「かつカレーの美味しい食べ方」#46

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このエントリは、文字通りのレシピ等は出て来ません。

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病院に入院する前まで数年間、母は宅食サービスを利用していた。

一日一食だけでも日替わりのものが食べられる方がいいだろうと、私が申し込んだものだ。

それなりにお金がかかるので、週6日のサービスを5日に減らしてもらっていた。


当初、母はそれを機械的に受け入れていただけだった。それが、数年経って気づいてみたら、週5日のはずが6日配達になっていた。何かの手違いか、配達員の人が母が認知症と知らずに(営業的に)勧めて、また母がよくわからずに機械的に受け入れてそうなってしまっていたのかと私は想像した。


週5に戻してもらうべく電話する前に、一応、母に確かめることに。

すると、案の定いきさつは覚えてないようだったけど、配達は週6のままがいいと言う。なので、お金はかかるけど、しばらく様子を見ることにした。


便秘と下剤問題が起きたのは(=私たちが前触れに気づいたのは)、去年の夏の終わりくらい。

そういう便通へのこだわりが始まる前から認知症が多少進んでいたのか、それとも問題が起きてから認知症も進んできたのか、そこはわかりようもないのだけど、とにかくそのころから母は、楽しみが「食べること」だけみたいなところがあった。否、以前にも増して、そうなっていたと言うべきかもしれない。


向かいに住む民生委員の方も言っていたけど、食べ残しを配って歩く=食べ物を買い過ぎ、ということでもある。

「(母を)お見かけするたびに、菓子パンやコンビニの唐揚げやカップ麺がたくさん入ったレジ袋を下げてらして…」という話を聞いた時、自分の適量を判断できなくなっているのかなと思った。

でも、今思えば、多少認知症がある状態では、判断力の衰えもさることながら、食べることが自分にとって唯一実感、認知できる楽しみで、それゆえお店に行って食べ物を見て、それを手に入れるのが楽しい、という、ただそういう気持ちに忠実に従うだけになっていたのだろう。



母が退院した日、もうすぐなくなる母の小さなお城に一人で泊まっていた私は、食卓テーブルの上にずっと置いてあるおなじみの紙切れを、いつものようにぼんやりと見ていた。


1枚は、宅食サービスが利用者の誕生日に持って来るティーバッグの箱についてきた、「お誕生日おめでとうございます」の紙。マスコットキャラクターであるかわいらしいウサギが印刷されている。

そしてもう一枚が、「かつカレーの美味しい食べ方」の説明書きだった。やはり違うポーズのキャラクターが描かれている。

2枚はバラバラにぞんざいに置いてあった。母がこの部屋を出た時のままだ。


宅食サービスは、毎日の基本メニューのほかに、定期的な「特別メニュー」が用意されていて、その宣伝のチラシが渡される。利用者は、それを食べたければ別途申し込む仕組みだ。「かつカレー」は特別メニューで、その食べ方説明の紙があるということは、これまた母が配達員に勧められるままに申し込んだか、あるいはこういうものを取って食べる楽しみを、今さらながら覚えて注文したのか?


母が入院してから、主(あるじ)不在のこの部屋に来て一人で食事を摂る時は、いつも私はそんなことを漠然と思いながら、2枚の紙片をただただ眺めていた。

せっかくもらったお茶バッグも、お湯を沸かすのが面倒なせいか、3箱がそのままホコリをかぶって並んでいる。今まで通りの光景。


その日もいつもどおり、私はそれらの光景をただ眺めていただけのはずだった。


それなのに、夜、一人で布団に入って目をつぶったとたんに、なぜか「かつカレーの美味しい食べ方」の紙切れがまぶたの裏にくっきりと浮かんできた。

そして驚いたことに、突然胸が詰まって、起き上がってそれを絞り出さなくてはならないほどになった。


暗がりで号泣しながら、なおも頭の中には「かつカレーの美味しい食べ方」の白い紙片がこびりついたまま離れない。


なんなんだ、これは。

全然涙を止められないまま、グルグル考えた。


認知症の母。機械的に受け取っていただけのはずだった宅食サービス。

それがいつしか、食べることだけが自分が能動的にかかわれる楽しみになっていく中で、それまで何かもわかっていなかったチラシに目を向けて、「かつカレー」という特別メニューを申し込むに至った。それは認知症の母が、見つけた楽しみだったんだ。


起きて、食べて、見てもすぐに忘れるテレビをぼんやり眺めて、夜になれば寝る。

そんな単調な暮らしの中での、母の「ささやかな楽しみ」。


その紙片は、この小さな母のお城の中に確かにあった「母の暮らし」の一場面の象徴に思えた。


配達員は、そこに週6日必ずやってくる、日によっては唯一言葉を交わす相手。かつカレーを申し込むのに、彼らとのやり取りがあっただろう。楽しそうに言葉を交わす母の姿。


もうすぐ、この部屋とそこにあった母の暮らしの痕跡は完全になくなる。


そんなふうに思いがグルグルと巡って、いつまでも止まらない。

どうしてよいかわからずに「ごめんね、ごめんね」と心の中で何度も繰り返す。

どうして謝っているのかもわからない。


今すぐに、母をギュウと抱きしめたくなった。

寝付くまで、長い時間が必要だった。


翌日、施設の母を訪ねた時、もちろん私は抱きしめたりしなかった。

元気に明るくしている母に、そんなことできない。

何かそうすることで後ろめたい気持ちを隠してるかのような、不審な行為だと思ったし、母もそれを見透かさないまでも、突拍子もない不自然なことに感じるだろうから。

だから、母のいないところで、心の中で抱きしめる。


面と向かっている時に、明るく元気な姿を見せてくれる、そのことが本当に救いだった。


「かつカレーの美味しい食べ方」。

施設を訪問してから元の母宅に戻ってきて、初めてその紙片をちゃんと手に取って読んでみた。

フタを取ってレンジで何分、かつとカレーは別々に温める、などなど。何の変哲もない内容だ。

おそらく母は読みもしないで、適当に食べたんだろう。一人で、美味しそうにパクパクと。なんだか、また胸が詰まった。


そんな紙切れ一枚に翻弄されたあの夜は、引っ越しと不要品処分の業者が見積もりに来るのを翌日に控えて、いよいよ母の部屋がなくなるというさびしさが濃くなっていたのかもしれない。

それとやっぱり、母を施設に入れたことに漠然と罪悪感があって、それがいろんな形で出てくるのだろう。


でも、唯一言えることは、心の中で母を抱きしめたら、積年の母とのわだかまりがすべて溶けて、私の中では完全に和解できた気がするのだ。

そのきっかけが「かつカレーの美味しい食べ方」だなんて、ちょっと笑えるけど。


母が施設にいることに、早く本人も私たちも慣れて、少しでも長く明るく元気にやっていけたらいいな、と心から思う。そして、今もことあるごとに出てくるワケのわからない涙が、いずれ出なくなることを願う。

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