プロローグ

 朱里が死んだ。


 亡くなってすぐに、朱里の悪事はすべて公表された。証拠の類いは何一つ、残っていなかったが、彼女の遺書に、犯人しか知り得ない情報が残っていたのだ。


「まさかあかねが、あんなことをしていたとはな……」

「死んでくれてよかった」

「お前も辛い目に遭わされてきたんじゃないか、あかり?」

「――まあね。でも、全部昔のことだからさ。それに、みんな分かってくれたみたいだし、今は大丈夫」


 その日、自分がどんな表情でいて、何を話したのかは、よく覚えていない。


 きっといつも通りの笑顔で、平然を装っていたのだろう。


 ただ、一人になってからは、何もする気が起きなくて、ずっと横になっていたような気がする。


 ――次の日の夜、意味もなく城下町に出た。


 あんなに消えてほしかったのに、朱里が亡くなっても、ちっとも嬉しくはなかった。


 ふと、幸せそうな顔で歩いている人を見つけた。その笑顔が、とにかくムカついた。


 むしゃくしゃして、転がっていた缶を蹴っ飛ばすと、その先に、ガラの悪そうな集団がいた。


「なんだてめえ?」


 掴みかかられそうになって、避けた。――ちょうどいい。



 懐のナイフで、全員、返り討ちにしてやった。城での訓練が役に立った。


「あれ、もう終わり? あんなに息巻いてたのに、弱すぎなんだけど」


 かろうじて意識のあるリーダー格の一人。そいつの前にしゃがみ、髪を掴んで持ち上げる。


「命乞いしてみろよ。助けてくださいって」

「た、助けてください……!」

「ふはっ、だっさ。でも、面白かったなあ、今の。だから、おまけしてあげるよ」


 太ももに一刺ししてから、小指を切り落とす。


「小指はサービスだよ、笑わせてもらったお礼さ」


 すでに、痛みで意識を失っているらしかった。よく見ると、失禁している。


「うーわ、きったな」


 吐き気は、無理やり飲み込んだ。


 ――そうして、静寂だけがとり残された。


「……帰ろ」


 三日と経たないうちに、ナイフの代わりに魔法を使うようになった。皮膚を焦がしたり、蔦で首をしめたり、水攻めしたり。


 そして、自分より強いやつがいないことに絶望した。



 ――殺してもらえないじゃん。



 五日か六日経つ頃。たまたま、倒した相手が、白い粉を落とした。それが何であるかは、すぐに分かった。


「魔族が持ち込んだんだろうな」


 吸い方は知っている。売人をやったこともある。吸ったことは、ない。


 そうして、口元へと運び――、


『お兄ちゃんは、薬に手を出しちゃダメだよ? 大事な商品なんだから』


 ふと、そんな記憶が蘇り、手が止まる。


 あれは、薬のことだったのか、僕のことだったのか。


 どちらにせよ、いい記憶ではない。


「……なんで今、思い出すかなあ」


 そんな自分が、どうしようもなく嫌になって、薬はその場で消滅させた。


***


 数日前から、僕は城に呪いをかけていた。


 理性を少しだけ、弱くする魔法だ。


 醜い本音や、本当にしたいことが何であるか、知りたかった。それだけだ。


「あかね、隣国の王子に情報売ったんだってさ」

「その上、壁内に魔族たちを引き入れたんだろ?」

「自分だけ助けてもらおうって算段かよ。最低だな」

「しかも、詐欺で稼いだ金で、武器を買ってたらしいぞ」

「それも魔族に渡したんだろ?」

「マジで許せない!」


 全部、事実だ。誰も間違ったことは言っていない。それでも、魔法をかけなければ、そんな本当のことでさえ、誰も言わなかった。


 まるで、自分のことを言われているみたいだ。僕は朱里なのに。


 朱音が死んだ。


 そう、朱音は死んだのだ。


 朱音は――いや、死んだのは、朱里だ。朱音は僕だ。


「でも、あかりが殺されなくて、本当によかったよ!」

「いやあ、僕、愛されてるねえ」


 まるで、自分が死んだような気になっていた。


 そうだ。やっと、朱里が死んでくれたのだ。もう、一生、彼女の目に怯えなくていい。


 好きな人たちと、好きなように、好きなだけ関わっていい。


 僕を好きでいてくれる人を、朱里から遠ざけるために、傷つけようとしなくていい。


 ――ああ、僕は、やっと自由になれたんだ。


***


 いつも通り、剣を振りながら、お墓を見に行く。


 スプレーで落書きされたり、ごみを巻き散らかされたり、酷い様だ。魔法がなければ、こんなことにはなっていないが。


「――当然の報いだ」


 こうなって当然だ。何人が死んだと思っている。朱里のせいで。




 ――気づけば、自室に戻ってきていた。


 ふと、机の上を見ると、そこには、透明な液体の入ったボトルがあった。確か、ルーリエの化粧水だったか。


 朱里が、僕と彼女の誕生日に贈ってくれたものだということだけは、鮮明に覚えている。


 傍らには、未開封のままの、朱里へのプレゼントが置かれていた。それがとにかくムカついて、僕は包装紙をビリビリに破り、そのままの勢いで、中のものまで裂こうとして――できなかった。


