買い物中毒?#85
叔母たち二人との同居生活で、私は大人たちのかしましいおしゃべりを聞くのがとても楽しみだった。時には知らなかった大人の世界も垣間見られて、後に母が語ったところによると、奥手だった私は今で言う大人女子トークの影響を受けて、担任の先生に「耳年増」と言われたこともあったらしい。自分ではよくわからなかったけれど。
みんなでデパートなどどこかに遊びに行ったこともある。
母は買い物が大好きで、叔母たち抜きでも毎週のようにデパートに行っていた。そして、そのたびに洋服を買っていた印象だ。私たちにも買ってくれる。
それから、私は時々、呉服店に連れて行かれた。そこには私が楽しめるものは何もなく、畳の上でダラダラしながらずっと待たされるのが苦痛だった。なんとなく、高い買い物であることは、子供ながらにわかっていた。お店からの扱いもとてもていねいで、気軽な買い物とは雰囲気が違う。そして、やり取りもヒソヒソ声で行われていた感じだ。
母が働くこともなく、こんなにしょっちゅう高い買い物ができるということが漠然と不思議だった。長じるにつれ、父が莫大な財産でも残したのかなぁなどと勝手に想像するようになっていた。そうではないことは、あとからわかるのだけど。
一方で、この時分、母はいつも少しイライラしてるような気がした。基本的には自分の姉妹たちも含め和気あいあいとしてるのだけど、ちょっとしたことでカリカリとなって、そういう時は、叔母たちもちょっと気を使って、場がこじれないようにしていた感じだった。
後年、叔母たちに聞いたのだけど、生活費の分担や家事の分担など、最後まで双方満足いくようには折り合わなかったらしい。それにまつわる感情が、ちょいちょい表に出ていたのだと思う。
母が、自分が心細くて不安だったためか叔母たちに同居を持ちかけて、彼女たちはそれまでの自分の生活拠点を引き払ってわざわざ来てくれたのに、最後には「出て行ってほしい vs 居づらい」の関係になっていたという。
上の叔母は1年くらいで結婚して出て行き、下の叔母は2年後に、中学生になる私に勉強部屋を与えるためという名目で出て行くことになった。特に下の叔母は、完全に母に振り回された形だ。本当は、たった2年で出て行くなら、最初から来ない方がラクだった。だから出て行きたかったわけではなかったのだが、母から遠回しにプレッシャーがあったと言い、やはり主にはお金と家事の分担が原因だったと言っている。
私は、叔母が出て行くさびしさを、晴れて個室が持てるといううれしさで打ち消そうとした。そして、次第に母と妹と三人きりの生活に慣れていった。
父が亡くなって、初めて、私たちは本当に三人になったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます