施設の生活とは。#44
施設の部屋は、やはりせまい。
最初に運び込んだものはまだ3分の一くらいだと思っていたけど、それでもういっぱいに感じる。
知り合いの人が同時期に母親の施設を探していたけど、まだ頭がしっかりしてる本人は「あれも必要」「これも持って行きたい」となるので、なかなか希望の広さで希望の予算でおさまるところがなくて困っていた。
施設に入るということは、よほど財政豊かでない限りは、シビアな身辺整理を迫られるということだ。
さておき、入居した翌日は私が様子を見にいった。とりあえず、母は元気に明るくしてるようだったので、ホッとして帰って来た。
さらに翌日は、妹が行った。様子はどうだったか訊くと、「『早く退院したい』って言ってたよ」とのことだった。
やはり、二日経って、変わった環境を落ち着いて見回してみて、何かヘンだと気づいたのだろうか? なぜ、ここにいるのだろうとか思ったのだろうか?
このころの私は、行くたびに一人で主のいなくなった母の自宅に泊まっていたので、「この母の部屋(=実家)がなくなる」ということがさびしくてさびしくてしかたがなかった。
思い出深い品物を一人でなにげなく眺めていると、思わず泣けてくることもあった。
施設に入ることを本人が承諾してそうできたのは、合理的に考えればいいことだったのだとわかってはいた。
でも、本人じゃない私の気持ちの中に、どこか納得できてない部分があった。
私の思う世間一般のイメージから、施設に入れるということは、親に冷たいことをしているのだという意識が拭えないのもあった。なにより、頭がしっかりしていたころの母自身が、そういうのを嫌がっていた。認知症になってからだって、「ヘルパー」という言葉に抵抗することからもわかるように、プライド(?)だけは高く保っていた。自分でやれる。一人で生きていける。そういう気丈さで、自分自身を支えていたような人だった。
だから、おとなしく施設に入ったことが、かえって不憫に感じられるのだ。
「退院したい」と、病院と勘違いして言っていたのは一時期の記憶の混乱だったようで、その後はそういうことも言わなくなった。
ここで多くのスタッフに支えられて、安心して暮らしてはいけるだろう。
だけど、制約もたくさんある。
今この時点から新しい地理を覚えるのは母の記憶力では難しいことなので、一人での外出は許可されない。道に迷って帰れなくなるかもしれないだけではなく、事故にあってしまう可能性もある。施設側が外出を許可しないのはもっともだ。
母はそれを息苦しく感じるだろう。
さっそく、一日に何度か、施設の共用廊下を行ったり来たり歩くようになったようだ。私は、以前に住んでたマンションで「散歩」と称して廊下を歩いて運動していた母を知っているので、同じことをしているのだと思っているが、施設からは「徘徊してる」と言われてしまう。
おやつが買いたくて外出しようとすると、もちろん止められる。
母のような初期 or 中期の認知症は、理解力、記憶力、判断力はダメだけど、周りのことが何もわかってないほどじゃないので、自分の意思でやりたいと思うことがあり、それができないことを「つまらない」「残念だ」と感じることはできる。
それもまた、私からは不憫に思える。
そのほかにも、施設側が世話をするのに都合がいいようになってることがチラホラある。
たとえば17時にスタッフが交代するので、その前に済むように、夕はんは16時になっている。朝ごはんが6時なので、14時間何も食べないことになる。ましてや、母は自分で買い物に行かせてもらえないので、夜食的におやつを食べることもできない。私たちが行った時に用意するおやつも、あればあるだけ1、2日で食べ切ってしまうので。
夜がヒマでお腹も空くので、母の寝る時間はますます早くなってしまった。
こういうのは、施設によって違いがあるのだろうと思う。
母の入った施設のスタッフさんたちはとてもよい人たちで、かいがいしくやってくれるのには頭が下がる。だから、ここでよかったと思ってはいる。
でも、いろんな意味で割り切れない気持ちが残ることもまた、どうしようもないことだった。
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