どうして働かないの?#87

父亡き後、私は漠然と「うちは、贅沢はさせてもらえない」と思っていた。

一番、子供心に恥ずかしく悲しかったのは、スキー学習の時のウエアとスキー用具一式だった。


みんな、サイズも年々変わることもあり、毎年最新モデルのものを持ち、身にまとっていたと言っても過言ではないのだけど、私はそこに引っ越して来た最初のシーズンに、叔母のお下がりのぶかぶかのウエアをもらってしまったがために、数年それを着ることになった。スキー用のウエアですらなかった。パンツだけ間に合わせで買いに行って、上下がチグハグなスタイルでやらされた。スキーも、祖父母の田舎で無知ゆえにエッジのついてない板を買ってしまって、それを引き続き使わされた。ストックもシューズも田舎の子供が遊びで使うようなシロモノだった。


引っ越し先の小学校では、シーズンの終わりには大会があり、うまい子はがんばって記録を競ったりしていたくらいスキー学習が熱心に行われていたのだけど、どっちみち私は小5時点で初心者同然だったため、道具やウエアがどうであろうと関係はなかった。

……けれど、ウエアだけ取ってみても同級生たちがかっこよく見えて、自分があまりに惨めに感じ、よけいに陰でコソコソしていたので、上達しようもなかったというのもある。みんなの前で自分の用具を見られるのも恥ずかしくてたまらなかった。


今なら、こんなしょうもないことでそんな気持ちになることの愚かさはわかるのだけど、当時、このことがずっと私の心に引っかかり、とにかく「人並みにはさせてもらえないのだ」という認識ができあがっていた。


それでいて、毎週末のようにデパートなどに出かけて、最低でもワゴンセールの中から2、3着は買っていたのだ。私の物もあった。

うちにはお金があるの? ないの? というのが、よくわからなかった。


ただ、小学校高学年にもなれば、さすがに奥手な私でも、一家の大黒柱が亡くなれば、世間一般では母親が働くものじゃないかと思っていたので、よっぽど父が財産を残したのか? と、想像するしかなかったというわけだ。


いつだったか母に訊いたことがあった。どうして働いてないのか、と。

すると、妹がまだ小さいからなるべくそばにいてやりたいという理由と、あなた(私のこと)だって、学校から帰ってママがいた方がいいでしょう? そうじゃなかったら、あなたが家事とかやらなくちゃいけないのよ、というような答えをされた。


そして、着物を何着か購入している母。

それができるのだから心配はないのだろうと、子供ながらに自分に言い聞かせていた。

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好きな母、キライな母。 たまきみさえ @mita27

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