もしかして。。。#86
父亡き後、初めて三人暮らしになった私たち。
母は相変わらず時々ひどく怒ることがあったけど、武器(?)を使ってこない限りは、私も口では太刀打ちできるようになっていった。
そんな私に母は、小学校の時の担任の一人が、子供を反抗的にするような教育をしたと言ったことがあった。「大人の言うことに疑問を持っていいんだ」というようなことを教えたと。その先生がそういう教育方針だったとはっきり意識した記憶は私にはないが、確かに熱血先生だった。
一方で、これは叔母たちがいる時から始まってはいたのだけど、より印象的に記憶に残っているのは、母がだらしなくなったと感じられるようになったことだ。
何かとゴロゴロ敷きっ放しの布団に寝ている。週末など、どこかに遊びに連れてってくれる約束をしていたのに、当日ドタキャンすることがあった。そんな母を何度か責めたことがあった。子供としてはせっかく楽しみにしているのに、ぬか喜びで終わるのは勘弁だった。小学生の時には、残念過ぎて、泣いて抗議したこともあった。
今ならわかる。大人として体調が悪い日もあるし、何となく気分が乗らない日もある。でも、それならそれで、そう言ってほしかった。子供との約束と、ただ ”何となく” の不調と、どっちを優先するかは不調の程度にもよるとは思うけど。
私の目には、「ダラダラしてはいけない」と子供には言っていながら、自分は約束を破ってダラダラしてるじゃない、というふうにうつり、そんな母を見るのはイヤだった。
あるいは、もしかして母は、ついには軽く躁鬱状態になっていたのだろうか?
引っ越して来て、新たな生活を築いて、気が抜けた?
その後、叔母たちがいなくなり、気を張っていたのも抜けてしまった?
確か、叔母たちがいなくなったころから妹も幼稚園に行き出した。私も中学生になった。そういう意味でも、肩の力が一気に抜けたのかもしれない。全部想像だけれど。
やたらとダラダラしたと思えば、時々、高価な買い物に走る。
そのほかにも、いま振り返ると異様なことと思えることがあった。
妹が小学校に上がると、母は積極的にPTA役員を引き受けたりしていた。保護者で結成する母親の会みたいなものに参加して、合唱や親睦会や旅行に参加する。
そこまではいいとして、ある時など、うちで飼っていた金魚が大きくなり過ぎて、産卵までして稚魚が孵って、それを妹のクラスの子供たちに見せたいと、わざわざ学校へ持って行ったこともあった。ここまでくると、それまでの母からは想像できない、ちょっと異常な活躍ぶり(?)と言わざるを得ない。
自分のことを話さない人だったので、真相は何もわからない。
ただ、今にして思うと、そうじゃない時のテンションの低さとあまりに生き生きしてる時のギャップが気になる。
そして、相変わらず、私はお金のことが気になっていた。
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