるべく、活動することにした。


 ちなみに、時を止めていた代償は、体の重だるさという形で、バッチリ受けている。そのため、授業は諦めて、寝ることにした。


「あかり、あかり、起きなさい」


 斜め前の席に座る少女──つまり、まなから肩を揺すられて、僕は意識をぼんやりと覚醒させる。


「ほんと無理……今日だけ、寝かせて……」

「いつもでしょ。それに、ティカ先生、すごく怒ってるわよ」

「へ? ティカちゃんが何ってえぶっふ」


 半分寝たまま顔を上げると──額の中心に、チョークが激突した。


「榎下朱里。宿題はどうした」

「宿題? そんなのあったったたい!?」


 眼球めがけて飛んできたチョークを、指で挟んで受け止める。マジで速いって。


「これで何回目だ」

「二十回、とか?」

「大当たりだ」

「よっしゃあっ!」

「放課後、職員室に来い」

「なんで!? 当たったのに!」


***


 というわけで。特別講習を受けた僕は、大量の課題を受け取り、宿舎へと戻った。少しはやろうかとも思ったが、僕などに分かるはずもなく、ものの数秒で諦めた。


 そんなことより、今は、悲劇を防ぐことが最優先だ。話し声が聞こえたため、どうせ二人で話しているのだろうなと思いつつ、僕はまなの部屋をノックする。


「まなちゃん、ちょっと話が──って、あれ、ハイガルくんは?」


 部屋にはまな一人だった。彼女は黙々と勉強をしているらしかった。


「ずっと一緒にいたら、寿命が縮まるじゃない」

「なるほど、心臓が持たないってわけね」


 ノートをよく見れば、集中しているように見えて、実はほとんど進んでいないのが分かる。これは、かなり重症だ。


「何々? 自分の男がそんなに気になるの?」

「別に」


 一見、照れ隠しにも見えるが、ことハイガルとなると、まなは面白いくらいに慌てる。


 だが、今は、至って平然としている。


 ──となると、やはり、もう一つの方か。


「お母さんのこと?」


 まなは、手を止め、何度かまばたきをして、視線を上げる。


「やっぱり、あの人って、その……」


 言いづらそうに口ごもるまなの代わりに、僕が答える。


「そうだよ。下に住んでるユタくんのお母さん。あの人は、まなちゃんのお母さんだよ。ユタくんは君の弟ってことになるね」


 しっかりと肯定してやらなければ、まなは事実から目を背けようとする。だが、そうはさせない。


「なんで、あんたがそんなこと知ってるのよ」

「僕が勇者だからだよ」


 本当は、まなの父親である魔王から聞いた。だが、信じさせることさえできれば、理由なんてどうでもいい。


「むしろ、まなちゃんはなんで気づいたの?」

「一目見て、直感的に、あ、この人はあたしのお母さんなんだ──って、そう思ったのよ。あとは、顔立ちとか、髪の色とか、雰囲気とか、そのくらいかしら」

「お母さんのこと、何か覚えてる?」


 その問いかけには首を振って、「何も」と短く答えた。


「それで、どうするの?」

「どうするって?」

「何か事情があって、生き別れたお母さんと、偶然、再会した。──普通、話したいとか思わない?」

「思わないわね」


 即答から見える意思の強さに、僕は内心で舌を巻く。


「じゃあ、一言、『お母さん』って、呼んであげるとかは?」

「……できないわ。あたしが生きてると、みんなが困るから」


 言いたいことは分かる。彼女は魔族全員から疎まれる、白髪の女なのだ。だが。


「まなちゃんってさ、ほんと馬鹿だよね」

「ばっ……!?」

「自分が良ければそれでいいじゃん。なんで、人のことばっかり優先するのさ? しかも、魔族の方は君のことなんて、ちっとも考えてないっていうのに」

「だからこそよ。自分がされて嫌なことは、他の人にしちゃダメってことくらい、あたしだって知ってるわ」

「いーや。人が嫌がることはむしろ、積極的にするべきだと僕は思うね」

「は?」

「人が嫌がるのって、見てて楽しいじゃん? 一人の犠牲でみんなが楽しくなるならさ、嫌がらせしたっていいと思うんだよね。される側だって、みんなが笑ってれば楽しいと思うんだよ」

「……いじめっ子の発想ね。最低だわ」


 ま、その通りなんだけど。


「どのみちさ、誰にも迷惑かけずに生きていける人なんて、この世にいないんだし。何が嫌かなんて、人それぞれなんだからさ。後悔するって分かっててやらないんだったら、あれこれ考えずにやってみればいいんだよ」

「……それで、もし、誰かを傷つけることになったら?」


 そう言って、まなは自身のサイドテールに手櫛を通す。


「謝ればいいんだよ。ごめんなさいって」


 僕は知っている。謝罪されたって、許せないことがあると。


 それでも、この嘘が、純粋な彼女のためになるのなら。僕は、平気で嘘をつく。


「──ええ、そうね。ありがと、あかり。お母さんのところに行ってみるわ」


 こんな安い言葉を、素直に信じられる彼女が、羨ましかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る