新たな事件とその後の母。#84

ボロくて狭いながら、新しいところで叔母たちも加わってワイワイ楽しく暮らせるのだと、私は引っ越しを前向きに捉えていた。


ただ、その最初の事件が起こって、多少の不安がなくもなかった。


その事件、実は本当にそのタイミングだったのか、記憶があまり定かではない。

でも、何となく周りに段ボールが積んであったような気がするのだ。


その事件とは、何が原因だったのかは私にはわからないのだけど、妹が母からこっぴどく叩かれたことだった。

引っ越し荷物を整理していた時じゃないかと思うのだけど、母は手に持った小さい鍋で、妹の顔を叩いていた。妹はギャン泣きしていたが、私は内心オロオロするだけで、何か言ったりやったりはできなかったと思う。


一度は止んだあとも、また妹が泣き出したのか、なかなか泣き止まなかったのか、何かの理由で、今度は手に持ったフライパンが妹に及びそうになった。あーっと思ったけど、寸でのところで(叩くマネだけで)終わった。


そのあとから、妹と母を残して私が玄関から出ようとするたびに、妹は私に「置いていかないで」とでも言うような不安そうなしぐさや表情をするようになった。私は、安心させるようなことを言ったり態度をしたりして、なんとか振り払って出かける。


このような妹の記憶があることから、一歳半くらいで、そんなふうに意思表示できるかなぁとも思うので、もっとあとのことだったのかもしれないとも思う。


心機一転、明るい未来とはならず、新しいところに引っ越したら引っ越したで、また母としては不安もいろいろあり、情緒が不安定なところがあったということなのだろうか。と、今の私は解釈している。


で、冒頭に書いた私の「不安」について。

一つは、そういう母の暴力的な現場を、叔母たちが見てしまったら? というものだった。私も子供だったので、具体的な想像は難しかったのだけど、何かもっとひどい状況になりそうながした。

叔母が止めるようなことをしたら、母がもっと逆上しないか。あるいは、叔母がそんな母を嫌がって、出て行ってしまうのではないか。そうなったら、そのあと私たちはどうなるのか。などなど。


一方で、叔母たちがいること自体が、抑止力になるかもしれないとも思った。


が、やはり、抑止力にはならなかった。

そこまで決定的な暴力は叔母たちの前ではなかったまでも、ちょっとした怒りが爆発することはしょっちゅうだった。

それを見た叔母も、「そこまで怒る?」とちょっと苦笑するような、呆れるような表情は見せるものの、あとは彼女たちの部屋で私たちを慰めるくらいのことにとどまった。


今も叔母たちに会うと時々出てくる話は、母が私の頭に陶器の豚の貯金箱を投げつけたことだ。かなりの距離があったのに、見事に私の頭に命中して、みんな驚いた。

ものすごく痛かったし、大きなタンコブがしばらく消えなかった。


それから、食卓テーブルの壊れた椅子の木材で叩かれたことがあった。その棒は、いつまでも捨てられずにずっと居間に置いてあって(修理しようとしていたのかもしれない)、その後も私たちが母と言い合いになると、母はその棒を手に取ることがあった。すると、私たちはその場から逃げようとして、それ以上、母に何も言えなかった。

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