第6節 つらい

第6-1話

 朱里を生き返らせてから、どれほど経っただろう。日々が過ぎ去る速度などに構っていられず、とうに日付の感覚を失っていた。


 救われたのは、意識の切り替えに時間がかかるということ。つまり、まなと朱里が入れ代わる際、必ず一度、意識を失うのだ。そのため、どちらか分からない、というようなことは、少なくとも今まではなかった。


 ――現在、朱里と腕を組んで下校中。


「ふふん……」

「なんか、機嫌いいね?」

「ボク、ずっとこうやって、お兄ちゃんと学校に通うの、夢だったんだあ」

「僕もそうだよ」




「そうだったんだあ。じゃあ――相思相愛、だね。照れるな……」




「えー何々、照れてるの? 相変わらず、可愛いねえ」

「ちょっと、やめてよお兄ちゃん、へへ……」




 一言ごとに、魂が擦りきれていく。


 でも、この方が、早く心を無くせる。


「やめてって言われると、さらにやりたくなるよねえ?」

「もう、やめてってば! ……でも、どうしてもって言うなら、帰ってからね」


 と、背伸びして耳打ちしてきた。


「楽しみにしてるよ」


 と、背を屈めて耳打ちで返した。




 ――すべて、自分で望んだことだ。


 それでも僕は、心の底の深いところで、どうしても、彼女を恨んでしまうのだ。


***


 部屋に入ると、朱里は意識を失った。それから、再起動するように、ゆっくり体を起こす。


「あれ、私――」


 念には念を。朱里が騙している可能性もあるので、僕はその様子を注意深く見守る。少女は僕の顔を見るなり、ああ、と何かを思い出したような反応を見せる。


「合言葉は、朱里が大好き、で合ってるよね?」


 間違いない。まなだ。


 その確認が取れてから、僕は彼女を抱きしめる。


「……つらかったね」


 そうして、みっともなく泣いて、まなに慰めてもらう。それが、僕の日常になっていた。


「自業自得だし、まだまだだよ。涙が流れるうちは、まだまだだ」

「うん。あかねは十分、頑張ってる」


 目にレモン汁でもかけられたんじゃないかってくらいに、涙がどばどば溢れてくる。自然と浅くなる呼吸を、深く深くしていく。ひっくり返りそうな心臓に、落ち着けと命じる。


 自分で望んだのに、僕は彼女に復讐しようとしていた。


 ――復讐の方法は決めた。朱里を変わらず想っているフリをする。そして、朱里の目の前で自殺する。以上だ。単純かつ、一番、効果があると判断した。


 僕の目算だと、朱里は確実に僕を生き返らせる。そして、不老不死となる。命の石は使わなくてもいいだろう。


 ちなみに、まなの体は、朱里を取り込んだことによって、魔法を使えるようになっていた。蘇生が簡単に実行できるくらいには。


 運命の書き換えは、とっくの昔に済ませた。本当は朱里が死ぬ直前に書き換えるのがベストだったが、万が一、再び自殺をする、なんてことになったら困るので、早々に済ませた。呪いの方も順調に解いてもらえた。


 これで、アイといつまでも一緒にいられる。僕は自殺して……あれ、何かおかしい気がする。気はするけど、分からない。僕は、本当は、何がしたいんだろうか。


「僕が悪いんだ。僕が、あの子を、救ってあげられなかったから」


 僕がそうした。


「そんなことないよ」

「今、僕がこんな目に遭ってるのは、全部、僕のせいだ。僕自身の選択の結果だよ」


 僕が選んだ。


「――確かに、あかねが変えることだって、できたのかもしれないね」


 僕が決めた。


 後悔すると分かっていた。こうなることを望んでいた。これだけの罰を受けるべきだった。


 僕は、自分が不幸であることを、愛している。

 不幸である自分を憎んでいる。


 幸せを愛している。

 幸せになることを、恐れている。


 いくらでも、幸せになる道を敷くことはできた。


 あのときの僕には、それができなかった。



「でも、選ぶことができたからって、私は、あかねが悪いとは思わない」



 ――そんな言葉に、幾度救われただろう。


「僕は、今でも君が嫌いだよ」


 アイのときと、同じ失敗はできない。もうあのときの、何も知らない僕ではないのだから。


「君を見てると、苦しくなる」


 マナとよく似ている彼女を見ていると、責められているような気持ちになる。


「私は、あなたを、救いたい」


 ――息が詰まりそうだ。


 今も変わらず、歪な関係だった。僕たちは。


***


「ねえ、お兄ちゃん。もうすぐ、テストだって」

「ぐおっ、目を背けてきた事実がここに来て猛威を振るう……!」

「何それー」


 夏休み前のテストは、死んだ。いや、それでも、今に比べたら、百倍、マシだった。


 現在。宿題はまなのを丸写し、授業中は爆睡。帰宅後は、今のところ何かする気はなさそうな朱里、もしくはまなと夜通しイチャイチャ――といった感じだ。もはや、何のために生きているのか分からない。


 いや、アイのためか。


「もし、テスト中、まなちゃんになれなかったら、朱里はテスト受かりそうなの?」

「ボクに不可能があるとでも?」

「ごめん、今のなし」


 朱里は天才だ。頭が良くて、運動神経も抜群で。魔法の才能に関しては、まなのポテンシャルを受けて、さらに強くなった。


「むしろ、なんでお兄ちゃんは、そんなに勉強ができないの?」

「僕? そりゃあ、下界の民たちが何してるかなんて、知るわけないよねえ」

「下界の民て」


 あーほんと、マジでどうしよう。留年かなー。留年かー……。

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