私にしか。

 目覚めた瞬間から、意識ははっきりしていた。記憶に混濁もなく、目立った外傷はなさそうだ、と自分で判断できるほどには。


「――」


 しかし、動かせるのは上半身だけで、下半身の自由が利かないということにも、すぐに気がついた。


 呼吸器を外して、ゆっくりと起き上がり、部屋を見渡す。


 絢爛豪華な調度品、壁の洒落たレリーフ、本物の黄金があしらわれたシャンデリア、大理石の床。恐らく、城の一室だろう。


 テープをはがし、腕に刺さった点滴を抜き、機材やら何やら、一切合切を外すと、心電図がピーと、けたたましく鳴いた。人を呼ぶには、これが一番、速い。


「姫様――!」


 慌ててやってきたのは、レイ――物心ついたときからの、私の従者だ。


 昔は世話係だと勘違いしていたが、本当は近衛騎士団の団長であり、世界で最も尊い存在である、私の護衛であることを、最近になってようやく知った。


 とはいえ、私の感覚では、今でも世話係であり、第二の母であり、最も信頼のおける人といった印象だ。


「そんなに慌てて、どうしたんですか?」


 外した電極をひらひらと振り、挑発するように見せつける。いつものように、怒りながらも笑って、また怒るのだろうと、そう思っていた。


 しかし、レイは何かを言葉にするより先に、私をぎゅっと抱きしめると、髪を包み込むように、私の頭を優しく撫でた。


「レイ?」


「無事で、よかった。本当に、よかった――」


 声と腕が震えていて、口からは嗚咽が漏れていた。


「レイ、泣いているんですか?」


「姫様のせいです……。姫様が、無茶ばかりするから……っ」


 意識を失う前のことは覚えている。蜂歌祭で大規模な爆発が起こったのだ。そのすべてを抑え込むために、私は、私の持てる限りの、全魔力を投入し、障壁を張った。


 最後に見た景色が幻でなければ、被害は出ていないはずだ。早く確認したいと、はやる気持ちはあるが、


「どうして、あんなことをしたのですか!? どれだけ心配したと思っているのですか!?」


 レイは私をぐいっと押しのけると、かつてないほどの怒りを顔に浮かべて、真っ直ぐに私の瞳を捉える。彼女の瞳から流れる涙に、罪悪感が湧く。


 ――それと同時に、どこかで、叱られることが、心配されることが嬉しいと、そう感じている自分がいることに気がつき、思わず、頬が緩む。


「何がおかしいのですか!?」

「すみません、もう、あんな真似はしませんから。そんなに泣かないでください」

「嘘です! また同じようなことがあれば、姫様はまた同じように自分を犠牲にするでしょう!?」

「そんなことは――」

「あります! あなたよりも、私のほうがあなたを知っています!」


 否定しようとした言葉が遮られて、私は口をつぐむ。


「絶対に、もうしませんから」

「――もし、姫様に先立たれるようなことがあれば、私は、どうにかなってしまいますよ」

「わかってます。大丈夫ですよ」


 彼女を安心させるために、笑みを浮かべているのに、むしろ、彼女は不安そうな顔になっていく。そんな表情が、痛くて、私は気づかれないように目をそらす。


 それでも。私にとって二人は――まなとあかりは、世界よりも重い存在なのだ。


 もし、二人に何かあれば、たとえ、世界を滅ぼすことになったとしても、構わない。


***


 動かない足のほうは、もう二度と、元には戻らないかもしれないと言われた。リハビリすれば、歩くのに支障は出ないそうだが、昔のように走ることはできないらしい。


「それでも、守れてよかった」


 多くの民たちを救えた。その代償がこの足だけだというのなら、安いものだ。


「姫様」


 そのとき、レイに名前を呼ばれ、私は目だけ振り返る。なんだか、嫌な予感がする。