 なんてことはない。ただの服だ。近くで売っていて、彼女に似合いそうだと思って買ってきた。それだけだ。ファッションに興味があるくせに、こちらに来てから、一つも私服を買っていなかったから。


「もう、一緒に誕生日を迎えることも、プレゼントを贈ることも、驚いた顔を見ることもできないのか」


 そんな当たり前のことに、今さら気づいた。


「――朱里は、僕のこと、どう思ってたんだろう」


 その答えを、知ることはできないのだと、気がついてしまった。



 魔法で人を生き返らせることはできないのだから。


 ――昔は仲が良かった。


 マナと三人で寝ていたときには、普通の会話をしたりもした。


 最近は、無茶苦茶なこともしなかった。


 誕生日にプレゼントをくれた。


「――僕は、朱里を、どう思ってたのかな」


 自分のことなのに、彼女を失ってから、まるで分からなくなった。



 大嫌いだ。死んでくれた。ざまあみろ。今でも憎い。絶対に許せない。



 そう思うのに。


「なんで、涙が止まらないんだろう……」


 僕はどこか、おかしくなってしまったのだろうか。ストックホルム症候群みたいな――いいや、僕はあの子が、大嫌いだった。今でもそうだ。


 それなのに、僕は、誰もあの子の話をしてくれないのが寂しくて、魔法をかけた。


 朱里は、誰にも愛されていなかったのか。それを、確かめるために。


 ――きっと、彼女には、僕が彼女を大好きだとは、伝わらなかった。


 どうしてあのとき、助けてあげられなかったのか。目の前で自殺させるくらいなら、殺してあげればよかった。願いを叶えて、救ってあげればよかった。



 ――全部、忘れることができたら、楽になれるのだろうか。


「……忘れたく、ないなあ」


 化粧水を手に取り、成分表示を見ていると、一つだけ、読める文字があった。読み書きは習っているが、他は読めない。


「アルコールか――」


 僕はお酒が飲めない。生まれつきのアルコールアレルギーだ。結局、僕には一生、これを使うことができない。




 一瓶、一気飲みすれば、もしかしたら――。




『お兄ちゃん』


『――大好き』




「……いつの記憶だよ」


 君は、死んだあとも、僕を縛るのか。



 ――あの頃は、すごく、幸せだった。



 きっと、一言だけでよかった。一言、ごめん、と謝ってくれたなら、僕は、君を許せた。でも、


「今さらだ……っ」


 朱里は、最期まで、謝らなかった。


 悪いとは思っていたのかもしれない。僕が彼女を嫌っていることに、気づいていたのだから。


 それでも、彼女の口から、彼女の意思で、今までのことについて、謝罪がされることはなかった。


 それだけが、ここに残った事実だ。



「――ほんと、死ねばいいのに。死んでるけどさ。……あ、ヤバい」


 久々のパニック発作だ。酷い動機がする。幼い頃は、ほぼ毎日のように起きて、朱里に『これが恋だよ』なんて、教えられたりもした。異世界に来てからやっと、真実を知った。


「自分が半分、なくなったみたいだ」


 ひたすらに怖い。怖くて仕方がない。体がバラバラになりそうだ。


 化粧水を置いて、ベッドに横たわり、布団をぎゅっと抱きしめて、じっと耐える。


「ごめんね、朱里。僕も、君を愛してるって、ちゃんと伝えてあげられなかった」


 何度、好きだと言ったかは分からない。だが、口先だけだ。伝わるように言ったことはない。


 どれだけ泣こうが、どれほど悔いようが、どうしようもないくらい憎んでいようが――それと同じくらい、愛していようが。


「なんで、死んじゃったんだよ……」


 もう、彼女には、何も届かない。


***


 ――朱里が亡くなって、一週間が経つ頃。


 マナが言ってくれた。


「もし、もう一度、会う機会があったとしたら、まず、殴ります。それから、罵倒の限りを尽くして。問い詰めて。……それで二度と、馬鹿なことはしないようにと、力ずくでも、止めてあげたかった」


 朱里のことをそう言った。




 だから僕は。


 一人だけでも、朱里を想ってくれるのなら。


 ――安心して、恨んでいいのだと、そう思ったのだ。




~あとがき~


次回から一話、始まります。

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