第4節 めんどくさい

第4-1話

 寝台には、輝くほど真っ白なフクロウが横たわっていた。盲目の視界の中で、動くことを封じられたハイガルは、一体、何を思っているのだろう。


「まなちゃん、大丈夫?」

「ええ、平気よ。ありがと」


 いつもと、なんら調子の変わらない返事に面食らっていると、まなは小さくなったハイガルを抱きしめて、その頭を撫でた。


「ほんとに平気?」

「そんなに心配しなくても大丈夫よ。だって、こうして、生きてるんだから」

「そっ、か」


 であれば、そんなことを気にしている僕の方がおかしいのだろう。


「ありがと、ハイガル。あたしを、助けてくれて」


 その羽毛で覆われた頬にキスをして、まなはハイガルを再び寝台に乗せる。それから、笑みを浮かべ、


「また来るわね」


 病室を出る。僕はその背中を追いかける。


「まなちゃんって、強いんだねえ」


 しかし、反応がない。


「まなちゃん?」


 ふと、すれ違う看護師や患者が、揃ってこちらを見ていることに気がつく。


 だんだんと早足になるまなを、僕は必死に追いかける。


 彼女は飛び込むようにして、行きと同様、ルジの車に乗り込む。僕もそれに続く。



 隣に座り、まなの顔を覗き込むと――涙で、ぐしゃぐしゃになっていた。



 ルームミラーにちらと視線を向け、ルジは発進する。


「全然平気じゃないじゃん」

「まばたきの音が、聞こえるって」


 嗚咽混じりに、まなは語る。


「涙の匂いが、分かるって」


 だから、声も上げず、泣きもしなかったのか。


「ハイガルには、もう、誰かの温もりを感じることと、声を聞くことしかできないからっ、だから……!」


 チャンスだ、と思った。


 そう思う自分が、嫌いだった。


 僕は彼女の頭を撫でて、


「頑張ったね」


 と、優しさを装って、告げる。



 瞬間、まなは声を上げて泣き出した。



 その背を擦る。別に、慰めたいわけじゃない。ただ、そうするのが正解だと、知っているだけだ。


「どうして、ハイガルが、あんな目に遭わないといけないの」


「ハイガルが、何をしたっていうの」


「あんなに、小さいのに……」


「なんで、私を助けたりしたの!!」


「全部、私のせいだ」


 気づけば、とうに宿舎には着いていたが、僕はまなが泣き止むまで、その背を擦っていた。


***


 結局、眠ってしまうまで、泣き続けたまなを抱え、僕は宿舎に入る。ロビーにはルジが座っていて、


「眠ってしまわれたか」


 と、腕の中の少女を一瞥する。


「こんなに、純粋な気持ちで誰かを想えることが、僕には羨ましいよ」


 一途さなら、負けない自信はある。だが、それが、こんなに綺麗な感情でないことも知っている。


「ごめん。よろしくって、言われてたのに」


 ルジは、それには答えない。


「魔王様の元へ、連れて行くのか」

「忠誠心の厚い君に、連れて行かないーなんて言ったら、怒られるだろうねえ」


 契約がある以上、命令には逆らえない。逆らえば、僕の命が脅かされる。


「それよりも、四天王の身柄を返して差し上げろ」

「何の話?」

「貴様が、やつらに余計な手出しをされないよう、どこかに拘束したんだろう」

「あ、バレてた?」


 二人を引き離すにあたって、僕と四天王のは、会議を行うことになった。その際、会議室に三人を閉じ込めた。とはいえ、彼らは仮にも四天王だ。一ヶ月監禁したって、そう簡単には死なない。


「僕一人に監禁される方が悪いと思うけどねえ」


 仕方なく、会議室を開けてやる。離れたところに魔法を届かせるのは得意だ。解放された三人がどう動くのかは知らない。


「てかさ、『それよりも』ってことは、実は、まなちゃんを連れて行かなくても怒らなかったり――」

「彼女の願いを、ハイガルに使わせろ」


 ル爺は、孫のようにかわいがっているハイガルを、まなの願いで元に戻させたいらしい。


「ああ、なるほどね。でも、それはできないかなあ」

「自身の願いのためか」

「ま、それもあるけど。この時点で、まなちゃんが願いを使ってないってことは、それ以上に叶えたい願いがあるってことだからさ」


 ハイガルを元に戻すことくらい、まなの願いがあれば、雑作もない。なんなら、彼の視力を正常に戻すことさえもできる。


 だが、彼女は決して、そうはしなかった。


「利用しようとしておいて、よくそんな言葉が出てくるものだ」

「利用? 違うね。僕は彼女に、僕の願いを叶えてあげたいって、思わせるんだよ。あくまで、彼女の意思を尊重する。折檻して、無理やり叶えさせようとした君たちとは、根本から違う」

「違いはあれども、同じだ。まな様の願いを叶えてやらないという点でな」

「ま、そうなんだけどさ」


***


 まなを二段ベッドの下に寝かせて、その頭を撫でる。


「綺麗な涙だ」


 袖の捲れた右腕に、赤い線が見えて、僕は彼女の袖を捲る。


 ――そこには、無数の傷があった。


 そしてやっと、僕は忘れていたことを思い出した。彼女の願いに繋がるものを。

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