仙台での父と母〜父の輪郭(2)#51
実のところ、父と母の関係がどういうものだったのか、私にはあまり記憶がない。
のちに母が大人同士の話として私にしてきた父の話は、あくまでも母から見た父だ。二人の関係性が垣間見える話もあるにはあるけど、客観的に、たとえば単純に仲が良かったのかどうかとか、どっちかがどっちかの意見に従うことが多かったなどというような、自分なりに捉えた見方はない。
私から見た、私にとっての父は、とにかくやさしい人。そして、行事ごとはすべて父の担当だった。担当するというよりも、そういうことがしたくて自ら進んでしてくれていたのだと思う。子供に歳時記的な体験をさせたいと、大事に考えてくれていただけかもしれないが、それでもよかった。そういう時しか父と楽しく何かするという機会はなかったのだから。
大掃除、お正月の飾り付け、節分、おひな祭り。ひな人形を飾るのも父の担当で、私もいっしょに手伝った。
うちのひな人形は、あとから母に聞かされたところによると、父が初節句の時から一段ずつそろえていってくれたのだそうだ。5歳のひな祭りの写真では七段そろっていたので、どこかの段階では複数段をいっぺんにそろえたのだろうけど。
それから、夏休みには海水浴。自由研究の協力もしてくれた。
もちろん、クリスマスにはツリーを飾り、サンタさんのプレゼントも父の担当(笑)。誕生日も何か買ってくれ、お祝いしてくれた。
一番好きな思い出は、クリスマスの時期になるとギターを取り出して、クリスマスソングをいっしょに歌っていたことだ。クリスマスソングを集めた歌集のようなものがあって、それはいまでも宝物だ。英語の歌詞にもルビを振って、教えてくれた。
一方、仙台での記憶になるけど、父が毎朝お腹に特殊なベルトを巻いてから、会社に行っていたのを思い出す。
それが何だったかという種明かしをのちに聞いたところによると、胃下垂がつらくて、そのためにつけていたらしい。線が細く、弱々しい印象もある父だった。痩せていたし、仕事のつきあいで飲んできた翌日は、よくお腹を壊していたのも記憶してる。
私は、親戚などから父にそっくりと言われている。自分ではどこの何が似てるのかまったくわからないけど。でも、大人になって家族から浮いてるような気がして疎外感すら感じるに至った私は、確かに「母とは似ていない」「母とはわかり合えない」と思うようになっていたので、いろいろな面でより父の方に似た子であったのだろうと思う。胃下垂とか胃腸の弱さは、完全に父から来ている。
今でもはっきりと覚えていて、父に申し訳ないと9歳の私が心から思った出来事がある。
自分だけの部屋で一人でベッドで寝たい(ベッドを買ってもらって)。
その憧れがいかんとも抑えがたくなっていた私は、ある時、父が私の部屋で夜に仕事をするせいで、せっかくの自室で私が寝られないことにガマンができなくなり、せめて一人で寝たいと駄々をこねた。
業を煮やした母は、主寝室から自分と妹の寝具を4畳半の床の間に移動して出て行った。不十分な妥協案ながら第一歩は踏み出せたとばかりに私が主寝室で一人寝ていると、帰宅した父が入ってきた。
そして、私の布団の横に正座して、私に完全な個室を与えられない状況を謝り、今しばらくガマンしてほしい、母と妹があんな狭くて寒い部屋で寝なくていいように、三人いっしょに仲良くここ(主寝室)で寝てほしいということを、穏やかにやさしく言って、頭を下げてお願いしてきた。
最初は多少ふてくされて聞いていた私も、あまりに低姿勢の父に驚き、最後にはわかったと起き上がった。ホッとしたように、ありがとうと父は言った。でも、とても疲れているように見えた。
あの時の姿。背中を丸め、頭を垂れ、たかが小さな娘のワガママに本当にすまなそうにお願いするという感じのスタンス。
そんなふうに父にさせてしまった自分が申し訳なくて、それ以来、自分の部屋でベッドで寝るという憧れは封印した。少なくとも、表には出さなくなった。
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