”名残り”はなくなったが。#67

母が築いてきた暮らし、そこには私たちの思い出もあった。母の人生には否応なく私たちも絡んでおり、好きだろうがキライだろうが、結局は家族だったのだ。家を出ても、実家が何度引っ越しても、母や私たちの歴史が刻まれた物を目にすることは、何がしかの意味があることだったのだと思う。それによってお互いがかろうじてつながっていた、そういうアイコンのようなものがそこに宿っていた。”名残り” と言ってもいい。

母がそれらを手放さなくてはならなかったことで、家族の象徴的な物はほとんどなくなり、それらが並んでいるお馴染みの光景も消えてしまった。


私にとっても、自分の来し方の象徴が形の上では完全に消滅したということ。それが単純に悲しかった、というのも一連のモヤモヤした気持ちの中にあった。


私はこれまでの人生で、「ここが新たな自分の場所」「ここが第二のふるさとだ」と思えるような場所を築けていない。土地という意味ではもちろん、依拠する人という意味でも、たとえば認知症になる前までの母という人に、自分の帰れる場所としてのふるさとのような感覚をもつことができなかった。

今の母は、昔の母とは違う。が、それももう、母がふるさとたりえるかという問題ではなく、こちらが包んでやらなければならない立場へと逆転したということだ。

私は、私が今立ってる場所で踏ん張っていくしかない。

決して親に頼ってばかりの人生ではなかったけれど、今回のことで本当の意味での、そしていろんな意味での「親離れ」を実感したと言えるかもしれない。

あらためてそう意識してみると、すでにこんなにもトシを取っていて、なおこんなにも心もとない自分がやるせなくも情けないのだが。



こんな私のモヤモヤと絡み合った思いをよそに、母は施設で明るくしてる。

自分の状況が本当の意味でわかっているのか、納得しているのか、あるいは諦めてガマンしているのか、はたまたよくわからずに流されているだけなのか。

結局、本人の胸の内はわからないままだ。


これからは新しい場所で、正真正銘いまの ”身一つの母” と、親子として、家族として向き合っていくのだ。人生最後の、不本意で付け足しみたいなステージで、よくわからずに流されているのなら、せめて母が認識できる部分だけでも楽しいものにしていかなくてはならない。これが今の決意みたいなものだ。

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