罪悪感と”私が死んだら”。#63
昔は本人が頑なに嫌がっていたことを今させようとしてること、本人の本音が見えないこと。そのせいで、申し訳なく思う気持ちと不憫に感じて悲しくなる気持ち。
これらは日増しに高まり、ある時、本当は私自身が納得していないのではないかと思い至った。そして施設行き以外の方法、主には私たち夫婦との同居なども考えてみた。しかしそれを決行するには、施設に入るより大変な過程を踏まなければならないことと、うちの夫のキャリアに足かせをはめてしまう等の理由で、難しいと思われた。夫が単身赴任になる手もあるが、それは私がイヤだ。晩婚だったがゆえに、少しでも多くの時間を共有したい。
母にはなんとか施設でがんばってもらおう。こちらも、できるだけのことはしよう。そうするしかないんだから。
結局はそんなふうに自分に言い聞かせながら、拭い切れないモヤモヤはそのまま胸に押しとどめて、施設入居に向けてことを運んでいった。
この割り切れなさや罪悪感、申し訳なさは、おそらく一生抱えていくことになるのではないかと思っている。
一方で、せめてできることはなるべくやってあげようという気持ち、これが「母が大好きだから」「これからも残りの時間を少しでも母と楽しく幸せに過ごしたいから」というようなポジティブで明るい、好意的な気持ちから出ていると感じられない自分がいる。まるで罪滅ぼしのような感覚、もっと言うと、「最後に自分が後悔したくない」からではないのか?
以前ここにも「母と和解できた気がする」と書いたが、わだかまりは解けたとしても、まだ何かが通っていない。それがとても悲しい。
*
母を施設に入れる。その決断の象徴的な結果として、実家がなくなるという ”目に見える喪失” を味わうことにもなった。
かつて、母の世話をしに行くたびに、せまい、物が多くて掃除もしづらい、と不満に思っていた私。時々、「使わないものは処分して、ひろびろ暮らしたら?」と言ってみた。すると、「やめて。使わなくても必要なの」「そんなことしたくない」「こうして飾っておきたいの」「私の物なんだから好きにさせて」などと抵抗し、絶対に首を縦に振らなかった。
もう何年も前から誰も遊びに来なくなっていたのに、たくさんの客用の食器や3組の客用布団を持っていた。それも「いつ使うの?」と少しイライラして訊くと、「そのうちまた誰か来るかもしれないでしょ」と答える。もう泊まりに来るような親戚も知り合いもいないし、せまくて泊まれるわけもないのだが。
そして、極めつけは「いいから、私が死んだら片付けて」と言うのだった。
部屋がせまいこともあったけど、母が元気なうちに自分の意思で身辺整理をしておくのが一番いいと思っていたので、忘れたころに言葉を変えて何度か持ちかけてみたけど、一度も同意してくれなかった。
それが去年、突然「いいわよ」と言ったことがあった。
「この本棚の本、私がもらって行ってもいい?」と処分前提なのを隠して訊いた時、「いいわよ、好きなの持って行きなさい」とこともなげに言ったのだ。
「え、いいの? じゃあ、パパの本も全部ほしいから、本棚空っぽになるかもよ? そしたら本棚どうする? 処分する?」
「うん、いいよ、好きにしなさい」
しばらく言ってなかったので、その間に気持ちが変わっていたのか、それとも、イヤだと言っていた時の「正常な判断力」がいつの間にか失われていたのか。
いずれにしても、近いうちに本棚は中身を処分して撤去しようと思っていたそのタイミングで、入院、施設入居となったのだった。
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