ex1
「ねね、散歩行こ!」
「はい。今、行きます」
女の誘う声を聞いて、彼は手を止める。手を止めると言っても、彼が使う手は魔法の手であり、いくつもの作業を同時にこなす。
万、いや、億を超える筆記具を、同時に操ることができるのは、この世に彼、ただ一人。いや、正確には、この場所は「この世」ではない。
地は、白い雲に覆われ、黄金の光で照らされ。ほんのりと青みがかった白い空は、遠く彼方まで見渡せる。
おとぎ話のようなその場所で、彼は桃色の頭髪を床に届くほど伸ばし、陽光をそのまま映したような黄色の瞳を、きゅっと細めて、女を見つめる。
「何か顔についてる?」
「いや。今日も愛らしいなと思って」
「あ、ありがと……」
顔を赤くする女を見て、彼は頬を緩ませる。女は首を激しく振って、自身の頬を両手で叩く。
そのとき、目の前を蝶が横切り、彼女は赤い瞳を輝かせる。それを見て、また男の口から笑みが溢れた。
「あ。ねね、たまには、ゆりあたちのところに行こーよ!」
「いいですね。のいとにも会っておきたいですし」
「うんうん! じゃー、行こ?」
そう言って差し出される女の手を、彼はまた笑みを溢して、割れやすいものを扱うように優しく取る。
「もっと強く握ってよー」
「そんなことできません。力を込めたら、ヒビが入ってしまいそうなので」
「入んないってば!」
手を取り合い、雲の道を進んでいく。蔦のトンネルをくぐり、桜と銀杏と新緑の木々と、青と白の光り輝く樹木、世界樹の葉を雨のごとく浴び、その葉を一枚拾って手土産にして。
道端に咲く小さな紫の花の前に屈み、その紫の花が虫を食べるところを目撃して、目を丸にした二人が、顔を見合わせて、直後、笑い合う。
「やっぱり、赤色って、少なーよね」
「君は、赤が好きですからね」
「うん」
空いた方の手で、自身の髪を指に巻きつける女の真緑の髪に、彼は静かに口つける。女は変わらず、自身の髪に構っていた。
「よそ見していると、危ないですよ」
「いいもーん。だって、危ないときは、まなが守ってくれるから!」
「――かわいいですね」
「……やめてよ、恥ずかしいって」
「すみません。かわいかったので、つい」
「……もう! もう、もうっ!」
「ははっ」
頬を赤く染め、膨れ面をする女が、彼の胸元をぽこぽこと叩くのに、彼は白い歯を手で隠すようにして笑う。
拗ねて、先へ先へと歩いていく女だったが、手は彼と繋いだままで、自然と、彼が引っ張られる形になる。強引な手の引きかたに、つまづきそうになりながらも、彼はへらへらと笑ってついていく。
***
やがて、二人は大樹の前にたどり着いた。幹は町一つ分ほどで、枝は千年樹の幹ほど太く、その節々には家くらいの大きさの、巨大などんぐりのようなものをぶら下げていた。
二人が大樹の前に立つと、蔦と枝で組まれたブランコが降りてくる。二人がそれに並んで座ると、魔法の力でブランコはゆっくりと上昇する。
下から七番目の枝で降りた二人は、手前から三番目のどんぐりにかかっている蔦はしごを伝って、そのどんぐりの中へと入る。
「やほー、ゆりあ、のいと。元気してた?」
「入る前に、ちゃんとノック、しました?」
「したよー、たぶん」
「そのわりに、ずいぶんと驚いているみたいですけど」
亜麻色のふわふわとした髪の小柄な少女は、宝石のように輝く橙の瞳を、丸くして。
銀にも見える灰色の髪を持つ細身の男は、瑠璃色の瞳を、瞬かせていた。
「まー、どっちでもいーじゃん? お邪魔しまーす」
「すみません。いつもこんな調子で」
「はは、そらちゃん、今日も元気だねえ」
まなが謝罪するものの、少女ゆりあは笑って受け流す。
「いらっしゃい。ゆっくりしていってね」
灰色髪の男、のいとは、紅茶とお菓子を、蔦で編まれたテーブルに並べる。そらとまなは、のいととゆりあに向かい合う形で、ふわふわと浮かぶ雲の椅子に並んで座った。
