第2-3話

 その日、校庭でちょっとしたハプニングが起きた。


 アイはあれ以来、意識不明のままらしく、まながハイガルとともに、よく様子を見に行っている。


 そんな、彼女がいないことが日常と化した昼休み。校庭から叫び声が聞こえ、窓際の席にいた僕たちはいち早く、校庭の様子をうかがう。


「砂が溶けてる――」


 液状化現象のように、校庭のものが砂に埋もれていく。軽い物はまだいいが、人のように重いものは底無し沼にいるかのように、沈んでいく。幸い、まだ昼休みは始まったばかりで、ほとんどが校庭に出るより先に弁当を口にしていた。


 だが、校庭には三人、いる。その中には、まなと仲のいい、水色の髪の子もいた。


「あかり、お願い。ロアーナたちを助けてあげて。あたしにはなんともできないけれど、あかりならできるでしょ?」

「その根拠は?」

「大好きなあたしのお願いなんだから、叶えてくれるわよね?」

「……ほんと、いい性格してるよね」

「あんたほどじゃないわ」


 指を一振りして、腰ほどまで沈みかけた三人に、魔法をかけ、校庭から引きずり出す。そして、そのまま、魔法で保健室まで運ぶ。終了だ。


「さすがね」

「ま、好きな子のためなら頑張れるっていうか?」

「よく言うわよ。――でも、ありがと」


 気づけば、砂の融解は終わっており、いくつかの建物は傾いたまま、動きを止めていた。その建物も元に戻して、僕は何事もなかったかのように弁当を食べた。


 まあ、実際、大したことはしていない。


***


「あかりって、勇者なんでしょ?」


 宿舎に戻り、いつものように、まなの部屋に集まっていると、唐突にまながそんなことを言い出した。


「どこで知ったの? アイちゃんがお姫サマってことも知らなかったから、てっきり知らないんだろうなと思ってたんだけど」


 僕は勇者だ――と、世間からは言われている。実際は違うのだが。


「お城で聞いたのよ。それで、魔王退治には行かないわけ?」


 首を傾げるまなに、むしろ僕の方が首を傾げる。


「え、まなちゃんは魔王を倒してほしいの? だって、魔族だよね?」

「ええ。魔族だし、魔王の娘でもあるわよ」


 ――そう、まなはこう見えて、魔王の娘なのだ。魔法は使えないが。


「へえ、魔王、ね――。で、お父さん、殺してほしいの?」

「嫌な言い方するわね。……正直、なんとも言えないけれど、それが世界のためになるなら、仕方ないんじゃないかしら」

「そんなの、綺麗事だ」


 まながわずかに息を飲む。自分でも、人が聞いたら怖いだろうなと思うような声だった。


「大丈夫?」

「そういうところが、嫌いなんだよ」


 ああ、言ってしまった。


 分かっている。まなのそれが、優しさだということは。それでも、彼女の綺麗な優しさを見ていると、アイを見ているような気持ちになって、苛立つ。そうでなくても、僕は他人なんて信用していないのだから、綺麗な言葉が薄っぺらく、気持ち悪く聞こえてしまうのだ。


 ――でも、こんなの、ただの八つ当たりだ。


「ごめんなさい、傷つけて。でも、あたしはあかりのそういうとこ、結構好きよ」


 ――本当に、アイにそっくりだ。


「じゃあ、付き合ってよ」

「それは無理ね」


 本当に、どこまでも、同じだ。


「だって、あたしのこと、好きじゃないんでしょ?」

「じゃあ、もし、本当に好きだったら、付き合ってくれる?」

「いいえ、ないわね。多分あたし、ハイガルのことが好きだから」


 ――知ってるさ。そんなこと。


「どこがいいのさ、あんな鳥男」

「正直、自分でもさっぱりね。――でも、きっと、ずっと前からそうだったのよ。だから、ちゃんと伝えなきゃ後悔するって、そんな気がするの」

「運命で結ばれてますーってこと?」

「あはは、そうかもしれないわね。……それできっと、あたしたちは、ずっと一緒にはいられない。それが分かってるから、寂しいんだと思う」

「よく分かんないねえ。なんで、分かってて、ハイガルくんを選ぶのさ?」

「後悔するって分かってても、やらなきゃいけないことはあるでしょ」


 それは、そうだ。


「だから、後悔しないことを諦めるのよ」

「――諦悔だね」

「ていかい?」

「そう、諦悔。後悔するって分かってても諦めるしかないから、諦悔」

「初めて聞いたわ」

「そりゃあ、作った言葉だからね」

「誰が?」

「さあ、誰だろうねえ?」


 まなが眉間にシワを寄せていたので、二本の指でぐいぐいと伸ばしてやる。拒否反応は残っているが、表には出さない。


「……人に触るのがダメって、お城で聞いたけれど」

「好きな子は別だよ」

「あんたって、嘘ばっかりね」


 正直、僕にも正確な理由は分からない。きっと、本当に彼女が、綺麗だと思うから、かろうじて、大丈夫なのだろう。


「ま、僕はいつでも待ってるからさ。ハイガルくんに酷いことされたら、僕のところにおいでよ」

「そんな酷いことするわけないでしょ」

「いやいや、分かんないよー?」

「違うわよ。ハイガルじゃなくて、あたしが、あんたに、都合のいいときだけ頼るような、そんな酷いことしない、って言ったの。分かる?」


 ――ああ、綺麗だ。


 なぜだろうか。壊されて、それでもなお、どうして君は、そんなに綺麗なままでいられるのだろう。


 口をつぐむ僕の手を、彼女がそっと包み込み、その手に問いかけてくる。


「人から想われるのが、つらいの?」


 そして、なぜ、そんなにも、僕のことが分かるのだろう。


「あたしも、優しくされたらつらいから。――でも、ありがと、って言ってくれたら、すごく、嬉しい」


 笑顔を浮かべることすらできない彼女が、優しい声でそう言った。


「うん。……ありがとう、まなちゃん」


 どうしても、彼女にマナを重ねてしまうからだろうか。僕は彼女に、素直な感謝を述べた。

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