余生と呼べるのか。#65

やっと母のを処分できることになったのに、今度は処分事態となり、そうなるとなぜか泣けて泣けてしょうがなかった。ということは、ここでもずっと書いてきた。

たぶん、不要品処分どころか、一足飛びに「自宅を引き払う」というところまでいってしまったからだろう。


実際に、この一連の退去作業は大変だったし、つらくてたまらなかった。が、それだけじゃない気がしていた。

こんなにいつまでも悲しく、しょっちゅう涙が出るのはなぜなのか。そこに渦巻いてるモヤモヤした心情を整理しようと、何度も考えた。


まず母が、自分の大事にしてきた物を自分の意思で選び取ることが、能力的にも状況的にもできなくなったことが悲しかった。

そして、すべて私たちの手にかかることになったことで、母は生きているのに、まるで遺品整理をしてるようだった。


母が施設入居を承諾したのも、自宅から3カ月も離れていて、そこがどんなふうで、どう暮らしていたのかもう思い出せなくなっていたのかもしれないと思った。

だとしたら、すでにその時点で、母のかつての暮らしは失われていたのと同じようなものだ。遺品整理ではないにしても、結局は、持ち主の記憶から消え、取り残された物を片付けているような気持ちにさせられた。


よく、余命幾ばくもない人が、最後は自宅でと望むことが多いと聞く。今までの私は、「自分だったら、毎日のように誰か見舞いに来るとか身内がそばにいるとか、そういう状況なら病院でもいいかな」くらいに思っていた。過去何度かの入院経験が、それなりに楽しかったからだ。

しかし今回のことを通して、「自宅」がどういう意味を持つのか、身にしみてわかった。

病気になった人が、最後には自宅に帰りたがる。

母は病気ではないのに(回復したのに)、望もうが望むまいが自宅に帰ることができなかった。それも不憫だった。

しかも、先に書いたように、母の自宅での生活は本人にとってはすでにになっていたかのように感じられ、また、本人が自宅に事態を自覚できてるのかどうかもあやしく、見ていて切ない。


そして、なぜ ”新たな良い環境に元気に移れた” と喜べないのか。

軽度とは言え認知症が出た状態で施設の生活をスタートさせるということは、自分の意思で自分の新たな暮らしをそこに築いていくということにはならないからだ。「よくわからないけどそこにいさせられている」「(ルールなどに)従わされてる」だけだ。(※)

本来の自分らしく、好きなように暮らすことはできない。ただ ”慣れる” しかないのだ。


これが余生だなんて、私には思えなかった。

母の人生は、一度終わったのだ。

これからは、強いて言うなら ”余生の余生”、最後に仮に付け足されたつなぎ部分のように感じられる。


昔の母は、こんなことは望んでなかった。

自宅をたたみ、望んでることなのかわからないまま施設に行くことは、客観的に見ても、一人の人間の人生の顛末としてあまりに哀しい。

そして、どんな事情があるにせよ、これはすべて私たちの決断がもたらしたことなのだ。


(※サ高住には、頭がしっかりしている入居者もおり、そういう場合は自由な外出も許されるし、三食昼寝つきで施設生活を悠々自適に楽しんでる人も見受けられる。一方、寝たきりなど要介護度の高い方は本当に「介護」が必要なので、施設に入ることは望ましい選択になる。

一番中途半端なのが母のようなケースで、ある程度は頭もしっかりしているので、たとえば買い物に行きたいと自分で思ったりする。でも、軽度とは言え認知症なので、迷子や事故を懸念してそれが許可されない。そして、おそらく母はそういうことを不自由と感じる意識もある。一番かわいそうなパターンじゃないかと思う)

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