それからしばらく、四人はお茶会を楽しんだ。なんでもない話で盛り上がり、ゲームをして、遊び尽くして。
そして、そらとゆりあが眠りについた頃、のいとが机にコーヒーを二杯置いて、彼の向かいに座った。
「それで、まなは何をしに来たのかな?」
「やっぱり、目的があることはバレていましたか」
「そらちゃんに無理やり連れてこられたのかも、とも思ったけどね。いくら彼女にぞっこんな君でも、理由なくしてここには来ないはずだよ。――君は、主神なんだから」
主神マナ――それが、彼の肩書きだった。天界の神々を取りまとめ、地上の生命を管理し、天上を介して、地上と天界を繋ぐ。それが、彼の役割。
そして何より、この世界を生み出したのが、彼だった。
「……実は、無神である君に、お願いがありまして」
「何だろう?」
「主神は、この世界を自由に動かすことができるじゃないですか? 生命を排することも、肥やすことも。人々の記憶を改ざんことも、世界を壊すことも。世界を書き換えることも、修正することも。なんでもできます」
「そうだね。それが、主神である君に与えられた権限だから」
「そして何より。――地上の人々が送ることになる生のすべてを、決めることができる」
「できる、というよりは、しなければならないこと、だね。魂の軌跡をたどって、然るべき人生を与えるのも、君の役割だから」
「そこで。その権限を、無くしてほしいんです」
まなの嘆願に、のいとは目を長く瞑り、やがて、首を横に振る。
「それは、できない」
「どうしても、ですか?」
「うん。君から主神の権限を無くしてしまえば、この世界は、誰にも操れなくなってしまう。今は、君や僕たちがいるから、世界の仕組みを保っていられるけれど、それがなくなったら、世界は破滅するだろうから」
彼は、少しうつむいて、そらを見つめる。それから、ゆっくり頭を振ると、黄色の瞳に意思を宿らせて、顔を上げる。
「そらが、娘を授かったんです」
腹にいる子が娘であることにも、彼女が無事に生まれてくることにも、疑いの余地はない。自身の娘と思しき資料を探しだし、運命を綴ったのは、紛れもない、彼自身だからだ。
「それはそれは……。おめでとう」
「ありがとうございます。他の子たちと同じように、娘も地上に出そうと思うのですが」
「そうなんだ。僕はいいと思う」
「……でも、娘を地上に送り出すとなると、どうしても、ひいきしてしまいそうで」
「そうか。ちなみに、今のところ、その子の歩みはどこまで決まってるの?」
「え? えっと、全ステータスMAX、ほぼ全スキル保有、幸運MAX、容姿MAX、生まれは大国の王女で、それから……誰からも、どんな生き物からも、無条件で愛されるように、地上の全生物のプログラムを少々組み換えて――」
「あはは。やりすぎだね」
「はは……ですよね」
眉尻を下げるまなに、のいとは乾いた笑みを浮かべ、コーヒーをすすり、足を組む。
「君が親バカなのは予想通りだけど、まさかここまでとは思わなかったよ」
「自分でも驚いてます。……もし、このままだと、あの子の後に生まれる全生物が、あの子のための人生を送ることになりそうなんですよね」
「分かった。僕の方で、君の力の一部を預かっておくよ。その代わり、君の娘が一生を終えてこちらに帰ってきたときには、君にこの力を返す。さすがに、まだ安定していないこの地上をいつまでも放っておくわけにはいかないからね」
「のいと、ありがとうございます」
「それに、これ以上、『属性』を増やされても困るからね」
「すみません……」
ばつが悪そうにする彼に、のいとは柔和な笑みを浮かべ、コーヒーを喉に流し込んだ。
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