一年生のころの私と母。#36

母と自分の昔のことを振り返る時、以前は母にフォーカスしてばかりだったけど、最近というか特にこのエッセイを書くようになってから、自分自身のこともよく見てみようと思うようになった。つまり、私はどういう子供だったのか、それが母にとってどうだったのか、というように。


小学校に上がる時は、私は近所の年上のお友だちの先生ごっこで生徒役として遊ば(さ)れていたせいか、学校に行くのをとても楽しみにしていた。

それが、入学当日、学校から帰るといきなり「小学校という所がどういう所かよくわかったから、明日からもう行かなくていい」と言ったらしい。実は、幼稚園の時も、同じようなことを言ったと聞かされている。

つまり、何はなくとも「ずっと通う」ものだということがわかってなくて、どういう所か理解したらそれでいいとでも思っていたようだ。


まあ、でも、学校が気に入らなかったということは間違いない。

というのも、初日にさっそくやらかして、とても心細い思いを味わって「挫折」したのだ。どういうわけか私は、特殊学級の方の1年生の教室に行ってしまって、下駄箱に自分の名前がないことで撃沈され、男の先生(←こわかった)に「違う、キミはあっちの子だ」というようなことを言われて、わけがわからずにビビり、どうやって普通学級の方に辿り着いたか覚えてないけど、ここ(学校)は私の来る所じゃない的な気持ちになったことを覚えている。


それからは、初めての朝礼でいきなりお漏らし。

給食が始まると口に合わなくて食べられないメニューだらけ。授業というもののシステムがわからない、成績も悪い。苦難の日々が始まった。


特に給食は地獄だった。当時は食べ残しは許されず、クラスメイトがみんな出払った昼休みの教室で一人ポツンと座って、いつまでもおかずの残ったお皿をじっと見ていた。時々校庭の級友たちや、教室の壁に児童の描いた絵かなにかを貼っていた先生の後ろ姿を振り返り、またお皿に視線を戻す。あの行き場がなく無限にも思えた時間は、今でもトラウマのように心に焼き付いてる。

結局、どうやっても受け付けないと思って、先生の所にお皿を持って行って、「どうしても食べられません」と言ったら、じゃあもういいよと言われた。もっと早く持って行けばよかった。


毎朝、登校する時に母に「今日の給食が食べられるように祈っていてね」とお願いしていた。

当時の私は肉の脂身は口に入っただけでアウトで、一番つらかったのは豚汁だった。脂身しかないような肉しか入ってなかったのだ。

逆に唯一うれしかったのはスパゲティの日で、その日は母も「今日は大丈夫だね」と言って送り出してくれた。

そのうち、キライなメニューの日は当番の子に「今日はお腹が痛いから、少しにして」と頼む知恵を身につけて、何とか乗り切れるようになっていった。


勉強については、たとえば授業で先生が誰かを指名して答えさせるというようなシステムが、まずよくわかってなかった。問題を聞いちゃいないし、聞いてたとしてもその問題について考える必要性を感じてなかった。問題がわからないというよりは、いま何をやっているのか、その場に合わせて言われたことをしなくてはならないということがわかってなかった。かと言って、違うことをしたり立ち歩いたりもせず、ぼうっとしてるだけ。気が向くと、それなりに課題に取り組んだりはしてたのだけど。


でも母は、そんなアホ丸出しの私を、そのことで怒ったりはしなかったと記憶してる。

私がつらいことに直面してるシチュエーションでは、むしろやさしかったり、見守ってくれてる感があったようにさえ思う。それは、ふつうのことなのかもしれないけど。

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