「榎下朱里様が、マナ様のお見舞いにいらっしゃって――」

「追い返してください」



 案の定、嬉しくない知らせだった。今一番、顔を見たくなくて――目覚めたとき、一番、側にいてほしかったその人。


 今、彼の顔なんて見たら、どうにかなってしまいそうだ。


「本当に、よろしいんですか?」

「彼の顔なんて、二度と見たくないんです」


「それは、本心ですか?」

「はい、紛れもなく」


「嘘ですね。本当は、会いたくて仕方なかったのでしょう?」

「そんなことはありません。決して」


「朱里様は、姫様の意識のない間も、忙しい中、お見舞いに来てくださっていましたよ」

「……そうでしょうね。彼の世界には、私しかいないんですから」


 きっと、今の彼はすごく、寂しがっていることだろう。私だってそれくらいはわかる。彼は人が大好きで、けれど、アレルギーみたいに、受け入れることができないのだ。


 だからこそ、受け入れられる人を、受け入れてほしい。私でなくていいのなら、私じゃないほうが、きっといい。


「分かりました。会ってきます」


 ――これですべて終わらせよう。あえて、酷い言葉をぶつけて、彼に嫌われて。


 それできっと、私は一晩中、レイの膝を濡らすのだろう。


***


「アイちゃ――」

「来ないで」


 強い拒絶を込めて、睨みつけることで、私は彼を遠ざける。


 足を引っ込めた彼は、優しい顔で笑うと、


「元気そうで、よかった」


 目尻に涙を浮かべて、そう言った。本当に、心配してくれていたのだろう。わかってはいる。


 でも。


 ――無性に腹が立つ。


 彼のもとへ向かおうとして、咄嗟に飛び降りてから、自分の足が動かないことを思い出す。


「マナ様!」


 みんなが心配してくれる。――だが、表面だけだ。私が女王だから。


 この場で、本当に私を気遣ってくれるのは、殺気の中でも臆せず進んでくる彼、ギルデルドだけ。


「マナ様、あまりご無理は……」

「ギルデルド。肩を貸しなさい」


 私は無理やり立ち上がり、彼の眼前に顔を近づけて、言い放つ。


「よかったって、何?」


 なぜ、彼の言葉にこんなにも、いらついているのだろう。


 彼が本心から私を心配してくれているのは、嫌というほど伝わっているのに。


「ほんとに、すっごく心配だったからさ。アイちゃんがもう、起きないんじゃないかって」

「心配……?」

「うん。だから――」

「ふざけないでッ!」


 思わず、叫んでいた。


「私は、死にたかったの! あなたのいる、こんな世界で生きるくらいなら、いっそ、殺してほしかった! 永遠に目覚めたくなかった! あなたの顔なんて、二度と見たくなかった!!」


 生きたいと、そう願えたのは、彼のおかげだった。愛する世界と同じくらい、自分を愛していいのだと、気づかせてくれたのは、彼だった。


 私を誰よりも愛してくれて、私が誰よりも愛したいと願ったのは、彼だった。彼のためなら、なんだってできる。顔を見られるだけで、とっても、嬉しい。


 彼が幸せでいられるのなら、私は二度と、目覚めなくてもいいと、そう思った。でも、やっぱり、心配だった。だからきっと、目覚められたのだ。


 すべて、あなたのおかげだ。


「なんで会いに来たの。二度と私に関わらないでって言ったよね。あなたの顔なんて、もう見たくないって。消えてって。私の目の前からいなくなってって。死んじゃえって、そう、言ったのに。どうして、まだ、生きてるの?」


 こんなにも酷いことを言っているのに。


「君が好きだから」


 彼は真剣な眼差しで、照れる様子もなく、そう言うのだ。きっと、彼は自分の言葉が薄っぺらだと、そう思っているのだろう。こんなことしか言えないと、自分を責めるのだろう。


