第6-10話 かすかな証
「お兄ちゃん、大丈夫?」
「少しは食べないと」
「何か作ってあげるから」
「こ、このままじゃ、死んじゃうよ……。ほら、何か食べたいものとか――」
「うるさい」
「……そんなこと言ってると、また、昔みたいに色々しちゃうよ?」
「昔、みたいに」
「……! うん! だからさ、早く元気出して――」
朱里の横腹を蹴り、壁まで吹っ飛ばす。受け身もろくに取れず、咳き込む朱里に、魔力封じの腕輪をつけ、猿ぐつわをする。手足をそれぞれ縛り、反りの姿勢で天井から吊るす。
「ははははは、弱すぎ!!」
「ンーっ!」
「うるさいなあ!! 黙ってることもできないのかよ。なあ!?」
背中に踵落としをすると、朱里は口から汚物を飛ばした。
「うわ、きったな。ちゃんと自分で処理しろよ」
「ん……?」
「は? そんなの、舌に決まってるじゃん」
縄を伸ばして顔を床に近づけさせ、舌を出せるように、猿ぐつわを調整する。
「あんまり時間かかると、お仕置きだよお? ちゃんと、見ててやるからさ。がんばれ、あかり!」
朱里は震える舌先を恐る恐る伸ばすが、生理的に受けつけなかったようで、さらに嘔吐する。
「フー、フー……」
「ははははは。泣いてる泣いてる。可愛いねえ」
滴る涙を、舌でなぞる。
「ねえ、今、どんな気持ち? 僕の気持ちが分かって嬉しいに決まってるよね。これが、君のしてきたことなんだからさ。あ、僕でブランコしたときとか、すっごく楽しそうだったよね。後でやろーっと」
僕は空間収納から、命の石を取り出して、目の前に差し出す。頭のいい朱里には、一目でそれが何であるか、分かったようだった。
「大丈夫だよ。確かに、僕に君を生き返らせる力はないけど、これさえあれば、死にはしないからさ」
背中を包丁で裂き、内側に命の石を無理やり押し込む。
「んー!?!?」
「痛いって? それはそれは……よかったねえ! 朱里は、自分がこういうことされるのが好きだから、僕にこういうことしてきたんだもんね!」
ナイフを喉に突きつけて、無理やり顔を上げさせる。
「大好きなお兄ちゃんに、一途に愛してもらえて嬉しいだろ? 大丈夫。ずっと一緒にいてあげるからさ」
震える震える。恐怖の涙が、目尻にたぷたぷに溜まって、震えて、ぼたぼたと落ちる。
震える震える。あり余る歓喜と興奮と快楽とに包まれて、ゾクゾクと、震えるほどに、ああ、いとおしい。
――ふっと、朱里の意識がなくなって、直後、目を覚ます。
徐々に、苦痛に歪んでいく顔と、状況を把握しきれていなさそうな瞳に、僕はため息をついてから、一旦、猿ぐつわを外してやる。
「合言葉は?」
「朱里が、大好き……ぅっ……」
「はあ。タイミング悪……」
いちいち説明してやるのも面倒だ。
冷めた。また、何もする気が起きない。
「ごめんね」
まなの謝罪に、心がチクリとする。
「……何がさ」
「私じゃ、マナの代わりにはなれないから」
すべてを見透かすような、どこまでも綺麗なその言葉が、どうしようもなくムカついて、片腕の拘束だけを解き、傷一つない、細い手首と肘を掴む。
――その中心を膝で蹴り上げて、骨を折る。
「が、あっ!?」
「命乞いしてみろよ。そしたら、助けてやるからさ」
「あ、はは」
「……何がおかしいんだよ」
「だって、それじゃあ、私を助けたいみたい」
全身を、電流が駆けた。心臓が雷に打たれたみたいに驚いて、まるで自分のものではないかのような鼓動を刻む。
「全部、どうだっていい」
「本当にどうでもよかったら、そんな顔しないよ。マナのこと、すごく、大切だったんだよね」
「君に何が分かる」
すると、まなは折られた腕で、机上の、一冊のノートを指差す。それは、とっくに終わってしまったであろう期末試験用の、とても綺麗にまとめられていたノートで。
「最後のページ、よく見て」
渋々、言われた通りにページをめくる。何の変哲もない、ただの勉強用のノートだ。しかし、よく見ると、余白に、何かを消したような形跡が残っていた。
それが、あるものに見えて、目の悪い僕は、それを至近距離で見つめる。
そこには、アイアイ傘が書いてあった。
片方には『榎下朱音』と。
そして、もう片方には『榎下愛』と、確かに書かれていた。
榎下朱里はともかく、『愛』なんて漢字を、まなが知っているわけがない。
――これは、マナが作ってくれたノートだったのだと、やっと気がついた。
僕への、誕生日プレゼントだったのだ。
「マナは、あかねが、大好きだったよ」
無意識のうちに、僕は彼女の拘束を解き、僕がつけた傷を魔法で治して、その小さな体を、強く抱きしめていた。
「ちょっと、あかね、苦しい……」
なんと訴えかけられても、その力を緩めることは、できそうになかった。今になって、体がバラバラになりそうだった。
まなの体温で、凍てつく心が氷解していく。やっと、自分の気持ちがわかった。
「ずっと、一緒にいたかった。どんな手を使ってでも、何を犠牲にしてでも、誰かを傷つけることになったとしても。僕は、マナと、ずっと、一緒にいたかった。――それだけだったんだ」
本当に、僕は馬鹿だ。
彼女は、こんなに小さくてかすかな、マナが確かに、僕を愛してくれていた証を、見つけてくれた。
――見つけてしまったから、わかってしまった。
脆く脆くなっていく、綿のように弱い心が、底知れない感情を含んで、大きく膨らんでいることに、ようやく気がついた。自分が悲しいと思っていることでさえ、僕にはわからなかった。
すべてが、遅すぎた。
――何が、マナのために、だ。僕は何一つ、彼女にしてあげられなかったじゃないか。
「一緒に、いてくれないかな。一人じゃ、耐えられない」
それでもなお、罪を重ねようとする僕に、まなは告げた。
「大丈夫。寂しいのは、みんな一緒だから。一人じゃないよ」
それは、優しく甘やかしているようで、その実、僕を厳しく
だから僕は、これ以上、マナを傷つけずに済んだ。
綺麗なノートが、くしゃくしゃになっていく。濡れて、シワだらけになっていく。マナの想いを示す唯一のものが、汚れてしまう。
それなのに、涙を止められなかった。
~あとがき~
次回、番外編です。長いです。
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