第7-9話 I LOVE I

 モノカから有力な情報を得ることはできず、今日のところは宿舎に帰ることにした。


 自分の部屋に荷物を置いて、まなの部屋に向かう。


「ただいまー」


 どちらだろうかと思いながら、扉を開ける。


「おかえり、お兄ちゃん」


 朱里の方だった。行きも朱里だったが、一応、置き手紙を用意していた。取り乱す可能性を少しでも減らしておくためだ。とはいえ、最近は本当に平気そうだが。


 話を聞きたいのはまなの方だが、朱里も何か知っている可能性はある。だが、


「何そこで突っ立ってるの?」

「いや、なんでもないよ」


 一体、なんと切り出したものか。


 などと悩んでいるうちに、朱里の意識がふっとなくなる。目を開けた彼女に問いかける。


「合言葉は?」

「朱里が大好き。……ねえ、なんでこの合言葉なの?」

「ん、なんとなく分かるでしょ?」

「全然」


 ま、分からないだろうね。


「これは、僕が思いつく限りで、一番、朱里が言わなさそうな言葉だよ」


 朱里は僕に嫌われていると思っている。だから、間違っても、『お兄ちゃん、私のこと、好きでしょ?』などとは言わないのだ。めちゃくちゃ言いそうだが。


「ふーん。でも、それなら、ぷまぷまとかでもいいよね?」

「何ぷまぷまって」

「適当に作った言葉」

「なるほど、まなちゃんが作った言葉にすればいいのか」


 僕が適当に作った言葉は、朱里も思いつく可能性があるので使えない。双子の不思議な共鳴というやつだ。――まあ、それを言ったら、裏を見透かされている可能性もあるのだが。ちなみに、合言葉を決める前は、最後に何を話していたかで本人確認をとっていた。


「ま、それはいいとして。まなちゃん、ちょっと、マナのことで聞きたいことがあるんだけど」

「うん、何?」

「マナの持ち物の中から、ピンクの指輪だけなくなってたんだけど、何か知らない?」


 尋ねられ、少し考える素振りを見せたまなを見ていると、直後、瞳孔が小さく引き絞られるのが見えた。


「何か知ってるね」

「知ってる」

「じゃあ、教えて?」


 すると、まなは、首を横に振り、


「ちょっと、考えさせて」


 と言って、黙って床を見つめ、考え込んでいるらしかった。


「うん、そうだよね」


 何か、納得したように頷く。


 そして、おもむろに時空の狭間を生み出した。


 かなり高度な魔法で、僕でも使うまでに数年かかった記憶があるが、まなはまだ、魔法が使えるようになって数ヶ月といったところだ。さらに言えば、魔力の消費などの都合により、訓練したところで、これを使えるようになる者はかなり少ない。


 ちなみに、この空間収納、無限収納などとも呼ばれる魔法を使うと、その名の通り、なんでも入れることができるが、所有者にしか開けない。ハイガルが隠したタマゴを取り出すことができないのも、この特性によるものだ。


 まなはそこから、何か、彼女の手のひらにすっぽり収まるくらい小さいものを取り出し、僕の手に置く。


「これ――」

「あかねが捜してた指輪だよ」


 僕を想っていたマナにとっては、すごく大事なものだったはずだ。それがなぜ、彼女の手に渡っているのか。


 心臓がざわつく。


「なんで、これが、ここに」

「私が気づいたときには、もうここに入ってた。あの子なら、多分、知ってると思う」


 僕はその指輪をはめて拳を握り、中の映像を再生させる。映像と言っても、魔法により再生される三次元の映像で、まるで、自分がその撮影者であるかのような心地になるものだ。


