第4-5話

「ハイガル。今度、旅行にでも行きましょう。あたしが抱えていくわ。まあ、可愛いフクロウの姿で、色んな人に撫でまくられなさい」


 そんなことを話しながら、ハイガルの爪を整え終わると、まなは羽根を擦らないよう気をつけて、ぎゅっと抱きしめる。それから、頬にキスをする。いつもの流れだ。


「うん、いい匂いがする」


 そんなことを言いながら、羽毛に顔をうずめて、頬擦りをする。ちなみに、まなの希望で、僕は二人を静かに見守っている。


「今日は、ちょっと用事があるから、また後でね」


 ――たまにこうして、まなは僕を連れて外に出る。そういうときは、決まって、全焼したチアリタンに向かい、頂上付近の切り株に腰かける。


 ここなら、誰もいない。


「私のしてることって、全部、無駄なのかな」

「無駄じゃないよ。きっと、ハイガルくんには、届いてる」

「ハイガルの方がつらいのに、私、自分のことばっかりで。いつまでこんなこと続けなくちゃいけないんだろうって、そう思ってる。最低だ」

「そう思うのも、仕方ないと思うよ」

「でも私、ハイガルに助けてもらわなかったら、ここにいなかった。なのに、心が、もうつらいって、もう無理って、もう頑張れないって、そう言ってる」


 涙を流すまなの背を擦ってやる。これも、何度目だろうか。


「ハイガルは、今でも、私のことが好きなのかな」


「私に、どうしてほしいんだろう」


「すごく怖い。――彼から、逃げたい」


 相手の想いが見えないというのが、どれだけ恐ろしいことなのか。


 それでも向き合い続ける彼女が、一体、どれほど異常なのか。


 ちゃんと、ハイガルは、分かっているのだろうか。


「まなちゃんは、今でも、ハイガルくんが好きなの?」

「もう、分からない。大好きなはずなのに、一緒にいると、つらい。一緒にいても、私が一人で馬鹿みたいで、本当は何一つ、楽しめてないのかもしれないって、そう思う。もう、ハイガルとの思い出を作ることなんて、きっと、できない」


 ずっと見ていたから、その気持ちは、よく、分かる。


「そんなことないよ。ハイガルくんは、君が毎日、顔を見せてくれるだけで、すっごく、嬉しいと思う」

「なんで、そんなこと分かるの?」

「そりゃあ、まなちゃんみたいな可愛い女の子に、一から十まで世話してもらえるなんて、天国みたいなものじゃん?」


 それを屈辱だって感じるやつも、中にはいるだろう。


 ……でも、こんなにも自分を大切にしてくれてるんだって、そうは思うだろうな。よっぽど嫌いな相手じゃない限り。


「……あははっ。馬鹿みたい」

「男なんて全員馬鹿だよ」

「そんなことないよ」

「それは、ハイガルくんのこと?」

「ハイガルは正真正銘、馬鹿」

「じゃあ、誰?」

「うちのユタ」


 弟じゃん。身内びいきじゃん。


「ユタくんだって、相当馬鹿だと思うけどねえ」

「大丈夫。私がちゃんと育てるから」

「そっか、それは安心だね」

「うんっ。だから、もう少し、頑張ってみるわね」


 その頑張りは、果たして、いつまで持つだろうか。


 崩壊する瞬間が、楽しみだ。――ゾクゾクする。


***


 夏休みが終わった。


 あっという間に、終わってしまった。


 久しぶりに一日学校で過ごした後、宿舎に帰ると、珍しく、ルジがいた。基本的に、魔王城での仕事があるため、こちらには来られないのだが。


「あ、ル爺。ぽっころ」

「ルジさん、ただいま」


 ルジは返事を返さず、切り出した。


「まなさん。ハイガルのことで話がある」


 まなは頬を硬くする。ルジが「まなさん」と呼ぶときは、私生活に関わることだ。魔王に関係する話のときは、「まな様」と呼ぶ。


「何かしら?」


 ルジは僕を一瞥してから、まなに視線を戻す。


「このままだと、あやつが学校に通うことは難しい」


 あやつとは、当然、ハイガルのことだ。


「……ええ、そうね」

「この宿舎は、学園の生徒向けに貸し出しているものだ」

「つまり、ハイガルを置いておけないってこと?」


 少し躊躇いがちに、ルジは続ける。


「ハイガルはモンスターだが、人権がある。そして、ここは、介護施設ではない」

「そうね。ル爺の家で預かるなら、あたしも会いに行きやすいけれど、どこに移動させるの?」


 ルジは細い目をさらに細めて、何か考え込むような素振りを見せる。やがて、決意したように、ゆっくりとまばたきをする。


「ハイガルの居場所は教えられない」

「え?」

「あなたはまだ若い。あんな鳥一匹に一生を捧げることなく、自分のために生きてくれ」


 ――瞬間。膝から崩れそうになるまなを、僕は咄嗟に支える。ひとまず床に座らせると、彼女は震える声で、問いかけた。


「……あたしって、迷惑だった?」

「そんなことは決してない。それに、ハイガルにとっては、たいそう楽しい日々だっただろう」

「じゃあ、なんで」

「声だけは取り繕っていても、表情は隠しきれていない」


 彼女は目を大きく見開いた。


 そう。以前は顔色なんて、変わりもしなかった彼女だが、今は何をしているときにも、悲哀の色が滲んでいるのだ。それはもう、痛々しいくらいに。


「凄惨な過去により、まな様の表情は、死んでしまわれたものだと思っていたが、そうではなかった」


 ルジはさらに続ける。


「あなたは、自分が傷つかないよう、心を大切に隠していた。それを、ハイガルに見つけてもらったのですね」


 まなの赤い瞳から流れる、その一筋の涙が、虹色に輝いて見えた。



 ――ルジめ、余計なことを。


 まあいい。上手く利用するだけだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る