新米ママと愚鈍な子供。#29

子供のころの記憶とは、得てして曖昧だ。

2、3歳のころの部屋の雰囲気を覚えていると思っているけど、もしかして後年に写真で見たものを自前の記憶と勘違いしてるかもしれなくて、真偽も確かめようもない。

でも、部屋全体の雰囲気ではなくて、ものすごくピンポイントなリアルな記憶——何かに触ろうとしている自分の小さな手とその向かう先のぼんやりした何かとか——があったりして、それは本物の記憶かなぁとか。


ある程度大きくなってから、母からこんな話を聞いた。

私が小さいころ、母は私と二人で自宅にいると部屋の白い壁が目の前に迫ってくるような圧迫感を感じて、家の中に長時間いるのが耐えられなくなったそうだ。そのことを父に相談したら、ずっと家にいなくていいから気晴らしにどんどん外に出なさいと言われ、頻繁に映画館に行くようになった。そして、映画を見る間は、受付の若い女性に私を預けていたという。

そんなサービスがあの時代にあったと思えないのだけど、向こうから預かると言ってくれたというので、おそらく映画館の中で私が飽きて騒いだりして迷惑だったとかそういう理由で、映画館側が配慮したのだろうと想像する。


この話を聞いた時、私は「そういえば、若いお姉さんと映画館のカウンターがあるようなロビーで遊んだりした記憶がある気がする」と思った。でもそれも、話を聞いた時点で想像した情景がそのまま記憶されて、あとからリアルと区別ができなくなってるだけかもしれない。

さておき、今さら疑問に思うのは、母は子育てのストレスを感じてか、育児ノイローゼとかうつのような状態になっていたのか? ってことだ。外出ができて、それで持ちこたえていたので、軽いうちに対処して悪化を防げたということなのだろうけど。

でも子供としては、自分のせいで母を苦しめたという思いと、母が私を疎ましく思ったこともあったのかもという、少し悲しい気持ちが渦巻いて、実はちょっとショックな話ではある。


そのうち私が幼稚園に行く年齢になり、もしかすると母の方はホッとしたのかもしれない。しかし私の方は幼稚園がいやで、家にいたくて、あるいは母から離れたくなくて(?)、幼稚園バスに乗り込む時には必ず泣いて嫌がった。それはしばらくの間、毎朝続いた。

これはハッキリ思い出せる記憶で、弱々しげに母に泣きついている私を先生が引き受け、涙で母を振り返ると笑顔で「大丈夫よ」って感じで手を振っていた、そういう情景だ。


別のエッセイでも書いているが、幼稚園時代の私はあまりにアホな子供で、母はけっこう心配したようだ。

アレルギーもあったし偏食もあったし、面倒くさい子供だったのかもしれない。自分で振り返っても、ぼんやりして何を考えているのかわからないような、奥手でまったくサバけていないような、おとなしく人見知りな猫のような子供の姿が見える。

だとすると、よく根気よく育ててくれたなぁとも思う。


アホな子供を、そのことでことさらに厳しくしたり、無理にどうにかさせようとしたりしなかった、どちらかというとやさしく包み込んで——手作りの服を着せてくれていたように——見守ってくれていたかのような印象の母だったわけだけど、その後の記憶はガラッと変わる。


それがいつごろからそうなったのか、境目はなくグラデーション的に移行していったのか、小学校くらいから「母はこわい」という印象が強くなった。しかも、その「わけがわからなさ」は、私が頭が悪いから理解できなかったのか、それとも?

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