すれ違いと不信。#58

実は、母も仙台にあまり馴染めていなかったのではないかと、今にして思う。もっと住み続けていれば、もしかすると「都」になっていたかもしれないけれど。


私が何より子供心にあまり納得できなかったのが、母が仙台の方言をあからさまに嫌がっていたことだった。

私もイントネーションが違うのが違和感だったと先日書いたが、子供なので面白がってすぐにマネするようになり、覚えた方言を得意げに家で使っては、母にやめなさいと怒られる、を繰り返していた。せっかく東京で身に付けた標準語を守りたいのかなくらいに思ったこともあったけど、あれはたしなめるのを超えて、本気で嫌っていたように見えた。


私が幼稚園に通っていた時の初めての大々的な転勤と、この時の仙台への転勤は、結果的に私にとってあまりよいものではなかったのだが、それは母にとっても同じだったのかもしれない。あるいは、だから母の気持ちが不安定で、私や父への接し方に若干悪い影響が出ていたとも考えられる。

母だって、東京の社宅で私が一番仲良くしていた男の子の、例の超絶厳しいお母さんと仲良しだったのだし、美容学校に通っていた時に慣れ親しんだ東京が好きだったのかもしれない。だとしたらやはり、東京を離れたくなかったのだ。


仙台でもう一つ、父と母の妙なバトルがあった。

ある時、母が花壇の石の上に父の愛用の文具を並べていた。革を加工したペン立てやトレー、名刺スタンドなどで、誰かからいただいたものらしい。

そして、机にそれらがないことに気づいた父があちこち探して、庭にあるのを発見すると、「捨てるなんて」と怒った。私は、母は捨てたのか!? と驚きながらも、コトの成り行きをただ傍観していたのだけど、あとから母は「Gがそれらの上を這い回っていたから、天日干しで消毒してただけなのに」と言っていた。


そして、だいぶあとになってから誰に聞いたのだったか、仙台での母と父のケンカらしき状態の原因は、父の社内旅行の写真だったらしい。二人の若い女性社員にはさまれて楽しそうに笑っている父の写真を、私も見たことがある。

慣れない土地に来させられて、気持ちは不安定で、社宅にいるとは言えプライベートな仲のよい友だちはおらず。そんな母がその写真を見て、東京にいたころより帰りが遅くなった父のことを多少勘ぐったとしても不思議はない。と、いいだけトシを取った私は思う。


「パパは頼られたら断れない人だから、若い女性社員に何か悩みがあると言われて、ていねいに相談にのってあげていたんでしょ」

その時の父の心の奥底にどういう感情があったかは知らないけど。というニュアンスを付け足しながら、母がそう言っていたことがあった。

母の妹(私の叔母)からは、「自分は仕事が好きで、夢中になると家庭のことがおろそかになってることもあるかもしれない。でも、申し訳ないとは思うけど、仕事が好きだからどうしようもないんだ」というような話をかつて父がしていたと聞かされた。


話を総合すると、仙台に来たことでそもそも心穏やかでない母と、ますます仕事に邁進する父の間に、明らかな気持ちのすれ違いと、それゆえの不満があったのだろうと推測できる。

それがわかりやすく表に出たのが、あの朝食時のやり取りであり、文具G事件なのだろう。


当時は子供だったので、ただただ成り行きを眺めていただけだったが、いま振り返ると、あの時の母と父が「そういう状態」であったことは、あとからものすごい後悔を母にもたらしたのではないかと思う。

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