 けれど、それが本心なのだと、痛いほど伝わってくるから。


 だから、腸が煮えくり返る。


「本当に好きなら、私の願いを叶えて!」


 お願いだから。もっと、自分の幸せを願って。あなたが幸せでいることが、私の一番の願いだから。


 そう、伝えたいのに。


「死んだら、君を守れないじゃん」


 死んでほしいなんて、願っていない。ずっと、近くにいてほしかった。


 でもあなたは、私以外の何かを優先して、私と別れると、そう言った。


 それに、どれほど、胸がしめつけられるように痛んだか、あなたは知らない。


「あなたが私を遠ざけ――っ!」


 突如、胸に激痛が走り、私は思わず、その場に座り込む。――心配させたくなかったのに。


「マナ、どうしたの!?」

「マナ様、これ以上は」


 そんなに心配そうな顔をしないでほしい。思わず、抱きしめたくなるから。頭を撫でて、安心させてあげたいと、そう思ってしまうから。


 ――期待、してしまうから。


 ギルデルドの制止も聞かずに、私は彼を睨みつける。


 最後に、一言だけ。


「私は、あなたに都合のいい、ゲームのキャラじゃないの。決められた通りの台詞を言えば、いつでも上手くいくなんて思わないで!」


 ――朱音は、何も答えられなかった。


 これが、一番、彼を傷つける言葉だと、知っていた。


 朱音は、自分の心が分からない人だ。だから、理想をなぞるようなことを言って、人を喜ばせようとする。だから、余計に分からなくなる。


 けれど、本当は、朱音の考える理想こそが、朱音の本心なのだと、あなたは知らない。いや、これはきっと、私しか知らないことだ。


 そんなところが、私にとって、とびきり特別で、大好きで、たまに、苦しくなる。


 私が教えてあげられたなら、きっと、あなたはずっと楽に生きていけるだろう。


 でも、それは、私だけの秘密にしておきたいのだ。


 そう望んでしまうのは、やはり、欲張りだろうか。


「何も、言い返してくれないんだ」

「そんなこと思ってないさ」


 きっと彼は、その通りだ、なんて思ったのだろう。そんなことないのに。


 彼の嘘は、誰かを傷つけるためのものじゃない。誰かのためにつく嘘だ。


 それを酷い人だなんて思えない。ずっと、心の底から、愛してる。


「もう、遅いよ」


 私はギルデルドの力を借りて、車椅子に戻り、彼に背を向ける。そうして、止めることのできない涙に、肩を震わせないようにする。


 これでいい。きっと、これで。


***


 ――最近、あかりがまったく、勉強していない。宿題は出している。まなのを写して。もちろん、授業はまったく聞いていない。


 本当は、起こしてやりたいけれど、それをしてしまえば、今まで遠ざけてきたのが、無駄になる。自分の好きを全部抑え込んで、無理やり隠してきたものが、水の泡みたいに消えてしまう。


 だから、言わない。策は、考えているけれど。


「マナ、おはよう」

「マナ、お弁当作ってきたの。よかったら食べて」

「マナ、二人で組まない?」

「マナ、大丈夫だった?」


 近づかないでと言ったのに。それすらも忘れたみたいに、まなは、話しかけてくる。こんなにも人懐こい笑顔を見せるような子ではなかったのに。


 朱音がこうしたのだろう。まなに依存されるようにしたのだ。二人一緒なら、きっと、幸せになれるだろう。どれほど、いびつであったとしても、これが間違っているとは、私は思わない。


 だが、あの日。泣き叫ぶまなを見て、彼は自嘲するような笑みを浮かべたのだ。それがどれほど、儚く、悲しげで、寂しい笑顔だったか、きっと、彼は知らない。


 彼自身、自分でも何を望んでいるのか、分からないのだろう。だから、自分の心が痛いことに気づかないのだ。



 ――これはきっと、私にしか、できないことだ。



 まなは、すぐに帰ろうとする私の手を、掴んだ。


「待ってマナ──」


 躊躇いを振り切り、とっさにその手を振り払い、まなを床に突き飛ばす。



「この、穢れた血が。今度、私に関わったら、この世界にあなたの居場所はないと思いなさい」



 一番冷たい表情を向けると、まなは頭を打たれたように、呆然とした表情を浮かべた。


 それから、少しずつ、瞳に正気が宿り――傷ついたような表情になった。


 きっと、正気に戻って、あの日、ノートをくれたあの日のことを、思い出したのだろう。


 そう。もう、一緒にはいられないのだ。



 私は足早に、教室から立ち去る。



「お待ちください、マナ様!」



 唯一、追いかけてきたのは、水色髪の少女――ロアーナだった。まなによくしてくれているのを、私は知っている。


「私はいいですから、まなさんの側にいてあげてください」

「……そんな顔で言われて、放っておけるわけないじゃないですか!」


 ロアーナは手鏡を取り出して、私に向ける。


 ――そこに映った顔を見て、納得した。私は自分が思うよりずっと、自分を傷つけていたのだと。


「マナ様は、もっと、自分を大切になさってください! 確かに、クレイアさんをもとに戻せるのは、マナ様しかいなかったでしょうけど……でも、だからって、そんな風に、自分を犠牲にしないでください!」

「それでも、私は――」

「でももカカシもありません! あかりくんが好きならそれでいいじゃないですか! なんで遠ざけようとするんですか!?」

「――だって。彼を幸せにできる自信がないから」


 結局の所は、それなのだろう。なぜかは分からないけれど、どうしても、自分が彼を幸せにできるとは、思えないのだ。


 私はロアーナに背を向けて走り、宿舎に戻って、ぎゅっと、毛布を抱きしめていた。



~あとがき~


あけましておめでとうございます!

新年そうそう、んなしぬはみんなの心をえぐっていきます!


下は4-4話のリンク。あかりん視点だとこうだったよねーと、忘れた方向けに。

https://kakuyomu.jp/works/16816452220220295034/episodes/16816452221261962319


それと、6-10話を大幅に改稿しました。読み返してみて、なんじゃこりゃ? となったので。なんか、ほんとすみません。気になる方はお越しください。

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