実家がなくなるということ。#48

病院から直接施設に入居した母。

入院生活そのままに場所だけスライドしたような環境で、傍目には問題なく暮らし始めたように見えた。もちろん、本当の心の内(そのようなものが認知症の人にどの程度あるのかは不明)は知りようもないけど。


まずはとりあえず母はよしとして、大変なのは私たちだった。

以前の自宅を引き払うための不要品処分と、正式な(施設への)引っ越し。見積もりを取って、日にちを決めて、そこに向かって物を整理しなくてはならない。

それから、役所や水道光熱関係、銀行、郵便局、NHKなどへの各種手続き。

新しく必要になる物の買い足しと搬入。

泊まりがけで行っては東奔西走、文字通り駆けずり回る状態だった。


加えて、今後の通院や、それに伴う転院手続き。引っ越し先の新しいケアマネさんとの話し合い、新たに受けるデイサービスなどの相談、デイサービス先の見学と決定など。もちろん、施設とのいろいろな手続きもあるし、しばらくは生活にまつわる細かい打ち合わせや健康管理についての意思疎通もマメにはかっていかねばならない。


家でくつろいでいても、そういうことでいろんなところからちょいちょい電話が入る。初めて直面する事柄ばかりなので、今度は何を言われるのだろう、どういう判断を迫られるのだろう、と、気が抜けない状態だった。


荷物の整理や引っ越しも気が重い。

実際的な作業の大変さだけでもストレス過重だったのに、こういう事態になって初めてわかったのは、実家が急に失われることになったというのが、想定外に精神的につらいということだった。


そもそも母が認知症と診断された時から、少しずつではあってもそれが進行していく母を見ながら、その段階ごとの悲しいシチュエーションをたどってきてはいた。


でも、施設への入居は、単なる引っ越しではもちろんなく、もっと心の深い所に直接的で特別な感慨をもたらすものだった。自分が、こんなにおセンチなメソメソ野郎だったなんて……とイヤになるくらい、つらかった。


ほんの一年前には自宅で、「一生ここで一人で生きていける」「(娘たちが)大変なら、私のことは放っておいてくれてもいいのよ」などと言い、「あと何年も生きないのだから、好きなようにさせてよ」と、寝起きも食事も適当な時間に好きなように好きなだけ、という生活をしていた母。

この先、十年くらいはこうやってやっていくんだろうなと漠然と思っていた私たち。


大晦日に集まって、「あと何回こんなふうにみんないっしょに年越しできるだろうね」と言っていたのなんて、つい半年前だ。しかも、そんなことはまだ真剣に考えなくてもいい、遠い先のことと思っていた。


今年の年越しは、意地でもみんなで施設に集まって、できるだけ今までと同じようにやろうと心に決めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る