思い出との別れ。#55

母の自宅だったところをクローズすることは、私たちにとっては当初から悲しいことだったのに、不要品処分ではそれに輪をかけてつらい気持ちにさせられた。


今回の引っ越しの趣旨は業者さんに伝えてあったので、不要品処分とは言え、本当はそのタイミングで捨てたくない品物もたくさんあり、それなりの気遣いがあって然るべきと何となく思っていた。なんなら「きれいなグラスですね〜」くらいのおしゃべりなどもしながら、みんながもったいない、捨てるのは残念だという共通した気持ちの中で、思い出の品物たちとお別れする、そんな妄想すら浮かべていたりした。


ところが、彼らにとっては単なる作業だったのだ。

いま思えば、そんなの当たり前で、期待する方がおかしかったのだという話なのだけど、引っ越しに至るまでの私のおセンチな感情の流れの中では、彼らの容赦ない捨てっぷりは胸にグサグサ来た。


特に、食器。

これまた捨てることになっていた衣装ケースなどに、ポイポイ放り込んでいく。そのたびに食器はガッシャーン、ガッシャーンと大きな音を立てる。たくさんあったのでその音が延々と続いて、途中から悲しくて直視できなくなった。よっぽど、ちょっと待って、なにもそこまで…と言おうかと思った。普段使いの古びたものも、飾って眺めていたきれいなグラスや食器も、いっしょくた。泣きたいのをこらえながら、その音を背にしてほかの作業に没頭するしかなかった。

今でも思い出すと、あの悲鳴にも似た食器の壊れる音が聞こえてきて、メソメソしてしまう。それくらいショックが大きかった。


人形も容赦ない。これもたくさんあったので、もしかしたらお炊き上げのような供養的な提案もあるかもしれない? ……トンでもなかった。

昔から飾られていたお馴染みの人形たちや民芸品の飾り物、どれもただの不要品扱いだった。捨てられても音がしないだけまだこらえようもあったけど、ごめんねというさびしい気持ちに変わりない。


母がお免状をもらったお琴。これもそれなりのものだったけど、施設には持ち込めなくて断念。

そして、例のお茶箱の一つにギッシリ入っていた大量の着物。私にとってはイワク付きのものではあったのだけど、母が大好きだったものだし、買い手がつけば無惨に捨てられることもないと、こちらはなんとか私が持ち帰ることにした。


業者さんは、夕方まで時間をかけるつもりなぞ、最初からなかったようだ。午後も早めに終わり、私がマンションのゴミ置き場に通常のゴミを出しに行くと、家具から小物からすべてがコンパクトに、工事現場のゴミカーゴのようなもの二つに押し込められて置いてあった。

どうやったのか、あの立派なサイドボードも、すでにただの木片にバラされていた。その横を通りながら、また悲しい気持ちになった。

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