第7-10話 I’s LOVE

「――つらいですよ。それはもう、死にたいくらい、つらいです」




「……でも、私の命は私だけのものではないんです。だから、自殺なんて勝手な真似はできません」




 彼女は、こっそり盗んだ指輪の録画を止めて、ポケットに隠す。


「自分だけのものじゃない?」

「はい。私には、この国を背負っていく義務がありますから」

「……そんなの、捨てちゃえばいいじゃない」


 白髪の少女の言に、マナは少し、息を飲んで、それから、ふわっとした優しい笑みを浮かべ、首を振る。


「一度、本気で捨てようとしたこともありました」

「じゃあ、なんで」

「私は、女王である自分が好きなんです。それに、この立場を捨ててしまったら、きっと、それは、私ではなくなってしまうから」

「――綺麗」

「え?」


 白髪の少女はマナの警戒心をすり抜けて抱きつくと、ヘッドホンのかかった首もとに、ナイフをあてがう。


「相変わらずだね、マナサマ?」

「あなたは……」

「ご名答。察しがよくて助かるよ。ボクは、榎下朱里――本物だよ」

「まなさんに何かしたんですか!?」


 なぜ生きているのか、なぜこんなことをするのか、なぜまなの姿をしているのか。


 そんなことよりも先に、彼女の安否を気遣う言葉が出た。


「今は何もしてないよ。ま、マナサマの今後次第ってとこかな」

「私にできることならなんでもします! だから、あの子には何もしないで!」

「この子がそんなに大切なんだ? ま、ちょうどいいけどね」


 すると、朱里はまず、マナの足元に足枷を放り投げた。


「足につけて」


 その足枷により、マナの魔法は封じられる。抵抗を試みれば、最悪、自害される可能性もある。そもそも、今の少女の魔力がマナを上回っていることは、一目瞭然だ。従わざるを得ない。


「それじゃあ次は、これを天井に取りつけて」


 差し出されたフックを、マナは椅子の上に乗って天井に取りつける。魔力密度の差でどこにでも取りつけ可能だ。仕組みとしては、吸盤でくっつくのと似ている。


「外れないか、ちゃんと確認してねー」


 マナはちらと、朱里の顔を見た後で、外れないことを確認する。


「オッケー。じゃあ、縄。かけて」


 縄をフックにかけると、大きな輪っかが重力に従って垂れ下がり、ぶらぶらと揺れていた。


「それじゃあ、やることは分かるよね?」

「……こんなことをして、あなたになんの得があるんですか」

「得? はっ……」


 そう呟いて、朱里は乾いた笑みをこぼす。


「何ふざけたこと言ってるの? ――君がお兄ちゃんを振って、あんな風に傷つけて、散々弄んだのが許せないって、どうして分からないの!?」


 マナが何か述べる前に、朱里が続ける。


「お兄ちゃんは、君が好きだった。――本当に、大好きだった……。だからボクは、君が大嫌いだった! 君だけは、ダメだったんだ。なのにボクは、お兄ちゃんを、止められなかった……っ」


 少女の赤い瞳から、ぽろぽろと涙が流れる。


「ボクは、お兄ちゃんと一緒にいられれば、それでよかった。お兄ちゃんの中で、ずっと生き続けることができれば、それが一番の幸せだった。本当は、お兄ちゃんに、一番、愛してほしかった。お兄ちゃんにとっての、特別でいたかった。お兄ちゃんの、たった一人の大切でありたかった。……でも、お兄ちゃんは、君を選んだ。だから、諦めて、この世を去ったんだ。一生、ボクを覚えていてもらうために。ボクのことを、君の次に、愛してもらうために。――なのに、どうして!? どうして裏切ったのさ!?」


 マナは驚いた顔をして、瞳をわずかに潤ませる。その涙を瞬き一つで消し去り、わずかに笑みを浮かべる。


「私も、彼が大好きですよ。ずっと前から、本当に」

「じゃあどうして!?」

「私は、欲張りですから。彼の幸せは、私じゃなくてもいい、ということに気づいてしまったんですよ」

「何それ。わけわかんない……っ!」


 マナは朱里のもとへ歩み寄り、その小さな頭を優しく撫でる。「その姿では、殴ることができませんから」と言って。


「私と一緒になっても、きっと彼は、幸せにはなれない。それに、私が女王である限り、彼にも同じ重荷を背負わせてしまう。だから、もし、彼を選ぶのであれば、私は国を捨てなくてはならない」

