第3-4話

 「声を出すな」という指示を、忠実に守ろうとするまなに、ハイガルが近づく。


 まなが座っているはずの椅子は、まなが座ったことにより、探知できなくなっている。


 部屋の配置は変えないようにしているため、そうした違いから、この部屋の中であれば、彼女のいる場所が特定できる。


 そうして、ハイガルはまなの背後に回り、首の後ろをくすぐる。まなは肩をぷるぷる震わせながらも、懸命に口を塞ぐ。そんなまなに、ハイガルも笑いを堪えて口を押さえる。


 まなの手を口から引き剥がして、今度は手のひらをくすぐる。そのまま、腕を持ち上げて、脇腹をなぞる。


「にゃんっ!」

「ふっ、ハハハ!」

「ちょっと、何笑ってんのよ! 声出すなって、あんたが言ったんでしょ!?」

「いじらしくて、つい。もう喋っていいぞ」

「あんたね……!」


 涙目になるまなの目元を、親指で拭ってやって、ぺろりと舐める。


「しょっぱい」

「……本当に、見えてないのよね??」

「ああ、見えてない。だが、涙の匂いはする。まばたきの音も聞こえる」

「まばたきの音!?」

「聞こうと思えば、だけどな」


 そうして、ハイガルはおもむろにその場を離れると、装丁のしっかりとした本を持ってきて、まなの目の前に広げる。いくつかの写真が貼りつけられたその本は、アルバムのようだった。


「タマゴ?」

「ああ。オレがまだ、タマゴだったときの写真だ」

「え? ……あ、そうよね。ハイガルはモンスターだから、タマゴから生まれたのよね」


 ハイガルは鳥型のモンスターであり、普段は魔法で人の姿になっている。


「この、近くに立ってる人は?」

「昔のルジだ」

「変わりすぎじゃない!?」

「まあ、五十年も前の写真だからな」

「いや、あんた何歳なの!?」

「五十年間タマゴ生活だ。まあ、モンスターの孵化なんて、気まぐれなものだからな」

「へえ――ん?」


 まなは赤い瞳をハイガルに向ける。それを受けたハイガルは、黙ってうなずく。


「霊解放は知ってるか?」

「ご先祖様が帰ってくる日よね? 魔族の霊解放は確か、八月の二十五日からっ、だったと思うけど」


 まなが噛むと、ハイガルがくすっと笑う。


「まな。マリーゼ様のお墓参りに行こう」

「お母さんの? でも、あたしが行くと、迷惑になるから」


 すると、ハイガルは時空に歪みを生み出して、そこに床下のタマゴを取り出して入れる。


「まなはどうしたい」

「あたしは、行きたい、けど」

「それなら、行こう」

「でも」

「一緒に、来てくれ。――頼む」


 ハイガルに手を握られたまなは、少し躊躇って、頷いた。


***


 僕は、人生で一番くらいに、緊張していた。


「久しぶりだな、榎下朱里。ご壮健か?」

「ハ、ハイ。ゴソーケンとやらデス」


 薄い紫髪、黄色の眼光。――エトス・クラン・ゴールスファ。僕の大の苦手のアイの兄だ。


「呼び出された理由を言ってみろ」


 いや、知らんがな。


「マナが目を覚ました、とか?」

「違うな。マナがいつまでも目を覚まさないからだ」

「えーと、それはどういう……?」

「なんとかして、マナの目を覚ませ、榎下朱里。即位していなければともかく、いつまでも王が意識不明のままでは、国が混乱する。――頼む。もう、お前に頼るしかないんだ」


***


 そうして、僕は寝台で眠るマナと、部屋に二人きりにされた。マナには人工呼吸器や点滴がつけられていて、それを見ているだけでも、痛々しかった。


「いやいやいや、おとぎ話じゃないんだし」


 キスして本当に目が覚めるなら困りはしない。


「奇跡を信じる暇があるなら、医療でなんとかしろよ」


 奇跡を願うにしても、僕じゃない、他の誰かがいてやった方がいいのに。


「僕には、何にもできない」


 力の抜けた、白く綺麗な手を取る。その重さが、彼女の意識がないことを物語っているように感じられた。


 細くしなやかな指。血色のいい整った爪。柔らかい手のひら。


 ――綺麗だ。この手で剣を握るなど、想像もできないほどに。


 それでも、彼女は剣神に勝利したことがあるくらい、相応の訓練を積んでいる。ただ、彼女は、常に完璧でないといけないから、努力の跡を表に出さないだけなのだ。


 ――その手を強く握れば、よく分かる。鍛え上げた僕の握力なら、リンゴくらいは握り潰せる。だが、本気で握っても、彼女の手は、壊れない。


 手の力を抜き、滑らかな彼女の手の甲をなぞり、そっと口づけをする。


「守ってあげられなくて、ごめん」


 その手を包み込んで、額に当てる。


「君が目覚めたとき、君と一緒にいられるように。なんとか、頑張ってみるよ」


 そのためにも、早く願いを叶えなければ。

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