妹が誕生、そして幸せな日々から引き剥がされた。#43

「お姉ちゃんになるんだよ」

そう言われた時は、青天の霹靂だった。うれしいような、戸惑うような。

兄弟ができるという感覚が実感としてはよくわからず、言ってみれば何かイベントに近いような感じだったかもしれない。


母がつわりを発症していたころのことを覚えている。「さっき食べた魚が……」と流しに吐いてる母の背中を、父が心配そうにさすっていたり。


出産前に何か問題があって、入院したこともあった。


出産予定日前に入院した時は、なかなか生まれずに、学校帰りに毎日病院に様子を見に行って、「生まれた?」「まだ」を1週間くらいやっていた。


後に聞いたことだけど、両親は二人目ができないことで病院で診察を受けていたそうだ。診断は、卵管癒着。

それを解決するために何らかの処置を受けることもできたけど、二人は「自然に任せる」と決めた。そして、母曰く「おじいちゃんたち(私の祖父母)が遊びに来て、1カ月も滞在して忙しくしてたら、詰まってるところが通ったのよ」ということで(真偽のほどは不明)、私は年の離れた兄弟を得ることになったというわけだ。


予定日を大幅に過ぎて、妹が誕生した。

母は、その時を待って筋腫の切除手術を受けることになっていたので、簡単に退院とはならなかった。

妊娠中の入院や、出産後の引き続きの入院の時は、家政婦さんを雇っていた。余談だけど、家政婦さんはやさしくて、あやとりで遊んでくれたり、編み物を教えてくれたりして、その生活はけっこう楽しかった。


自分に妹がいる。その状況に、私はなかなか実感を伴って慣れることはできなかったけど、赤ちゃんをあやすのが面白かったり、面倒を見ると褒められたりするので、新しい状況もそれなりに楽しかった。


一度、母から留守番とお守りを頼まれたことがあって、その時に限って妹は激しく泣き出し、どうあやしても泣き止まなかった。かなり長い時間格闘して、もうダメだと放心して自分もベソをかきそうになっていたところで、母が帰って来た。その時も、私のことを褒めながら慰めてくれた。


そんなこんなで、東京で3回目の春を迎えようとするころ、朝の食卓で父が話があると言った。

「転勤が決まったよ」


その日、学校へ行って、休み時間にいつものように鉄棒でぶら下がったり上に座ったりしながら、なにげに校舎を眺めたら泣けてきた。

この学校とも、みんなとも、お別れなんだ。幸せな日々から無理やり引き剥がされるような気持ちがした。


次の行き先は仙台とのこと。

引っ越しの日、私たちを見送ってくれた社宅の人たちを、涙ながらに手を振りながら車の中から見ていた私は、彼らが見えなくなると泣きじゃくった。

「また、新しいお友だちができるよ」と両親は慰めてくれたが、どんなに年月が経っても、こんなにいいだけ大人になって、どんだけトシも取っても、「あの時から、自分の心はあそこに置きっ放しになってる」という意識が拭えないままでいる。

たぶん、仙台に根付けなかったせいで。

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