また引っ越し、そして妹が。#81

こちらの「子供のころまで」の章、本当はもう少し考察を続けたいところではありますが、あいだも空いてしまったので、まずは時間を進めながら、考察も織り交ぜていこうと思います。



あの出来事が強烈だったせいか、また引っ越すことになって学校にどのようにあいさつ等をしたのか、まったく思い出せない。

でも、引っ越したあとも何人かの子と文通などしていたので、私がいきなり消えたということでもなく、お別れの何がしかを交わす機会はあったのだろうと思う。


せっかく慣れた祖父母宅での暮らしや田舎の生活を離れるのはさびしくはあった。が、次の引っ越し先は、結局、母の妹たちが住んでいる都会の大きな街と決まった。それはそれで楽しみでもあった。なぜなら、その叔母たちと同居するということになったからだ。


その後の私の人生の顛末を考えると、この引っ越しはよかったのだと思える。祖父母宅には、その後も夏冬春の長期休みごとに遊びに行って、住んでいたころと同じ環境を短期間ながら楽しむことができ、祖父母からも変わらずにかわいがられていた。

一方で、都会の情報や文化を楽しみ、大学、就職という道を進むにあたっても、田舎にいるよりは多少のアドバンテージがあったのではないかとも思う。


で、引っ越しの話である。

最終的にはかなり家賃の安い2LDKのボロアパートに住むことになったのだけど、誰がいつどうやってその物件を選んだのかはわからない。引っ越し作業のうち、荷造りをして発送する段階までのことも覚えていない。

そのかわりに、心細く暗い気持ちで思い出すことは、新天地に着いたあとそこに入居する前、叔母の小さなアパートに一晩か二晩泊まった時のことだ。おそらく、引っ越し荷物に含まれる布団などがまだ到着してなかったからだろう。


その時、まだ一歳だった妹は体調を崩し、吐いたりすることが続いた。慣れない土地で、病院を探して連れて行くと「自家中毒」という診断が下された。風邪などと比べるとあまり打つ手もないような印象で、ただただ安静にして症状が治まるのを待つだけだったような。

何が悲しいって、まだ一歳の幼児が不安定な環境と母親の下で落ち着いて育つことができず、ストレスか何かのせいで、言ってみればほとんど原因不明のような症状を呈してるのだ。子供心に恐ろしいことだと感じ、妹がかわいそうだと思った。


その後、荷物が到着して、新居で荷解きをして部屋を整える。少し日をずらして、叔母たちも引っ越してくる。一人は、職場の寮から。一人は、先に泊まらせてもらっていた小さなアパートから。

LDKはみんなで使い、8畳間で私たち親子三人、6畳間で叔母たち二人が寝起きする。それぞれの荷物を入れた部屋は人数分の布団を敷けば足の踏み場はなく、かなりムリヤリな詰め込み状態ではあった。


そして、まだ部屋のそこここに段ボールが積み上がってるような時に、最初の事件が起きた。

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