 そこに映っていたのは、なんてことのない、日常の風景だった。マナの顔が目の前にあって、撮影者と話をしているだけ。ただそれだけの映像だ。


 だからこそ、分かってしまった。


『――マナって、すっごく、頑張ってるわよね』

『自分ではそうは思いませんが』

『ううん。すごく、頑張ってる。あたしが保証するわ』

『それは、心強いですね』

『つらくない?』




『――つらいですよ。それはもう、死にたいくらい、つらいです』




***


 指輪を蛍光灯の光にかざして、朱里が出てくるのを待っていた。


「僕、今まで、散々、悪いことばっかりしてきたからさ。きっとこれは、その報いだと思う」

「私は、あかねの過去は知らない」

「うん」

「もしかしたら、あかねはすっごく悪いことをしたのかもしれない」


 机の上に肘をかけ、短髪をむしるように頭を抱える僕の背中に、まなはぴったりとくっついてくる。


「でも、悪いことをしたから、酷い目に遭うわけじゃないよ」


 頭に柔らかい感触がのせられて、右から左にゆっくりと、動いていく。


「じゃあ、なんでだよ」


 背後のまなは、きっと、すごく困った顔をしているだろう。それでも、なぜと問いかけずにはいられなかった。


 ただ、可哀想だと、慰めてほしかっただけなのかもしれない。


「ねえ、あかね。もし、付き合ってるなら、私と別れて?」

「……え」

「別れてくれたら、さっきの質問に答えてあげる」


 予想もしない言葉だった。こうして、誰かから別れ話を持ち出されたのは、初めてだった。そもそも、付き合っていたのかどうかも分からないのに。


「そんなこと、急に言われても」

「もう、やめよう。お互い、自分に嘘をつくのは」


 それから、まなはこう続けた。


「あかねの一番大切な人は、マナだよ」


 まなはするりと僕の背から離れる。


 ふと、『何も言い返してくれないんだ』と、マナの声が聞こえてきた。彼女にもマナにも、本心を話したことなど、数えるほどしかなかった。


 ――でも、この気持ちにだけは、嘘をつきたくない。


「大丈夫。きっと、なんとかなるから。あかねは、一人にはならない」


 ただ一つの答えを伝えるために、少女は今の関係を断ち切る決意をした。


 ただ一つの答えを聞くために、僕は、


「いいよ。別れよう」


 顔を上げて、その決意に応えた。


 すると、まなは僕の頬に、初めて、キスをした。


 離れて、拳の甲を見せつける彼女に、「何そのポーズ」と言いつつ、同じようにして軽く甲を合わせる。


「さっきの質問の答え、聞かせて。どうして僕は、こんな理不尽な目に遭うんだと思う?」




 まなは、にやりと、不敵な笑みを浮かべ――そのまま拳を思いきり、振った。頬に衝撃が走り、視界が無理やり外に向けられる。


「甘えてんじゃないわよ」


 振り切った手の赤さと、頬の痛みと、厳しい声と言葉と、嫌になるくらい優しい表情に、涙が出そうだ。ああ、そのすべてが、懐かしい。


「あたしが、ハイガルよりあんたの願いを優先したのは、なんでだと思う?」

「さあ――?」

「マナに頼まれたからよ。そりゃ、あんたのせいで、一瞬だけ、自分を見失いかけてたときもあったけれど。――マナは、あたしのことを、魔族と人間の混血を揶揄して、『穢れた血』って言った。その一撃で、完全に目が覚めたの。マナが理由もなく、あんなこと言うわけないから」

「……やっぱり、マナには勝てないなあ」

「それにね。あたし、もらった分は、返す主義だから。嘘でも優しくされた分は、返さなきゃって、そう思ったの」

「義理堅いねえ」

「でも、もう十分、返したでしょ?」

「うん。十分すぎるくらいにね」


 肩をすくめた少女は、深呼吸をして。


「あたしは、今でもハイガルが大好き。だから、どんなにつらい想いをすることになっても、それを乗り越えようって、そう思える。――前を向いている限り、誰にも、あたしたちが不幸だ、なんて言わせないわ」


 その赤い瞳は、どんな星よりも、綺麗だった。


「――僕も、もう少しだけ、頑張ってみるよ」

「ええ。きっと、あかねなら大丈夫。マナのためなら、頑張れるでしょ?」


 心が縛られるくらいの信頼が、ただただ、心強かった。

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