「国なんて、どうでもいいじゃん」

「私だって、本当は、どうでもいいです。――でも、愛する人の住む場所だから、どうしても、自分の力で守りたい」


 そっと白い頭から手を離して、マナは空の段ボールに、朱音からもらった宝石を並べていく。


「私も、とっても、考えましたよ。国を捨てて。彼と一緒になって。愛を育んで。しばらくはここに住みながら、冒険者として稼いで。それだけでは足りないでしょうから、私は他の場所でも働いて。あの人は自分も働くと言い出しそうですが、できれば、学業に専念してもらいたいところですね」


「どうしても働くというのなら、魔王城になんとか雇ってもらえないか、掛け合ってみるのもいいかもしれません。なんとか、彼だけでも大学に進学させて。大学では奨学金を借りて。卒業後は、返済をしながらも、彼のしたいことをさせてあげたいです。私の方は、なんとでもなりますから」


「そのうちに、子どもが生まれて。その子どもを大事に育てて。たくさん、愛してあげて。私も、少しくらいは家事を勉強して、二人で支え合って。私の作る料理が美味しい、なんて言ってもらえたら、きっと、とっても嬉しくて」


「子どもが女の子だったら、あかねの居場所はなくなってしまうかもしれませんね。きっと、いいようにこき使われて。使われていることにも気づかず、必死に喜ばせようとしたりして。趣味は合うかもしれません。彼は、私よりも女子ですから。男の子だったら、彼とは兄弟みたいになりそうですね」

「……なんで」

「なんて名前をつけようかな、とか。子どもができたら、あかねのことはなんて呼ぼう、とか。子どもたちが結婚したら、あかねは絶対に泣くだろうな、とか。ずっと先のことばかり考えて」

「なんで……っ」

「とってもかわいい子どもたちに囲まれて、たくさん愛を注いで。そのうち、みんな巣立っていって、また二人きりになって。私たちがおじいさんおばあさんになっても、きっと、私とあかねはずっと仲良しで。どちらが先に旅立つことになっても、さいごの瞬間まで愛し合って。そのときもきっと、たくさんの幸せに囲まれることになるでしょう」

「じゃあ、なんでッ!!」


「どうしても、その中に、彼の本当の笑顔を、見つけられなかったから」


 マナは段ボールの蓋を閉めると、それを縄の真下に運び、手をぱんぱんと払う。


「そんなこと、やってみなくちゃ分からないじゃん」

「分かりますよ。私を振ったあの日から、彼はずっと、つらそうに、笑顔を作っているから」

「それでも、お兄ちゃんは……っ!」

「彼が私を本当に好きなことくらい、ずっと前から知ってます。――でも、それよりずっと、私の方が彼を愛してる。それだけは、とっても、自信があるんです」


 彼女は再び、少女の頭を撫でて、


「まなさんの姿で、そんな風に泣かないでください」


 とびきりの優しい声で言う。


「何があっても、お兄ちゃんを幸せにするんだって、そう言ってよ……」

「私さえいなくなれば、全部、もとに戻る。まなさんは救われる。あかねも、幸せになれる。二人が笑顔でいるために、私が邪魔だというのなら、私は喜んでこの首を差し出しますよ」


 マナは少女の軽い体を持ち上げて、扉の外で下ろす。


「私はちゃんと、自殺で処理されるようにします。だから、まなさんには、何もしないでください。それから――これ以上、あかねを悲しませるようなことは、しないでください。あの人を、一人にしないであげて」

「……さっき、国を背負っていかないとって」

「確かに、死なない理由はそれだけで十分です。――でも、二人は私にとって、国よりも重い存在なんですよ」


 閉められる扉に、内側から、鍵がかけられた。


 表情の見えない扉越しに、マナから声がかけられる。


「指輪は、まなさんに渡してください。――せめて、あの子にだけは、私を覚えていてほしいから」


 それが、彼女の最期の言葉だった。

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