第3-6話

 胸倉を掴まれたギルデは、しかし、まったく弱気を見せなかった。


「僕がマナを想ってない……? ふざけるな! 僕は僕のすべてを彼女に懸けられる。彼女の存在だけが、僕の生きる意味だ!」

「それは、お前の人生に、もう、マナ様しかいないからだろう」

「……どういう意味だ」

「榎下朱音。お前の双子の妹で、お前の半身のような存在だった。でも彼女は死んだ。そして、彼女の死と同時に、貴様は自分自身の人生を、殺した」

「何を言って――」

「その証拠が、その気持ち悪い女装だ。お前は、亡くなった彼女に人生を譲ろうとした。そしてそんな死ぬことも生きることもできないような曖昧な状態のままマナ様を連れ出したそうだろう!!」

「……お前に何が分かる!?」

「分かる! マナ様のことは、僕が一番よく見てきた。その横にいる目障りな男のことも同じくらいに。貴様がマナ様を見ていないことくらい、嫌でもすぐに気がついたさ!」

「いいや、僕はマナが好きだ!」

「何度でも言ってやる。今のお前のどこに、マナ様を想う気持ちがあるんだ! 彼女を、あんな目に遭わせておいて!!」

「……だったら。だったら、君が守ってやれば良かったじゃないか! どうせ、また、マナの近くにいたんだろ!?」

「僕じゃ足りないことくらい、僕が一番分かっている。だからこそ、お前に任せたんだ。任せるしか、なかった……それなのに、お前は!」

「自分が足りないからって、僕に丸投げするなよ。自分が強くなればいいじゃないか」

「努力が才能に勝つには、時間が必要だ。だからこそ、僕は僕の人生を、マナ様を守るために捧げてきた。それでも、今の僕にはどうあがいたって、君には遠く及ばない」

「はあ……? 恵まれてるやつが、何言ってるんだよ。生まれたときから、君は僕より恵まれてただろ。剣神の子どもなんだから」

「強者の子どもが、いつでも恵まれていると思うなよ」

「マナが生まれたとき、そこにいることのできたやつが、何を言ってるんだよ」

「そこにいただけだ」

「いいや、違う。君はそこにいることが、許されたんだ。君と僕じゃ、幸せになる才能が違いすぎる。どれだけあがいたって、僕は君には、なれない。――努力は才能に、勝てないんだよ」

「言うに事欠いて、今度は不幸自慢か」

「はあ……?」

「可哀想だとでも言ってあげれば、満足かい? 自分は不幸だから、好きな女の一人も守ってやれない、ああ可哀想だと、そう言いたいんだろう?」

「ギルデルド――ッ!!」


 そこからは、殴り合いだ。


 自分から触れておいて、今さら、吐き気が込み上げてきた。ギルデルドの靴に思いきり吐いてやれば、彼は僕の顔を、その汚物の中に引きずり込んだ。


 脛を殴打し、怯んだ隙に顔を衣服になすりつけると、急所を膝で蹴り上げられる。痛みで飛びそうになる視界が、鳩尾への肘鉄で元に戻されると、吐瀉物としゃぶつに血が混じった。


 胃がひっくり返るような嘔吐感に、思わずうずくまると、鼻先を汚れた爪先で蹴り上げられる。


 容赦などないのだと、ようやく気がつき、ふらふらと立ち上がって魔法を放つ――が、今ので魔力切れだ。


 仰向けに倒れたソレの腹を思いきり踏みつけて、踵をねじ込むと、足を浮かされ、前にバランスが崩れる――だが、足は掴まれたままだ。


 自重で足首が曲がり、鈍い音を立て、鋭い痛みを訴える。


 お互いに立ち上がり、睨み合う。


 親指の関節でこめかみの骨を砕き、耳に穴が開くほど、歯を強く突き立てる。


 腕を掴まれ、爪がくい込む。


 太ももを蹴る。蹴る。蹴る。


 足を掴まれて、関節を外される。


 重心の移動で押し倒し、ソレの鼻をつまんで、唇を覆うように口を密着させ、息を吸い上げる。肺が下がるのを確認しながら、鼻から息を出し、どんどん吸い上げる。


 横腹を何度も殴られる。頭を強く絞められる。肩が強く掴まれて、窒息させる寸前で引き剥がされる。


 僕は唾を吐き捨てる。


 酸欠で真っ赤になった屈辱的な顔と、上下する肩が、最高にそそる。――胃液を吐くと、全身の痛みが快楽へと変わる。


 隙だらけの顔面に、拳をもろにくらう。


 近づいた距離を利用して、舌を絡ませ、体をくすぐり、急所をなぞり、瞬時に絶頂へと至らしめる。


 そして、急所を叩き潰す。


 股間を押さえて、うずくまっているソレの、がら空きの首の後ろを狙う。意識を刈り取ろうと手を上げると、腋の下にある神経の集合体を殴られ、怯んだ隙に、髪を鷲づかみにされる。


 正面の口に、奥まで腕を突っ込む。噛まれないよう、しっかり入れ、舌の付け根を指でなぞる。吐き出されそうな勢いに逆らう。


 腕を何度も、何度も、叩かれて、骨と肉が絶たれる。髪から離した手により、腕がちぎられる――。



 ――いつから意識を失っていたのか。目が覚めると、そこは、自室のベッドだった。誰かにここまで運ばれたのだと思うと、また吐き気がしてきて、それらをすべて、トイレに戻す。


 それから、汚物まみれだったはずの全身や衣服、身体の損傷箇所が、さっぱり綺麗になっているのを見て、さらに嘔吐する。誰かに洗われて、着替えさせられ、治療されたのかと思うと、とても、気持ち悪いで済むようなものではなかった。そのまま、トイレで意識を失いそうだったので、袋を構えてベッドに戻り、しばらく横になることにする。


「――一人か」


 一人を感じるのは、これが初めてかもしれない。昔はずっと、朱里と一緒だった。亡くなってからは、アイがいてくれた。そして、アイが意識を失ってからは、まなやハイガルがいてくれた。


「ほんとに、取っ替え引っ替えって感じだな、僕」


 ギルデルドに言われたことは、言われた僕自身が、一番理解していた。だから、認めたくなかったのだ。


 おそらく、もう彼と以前のように話すことはないだろう。ここまで拗れてしまえば、修復はほぼ不可能だ。お互い謝る気もない。そもそも、仲直りしたいとも思わない。


「胃が痛い……」


 吐きすぎたのだろうとぼんやり思いつつ、僕は王都の門前に瞬間移動する。検問を通り、城へと向かい、彼女に会いに行く。


 アイの顔なら、いくらでも見つめていられるが、今日、王都に来た目的はもう一つある。


「れなさんって、今、どこにいますか」

「本題はそちらか」


 エトスが鋭い瞳で見返してくる。常に変化する大賢者の居場所だが、現在、国政を執り行っているエトスなら知っているだろう。


「これを渡しておくよう頼まれた。受け取れ」


 それは、一通の手紙で、賢者の居場所が書かれていた。つまり、僕がこうしてエトスに尋ねることまで、予言していたということだ。


「ありがとうございます」

「押しつけられただけだ」


 まなの居場所を知るために、僕はれなを訪ねることにした。

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